第7話:スターレットの光
第7話:スターレットの光
アルカディアの朝は、清冽な空気と共に訪れた。
マルターレス家が誇る広大な庭園には、朝露に濡れた花々が瑞々しい香りを漂わせている。ヴィーナは一人、手入れの行き届いた石畳の小道を歩いていた。
「おとうさんって……二百五十年もの間、ずっとああやって誰かを守ってきたんだ」
昨夜、現当主リストールから聞かされた「歴史」の断片を反芻する。
フォルネリアの静かな村で、不器用に料理を作り、洗濯物の干し方に文句を言っていた、あのおとうさん。どこにでもいる「普通のお父さん」だと思っていた姿と、大陸の守護者としての姿が、ヴィーナの頭の中でまだ上手く結びつかない。
「全然わからなかった。……ただのおとうさんだったのに」
けれど、フォルネリアでの軍勢の平伏、そしてこのアルカディアでの騎士たちの敬礼。それらすべてが、現実だと突きつけてくる。
ヴィーナは腰に帯びた短剣をそっと手に取った。リストールに見せた際、彼が涙を浮かべて「対の剣」と呼んだ代物だ。
「この短剣……ヴァルトニア家の証の剣だったんだね。おとうさん、なんで私に持たせてたんだろう。『リースバルト一族に会ったら渡せ』って……それだけしか言ってくれなかったのに」
おとうさんは、大事なことを言葉にしない。
もしかしたら、言葉で説明するよりも、この「物」そのものに込められた縁や重みを感じてほしかったのだろうか。
「……眠れなかったか」
不意に背後から、低く、しかし穏やかな声が響いた。
振り返ると、そこには朝稽古を終えたばかりなのだろう、薄く汗を浮かべたゼム・バルゼノアが立っていた。
「あ、ゼムさん。おはようございます。眠れました! ただ……ちょっと考えてて」
「何をだ」
「おとうさんのことです。あの人、私に何も言わなかったんですよね。ヴァルトニア家の歴史も、この短剣がどれだけ大切なものかも」
ヴィーナは一呼吸置き、少し寂しそうに、けれど誇らしげに微笑んだ。
「……知ってるんです。私とおとうさん、**本当の親子じゃない**から。血がつながってないから、私には教える必要がないって思ってたのかなって」
「……」
「でも、おとうさんは私を育ててくれた。私にこの服をくれて、この剣を持たせてくれた。血がつながってなくても、私はおとうさんの娘になりたいって思ってるんです」
ゼムはしばらく黙っていたが、やがて自嘲気味に、しかし清々しく鼻を鳴らした。
「……血のつながりなど、あの方にとっては瑣末なことなのだろう。言葉は時に真実を矮小化させる。だが、その短剣や、あなたが纏うローブ……物と行動が、すべてを語っている。それが何よりの証拠だ」
「……昨日の道中で聞いた話、まだ頭の中でぐるぐるしてるんです」
「試験の話か」
ヴィーナは頷いた。
「はい。ゼムさんがセバスさんに負けて、プライドを折られて……。でも、そこから立ち直ってここで剣を振るってる。それって、私にはすごく尊いことに思えるんです」
「負けたことを誇りに思えるようになるまで、俺も長い時間がかかった。だが……今はあの試験があって良かったと思っている。本物を知ったからこそ、俺は己を過信せず、偽物にならずに済んだ」
「本物……」
「ヴァルトニア家は本物だ。そして、血がどうあれ、あの方の背を見て育ったあなたも……間違いなく本物だ」
「……私、まだ自分が何者か、よくわからないです。でも、おとうさんの娘として、恥ずかしくないようにしたいとは思います」
ゼムは短く、しかし確信を込めて頷いた。
「……それで十分だ」
「ヴィーナ殿、こちらにおられたか」
庭園の東屋に、リストールが姿を現した。その手には、マルターレス家の家宝であり、昨夜もその神秘を見せた魔剣『スターレット』が握られていた。
「もう一度……持ってみるか。朝の光の下でなら、また違った表情を見せるかもしれん」
「えっ、いいんですか?」
ヴィーナはおそるおそる手を伸ばし、スターレットの柄を握った。
その瞬間。
――キィィィィィン……
澄んだ、心地よい共鳴音が空気を震わせた。
刀身から、真珠のような柔らかく、それでいて力強い光が溢れ出す。それはヴィーナの指先から腕へと伝わり、全身を温かな高揚感で包み込んだ。
「……やはりか。血のつながりなど関係ない。ヴァルトニアの『魂』が、スターレットの光に呼応している」
リストールは驚きと、どこか深い納得が混じった表情でその光景を見守っていた。
「あなたの力は、今はまだ眠っている。しかし、そこには確かに継承された『源流』がある。その清らかな光……」
「私……小さい頃から、聖魔法の素質があるって言われてて。おとうさんも旅に出る時、『お前ならできる』って、独り言みたいに言ってた気がします」
「ならばいずれ、その力は大きな力になるだろう。……あの方が見込んだ通りにな」
光はゆっくりと収まり、ヴィーナはスターレットをリストールに返した。自分の内側で、何かが静かに脈打っているような感覚が残る。
「さて。そろそろ出発の時間だな」
ゼムが革手袋をはめ直し、城門の方向を見据えた。
「エルディナまで……俺たちが送ろう」
「え!? いいんですか?」
「当然だ。ヴァルトニア家のご令嬢を、丸腰に近い状態で一人で行かせるわけにはいかない。マルターレスの騎士としての誇りにかけてな」
ゼムの言葉に、邸から出てきたレナやナツキ、クロエたちも顔を合わせ、心強そうに微笑んだ。
「お父さんに会うまで、あともう少しだね」
ナツキがヴィーナの肩を叩く。
ヴィーナは、胸元の秘紋と、腰の短剣を確かめるように触れた。
知らないことはまだたくさんある。けれど、このアルカディアで触れた歴史の重みと、魔剣が放った温かな光は、彼女の背中を確かに押していた。
「うん! みんな、行こう! エルディナへ!」




