第2話:門前の平伏
第2話:門前の平伏
「あ、暑い……。レナ、まだかなぁ?」
アルディア王国の要衝、城塞都市アルカディアの巨大な城門前。
ヴィーナは額の汗を拭いながら、長い行列の先にある検問所を恨めしげに見つめた。
石造りの高い壁が熱を溜め込み、周囲の空気はサウナのようにどんよりと淀んでいる。
「仕方ないだろう、ヴィーナ。ここは王国の喉元だ。密輸人や魔族の潜入を警戒して、冒険者の身分照会には時間がかかるんだよ」
レナが手甲を外して風を送りながら答える。彼女のドラグーン・アーマーも、この炎天下では鉄板焼きの道具のようになっているに違いない。
「もう……限界! ちょっと外衣だけ脱ぐね!」
「あ、ヴィーナ、待——」
レナが制止の声をかけるより早く、ヴィーナは首元の留め具を外した。
バサリ、と厚手の旅用外衣が地面に落ちる。
その瞬間。
「…………っ!?」
周囲の空気が、凍りついたように静止した。
外衣の下に隠されていたのは、白地に銀糸で星・蔦・光を織り込んだ美しいローブ。
陽光がその銀糸に反射し、まるでヴィーナ自身が発光しているかのような神々しさを放つ。
特に胸元——そこには、「誓いの短剣」と「風花の髪飾り」を組み合わせた、複雑で緻密な紋様が浮かび上がっていた。
さらに、ヴィーナが首を振った拍子に、普段使いの小花を模した髪飾りが揺れる。その中央部に刻まれた、一筋の「黒雷」を象った微細な文様が、チカリと紫電のような輝きを放った。
「おい……あの意匠……」
槍を携えていた門番の騎士の一人が、息を呑む音が聞こえた。
彼は吸い寄せられるように列へ近づき、じっとヴィーナの胸元を凝視する。次に、その視線は髪飾りの「黒雷」へと移った。
「……まさか。あり得るのか……?」
「あの、何か……? 通行許可の申請なら、レナが今……」
ヴィーナが戸惑いながら一歩下がると、その動きに合わせて騎士の表情が劇的に変わった。彼は戦慄したように目を見開き、ガシャリ、と音を立ててその場に崩れ落ちる。
いや、倒れたのではない。
「……ッ!!」
騎士は深く、重々しく、石畳に膝をついた。
それを合図にしたかのように、城門を守っていた十数名の騎士たちが、一糸乱れぬ動作で武器を置き、一斉に片膝をついて頭を垂れたのである。
「「「…………っ!!」」」
「え??? えええーーーーーっ?!!」
ヴィーナの絶叫が、静まり返った広場に響き渡った。
周囲の通行人たちも足を止め、何事かとこちらを凝視している。
「な、何!? なんでみんな座っちゃうの? 忘れ物!?」
混乱して手をバタつかせるヴィーナに対し、先頭の騎士が震える声で口を開いた。
「……ヴァルトニア家の……ご令嬢でいらっしゃいますか」
「……え? ヴァルトニア……あ、うん。そうだけど。ヴィーナ・エルディナ伯・ヴァルトニアです」
肯定の言葉が漏れた瞬間、騎士たちの頭がさらに深く下がった。
その光景を見て、レナは深いため息をつきながら天を仰いだ。
「……やはりそうなったか。隠しておけるものではなかったな」
「また?! またなの?! フォルネリアだけじゃなかったの?!」
ナツキが頭を抱えて叫び、クロエは半ば諦めたような目でヴィーナを見つめる。
「ヴィーナ……あなた、本当は何者なの。そのローブ、ただのオシャレじゃなかったのね……」
「わ、わわわ、私……教科書でしか見たことないです……マルターレスの騎士がここまで敬意を払うなんて……」
エリカにいたっては、顔を真っ青にしてガタガタと震え始めていた。
「何の騒ぎだ」
その時。城門の奥から、地を這うような低い声が響いた。
重厚な鎧の擦れる音と共に現れたのは、四十代半ばほどの男だった。
顔にはいくつもの鋭い傷跡があり、歴戦の猛者であることを物語っている。その眼光は、ただ立っているだけで周囲を威圧するほどに鋭い。
「ゼム様! ヴァルトニア家のご令嬢が……こちらに!」
騎士の報告に、男——ゼム・バルゼノアは足を止めた。
彼は無言のまま、射抜くような視線をヴィーナに注ぐ。
その視線はヴィーナのローブの秘紋をなぞり、髪飾りの「黒雷」で止まり……そして、腰に下げられた由来不明の短剣を捉えた。
長い、沈黙。
ゼムの喉が、一度だけ大きく動いた。
「……本物か」
「あの! 私、ヴィーナです! ちゃんと通行許可が欲しくて並んでたんです!」
ヴィーナが精一杯の声を出すと、ゼムはわずかに目を細めた。
それは、厳しい武人が不意に見せた、懐かしむような、あるいは慈しむような光だった。
「……案内しよう。当主、リストール様がお会いになる」
「当主? 当主って、一番偉い人……?」
ヴィーナが首を傾げると、背後から小声の三重奏が聞こえてきた。
「ヴィーナ……これ、断れないやつだ(ナツキ)」
「絶対、断れないやつです(クロエ)」
「マルターレス家の……現当主……リストール様……(エリカ)」
ヴィーナは冷や汗を流しながら、目の前の渋いおじ様を見上げた。
「俺はゼム・バルゼノア。マルターレス家の騎士だ」
男は短く名乗ると、背を向けて歩き出した。
「……ついてこい」
有無を言わせぬその背中に、ヴィーナたちは顔を見合わせ、おそるおそる足を踏み出すしかなかった。
おとうさんに持たされた「普通の短剣」と、おとうさんに着せられた「綺麗なローブ」。
その重みが、アルカディアの乾いた風の中で、急激に増していくのをヴィーナは感じていた。
【次話予告】
マルターレス家当主、リストール。
歴史の重みを体現する男を前に、ヴィーナは一本の短剣を差し出す。
「おとうさんに……リースバルト一族に会ったら渡せって言われて」
その短剣の正体が明かされる時、冷徹な当主の頬を熱いものが伝う。
次回、第3話「六代目当主リストールの落涙」。
大陸の歴史が、今、少女の手の中で動き出す。




