第2話「女帝の眼」
第2話「女帝の眼」
KR251年、年が明けたばかりのエルディナ聖王国。
私は今、人生で一番緊張する場所に立っています。リュミナ宮廷の謁見の間。高い天井、磨き抜かれた大理石の床、そして左右に整列する近衛騎士たちの視線が痛いほどです。
「……落ち着いて、ヴィーナ。お父さんに教わった通りにすれば大丈夫」
私は深呼吸をして、真っ赤な絨毯の上を歩き出しました。
玉座に座るのは、この国の最高権力者、女帝セレーナ陛下。その傍らには、聖騎士団長フィアナ様が鋭い眼光で控えています。
玉座の前で足を止め、私はこれ以上ないほど優雅に、スカートの裾を引いて膝をつきました。お父さん――レイクスから厳しく叩き込まれた、古式ゆかしい貴族の礼法です。
「――ヴィーナ・エルディナ伯・ヴァルトニアと申します。陛下におかれましては、健勝にて新年を迎えられましたこと、心よりお慶び申し上げます」
完璧。自分でも驚くほどスラスラと言葉が出てきました。
一瞬、広い広間に静寂が訪れます。女帝陛下は扇を口元に当て、面白そうに目を細めました。
「……なるほど。礼儀作法だけを見れば、あの気難しい伯爵の娘と言われても納得がいきますね。顔を上げなさい、ヴィーナ」
「はいっ!」
許可が出て顔を上げた瞬間、いつもの癖で威勢よく返事をしてしまいました。さっきまでの「完璧なお嬢様」の空気はどこへやら、私は満面の笑みで陛下を見つめます。
「……そなたが、エルディナ北部の村々を独断で守り回っている冒険者ですね?」
「はい! 困っている人がいたら助けたいので! ゴブリンに村が襲われるなんて、絶対許せませんから!」
身を乗り出して答える私に、フィアナ様が少し眉をひそめましたが、女帝陛下は逆に声を立てて笑い出しました。
「くふふ……。率直ですね。ヴァルトニア伯のような『鉄の仮面』とは正反対だ。ですが、その眼……」
陛下の眼が、値踏みするように私を射抜きます。その視線は、私の体を超えて、身につけている装飾品へと注がれました。
「そのローブ……白地に蔦と光の織り。マルターレス家の隠し紋様ですね。そしてその髪飾り、微細に刻まれた黒雷の意匠……」
陛下は溜息をつくように、けれど慈しむような声で呟きました。
「本当に……あの人が選んだ娘なのですね」
陛下は居住まいを正し、少しだけ真剣な表情になりました。
「ヴィーナ。そなたに要請があります。現在、魔王軍の影がこのエルディナにも忍び寄っています。私は、そなたにエルディナ北部の防衛を『正式に』任せたい」
「正式に……ですか?」
「そうです。気まぐれな冒険者としてではなく……エルディナの、そして私の『守り手』として、騎士団の一部を指揮下に置いて戦う覚悟はありますか?」
私は少しだけ考えました。私はただ、みんなの笑顔が見たくて動いていた。でも、正式に任されるということは、もっとたくさんの人を守れるようになるということ。
「……はい! やります! 私がみんなを守ります!」
迷いのない私の返事に、陛下は満足げに頷きました。その横で、いつの間にか謁見の間に入っていたセリスさんが、私を優しく見守っていました。
謁見の儀を終えた後、私はセレーナ陛下と二人で庭園を歩いていました。
「陛下……ヴィーナを、戦列に加えるのですか?」
「セリス。あの子は、自分でも気づかないうちに『王の眼』を持っています。民のために戦うことを苦に思わず、光を撒き散らして歩く。あの子こそが、この暗い時代に必要な希望なのですよ」
セレーナ陛下は遠くを見つめながら続けました。
「レイクス様は守る人ですが、ヴィーナは導く人になる。彼女は今、自分自身の道を歩き始めたのです」
私はその言葉を胸に刻みました。ヴィーナはもう、レイクスの庇護を受けるだけの子供ではありません。一人のエルディナの守り手として、羽ばたこうとしているのです。
宮廷を出た私は、待たせていたパーティーメンバーのもとへ全力で駆け寄りました。
「みんなー! 聞いて聞いて! 女帝陛下から、エルディナ北部の守り手を正式に任されちゃった!!」
高らかに宣言する私を見て、ベテラン騎士のレナさんが頭を抱えました。
「……北部の守り手? それはつまり、軍事権の一部を譲渡されたってことかい……?」
「私たちも、その……巻き込まれるやつ、だよね?」
ナツキが呆れたように剣の柄を叩きます。一方で、人見知りのエリカはフードを深く被り直して、小さくため息をつきました。
「覚悟はしてました……。ヴィーナが陛下に呼ばれた時点で、ただじゃ済まないって……」
「えへへ、ごめんね! でもみんながいれば百人力だよ! 私、みんなのことが大好き!!」
私は三人に飛びつきました。呆れ顔のナツキとレナさん、そして赤くなるエリカ。
大陸全体が戦争の影に揺れる中、私たちの新しい「戦い」が幕を開けようとしていました。




