第6話:歴史の重さ
第6話:歴史の重さ
マルターレス家の晩餐は、驚くほど豪華だった。
大理石の長テーブルには、アルディア王国の肥沃な大地で育った野菜や、香草でじっくりと焼き上げられた肉料理が並ぶ。
いつもなら「わあ、美味しそう!」とはしゃぐはずのナツキやクロエも、今日ばかりは背筋を伸ばし、慣れない手つきでナイフとフォークを動かしていた。部屋の隅に控えるゼムさんの、あの鋭い眼光が「作法を見ている」気がするからだ。
「……さて。ヴィーナ殿、そして一行の皆様。食後の茶の前に、少しだけこの家の、そして貴女の父上の話をさせてほしい」
リストール様が静かにナプキンを置いた。その顔は、昼間の執務の時よりもずっと「友人」に近いものになっていた。
「今からちょうど二百年前。KR50年。我が家の初代当主・リースバルトは、レイクス=ヴァルトニア閣下と出会った。当時、まだ十八歳の若造だったリースバルトが……五十歳の閣下に剣を教わったのが、すべての始まりだ」
「ご、五十歳!?」
ナツキが思わずパンを口にしたまま声を上げた。
「あの……私たちがフォルネリアで見たお父さん、せいぜい三十代かそこらにしか見えませんでしたけど!?」
「……あの方は不老だ。二百年前も、そして今も。その外見はほとんど変わらないと伝わっている」
リストール様が苦笑して答える。エリカが隣で「やっぱり……神話に出てくるような人だ……」と小さく震えていた。
「KR60年。この地、アルカディアを魔族の手から解放したのはリースバルトだ。だが、閣下がいなければ……その勝利は決してなかった。閣下は、陽動部隊としてたった一人で、魔族の大軍を引きつけたのだ」
「一人で……? そんなの、無茶だよ」
私が呟くと、リストール様は力強く頷いた。
「無茶を成し遂げるのがヴァルトニアだ。凄まじい雷光が空を裂き、たった一人で軍勢をなぎ倒すその姿から、閣下は『黒雷の解放者』と呼ばれた。……ヴィーナ殿、あなたが持ってきたその短剣は、その勝利の後に、固い絆の証として交わされたものだ」
私は、自分の足元にある、今は大切に箱へ収められた短剣を思った。
「あの方がそれを貴女に持たせていた……それは、レイクス様はずっと前から、貴女をこの家へ送り届けるつもりだったということだ。貴女に、マルターレスという後ろ盾を与えようとしたのだな」
「……おとうさん。そんなこと、一言も言わなかったのに」
「言葉より行動で示す方だ。あの方の愛は、常に物言わぬ『形』として現れる」
話が一段落すると、リストール様は給仕を下がらせ、自ら重厚な剣帯を解いた。
そして、テーブルの上に置かれたのは、鞘に収まっていてもなお神聖な気配を放つ一振りの剣だった。
「我が家の家宝……これを見てもらいたい」
彼がゆっくりと抜いたその剣は、美しい銀色の輝きを放っていた。いや、輝きというより、剣自体が「意志」を持って光を放っているようだった。
「きれい……! これ、なんですか?」
「魔剣スターレット。清き心を持つ者、そして我らマルターレスの正当なる後継者が握る時のみ、光を宿すとされる伝説の剣だ。初代リースバルトが、レイクス閣下と共に遺跡で見つけた剣と伝わっている」
私は吸い寄せられるように、その光を見つめた。
冷たい鉄のはずなのに、そこからは懐かしいような、不思議な温かさが伝わってくる。
「……なんか、温かい感じがする。おとうさんが淹れてくれる、冬の日のココアみたいな……」
私の言葉に、リストール様とゼムさんが顔を見合わせた。
「……そうか。見えるだけでなく、温もりを感じるか」
「スターレットは清き心に反応する。ヴィーナ殿、貴女の魂にヴァルトニアの誇りが宿っている証拠だ。その感覚は本物だ」
ゼムさんが、感極まったように低く言った。
けれど、歴史は輝かしいことばかりではなかった。
リストール様の声が、少しだけ低くなる。
「KR100年。初代リースバルトは六十八歳でこの世を去った。……その枕元には、レイクス様がおられたそうだ。五十年前と変わらぬ、若々しい姿のままでな」
私は箸を止め、胸が締め付けられるような感覚に陥った。
親友が老い、死んでいく。それを、変わらない姿で見守り続けるおとうさん。
「『守りたいものを頼む』。それが初代の最期の言葉だった。閣下はそれに対し、ただ静かに頷かれたという。……それが、二百五十年続く両家の契約の重さだ」
「……おとうさん。その時、どんな気持ちだったんだろう」
私が呟くと、クロエがそっと私の手に自分の手を重ねた。
「……きつかったと思う。自分だけが置いていかれるのは」
「それが二百五十年、ずっと続いているんだな。……私たちの想像もつかないほど、長い時間を、あの方は背負っている」
レナの静かな言葉が、食堂に重く響く。
おとうさんが時折見せる、あの遠くを見つめるような瞳。それは、もう会えない戦友たちのことを思っていたのかもしれない。
リストール様は椅子から立ち上がり、私に向かって厳かに告げた。
「ヴィーナ殿。最後に、我が家の家訓を教えよう。これもまた、レイクス閣下が初代に植えてくださった精神だ」
彼は誇らしげに、胸に手を当てた。
「**『功により栄え、義により在る』**。……手柄を立てて家を栄えさせるのは当然だが、それ以上に、人としての義理……信義のために生きろ、という意味だ」
その言葉を聞いた瞬間、私の心の中で、何かがストンと落ちた。
おとうさんは、私に歴史の勉強をさせたかったわけじゃない。
きっと、こういう「想い」を持っている人たちが世界にいることを、教えたかったんだ。
「さあ、夜は更けた。明日はエルディナへ向けての出発だ。マルターレス家は、貴女の旅路を全力で支援することを約束しよう」
窓の外には、アルカディアの静かな夜景が広がっていた。
おとうさんの背負ってきた歴史の片鱗に触れた私は、少しだけ、自分が着ているローブが昨日よりも重く、そして誇らしく感じられていた。
【次話予告】
アルカディアを発つ朝。
リストールはヴィーナに、ある「手紙」と「補給物資」を託す。
そこには、エルディナ伯となったレイクスへの、盟友としてのメッセージが記されていた。
「ゼムさん、セバスさんに絶対伝えますからね!」
別れを告げ、一行はついに目的地エルディナへの最終路へと踏み出す。
次回、幕間最終話「託された想い、エルディナへ」。
——おとうさん、待ってて。私、少しだけわかった気がするよ。




