第9話:出発の朝
第9話:出発の朝
アルカディアを包む朝陽は、どこまでも澄み渡っていた。
マルターレス邸の豪奢な門前には、整然と並んだ騎士たちの銀甲冑が眩い光を反射している。馬車の準備が整い、いよいよ出発の時が来た。
「ヴィーナ殿。最後に、レイクス様に伝えてほしいことがある」
見送りに立ったリストール様が、私の前で足を止めた。その表情は、一国を支える領主の顔でありながら、どこか遠い昔を懐かしむ少年のようにも見えた。
「はい! なんですか?」
「『今代のリストールも、義により在ります』と……それだけでいい。あの方には、必ず伝わる」
「ぎによりあります……。わかりました! 必ず伝えます!」
私が迷いなく頷くと、リストール様は少しだけ目元を和らげ、「……頼む」と短く言った。その声の響きには、言葉以上の、何百年も積み重なってきた想いが込められている気がした。
「あの……リストール様。この短剣、本当にお返ししなくてもよいのですか?」
私は腰に下げた、あの「対の剣」に手を触れた。ヴァルトニア家から贈られた歴史の証。私なんかがずっと持っていていいものじゃない気がして、少し不安だった。
「一度、私の手でしかと受け取らせてもらった。それで十分だ。我が家はあの方の意思を受け取り、あなたを迎えた。……ただ、あなたがレイクス様に会ったら、伝えてくれ。『確かに受け取りました』と。……縁を繋いでくださった感謝を、添えて」
「……感謝」
リストール様の言葉を聞いて、胸の奥がじんわりと熱くなった。おとうさんは、ただ私をエルディナへ行かせるだけでなく、この短剣を通して、途絶えかけていた大切な繋がりをもう一度結び直そうとしたんだ。
私を「おとうさんの娘」として認めてもらうために。
「はい。……はい! ちゃんとおとうさんに言いますね」
少しだけ目が潤むのを隠すように、私は大きく返事をした。
「リストール様! 私、昨日の家訓、もう覚えたんですよ!」
湿っぽさを吹き飛ばすように、私は胸を張って宣言した。
「『功により栄え、義により在る』……ですよね!」
リストール様は一瞬、きょとんとして目を丸くした。
「一晩で覚えたのか。……いや、感服した」
「えへへ、大事なことだから!」
隣で馬の鞍を確認していたゼムさんの表情が、珍しく柔らかくなったのを私は見逃さなかった。
「……あなたは、あの方の娘だ。間違いない」
リストール様のその言葉は、昨日の「伯爵令嬢」としての呼びかけよりも、ずっと私の心に真っ直ぐ届いた気がした。
「「「ご武運を!」」」
並んだ騎士たちの唱和が響く中、馬車がゆっくりと動き出した。
私は窓から身を乗り出した。おとうさんに教えられた、大切な場での深いお辞儀。まずはそれを完璧にこなしてから、力いっぱい、何度も手を振った。
「リストール様、ゼムさん! また来ますねー!」
遠ざかっていくアルカディアの美しい街並み。
馬車の心地よい揺れに身を任せながら、私は昨夜からの出来事を思い返していた。
(おとうさんって……こんなに大きな歴史の中にいたんだ)
私の知らない「レイクス・ヴァルトニア」という英雄。大陸の平和を支え、二百五十年もの間、誰にも言えない重責を担ってきた人。
フォルネリアで、私の作ったちょっと失敗した料理を食べていたおとうさんと、リストール様が震えるほど敬う大英雄。
(でも……フォルネリアでのおとうさんは本物だった)
私を叱って、心配して、不器用に見守ってくれたあのおとうさんも、絶対に嘘じゃない。
(英雄のおとうさんも、村で一緒に暮らしたおとうさんも。……どっちも本物のおとうさんだ)
そう思ったら、なんだか不思議と勇気が湧いてきた。
最初は、自分がとんでもない家の娘だってわかって怖かったけれど。でも、おとうさんはおとうさんだ。
「……早く会いたいな」
私は腰の短剣をぎゅっと握りしめた。
「レナさん、ナツキ! 急ごう! おとうさんに会いに行く!」
私の声に、パーティーのみんなが顔を見合わせて笑う。
エルディナへと続く道は、朝陽に照らされてどこまでも白く輝いていた。




