第1話:フォルネリアの余波
第1話:フォルネリアの余波
「……ねえ、レナ。結局、あれって何だったの?」
ラバリーア大陸中央部、アルディア王国へと続く石畳の街道。
初夏の陽光が降り注ぐ中、ヴィーナは歩みを止め、隣を歩く大盾使いのレナを見上げた。
フォルネリアでの騒動から一夜明けたというのに、ヴィーナの頭の中はまだ霧に包まれたままだ。突如として現れた軍勢、自分に向けられた畏敬の念、そして——「ヴァルトニア」という、聞き慣れない、けれど重々しい響きを持つ名前。
「……正直に言うと、私も驚いた。というより、まだ現実感がわかないな」
レナは困ったように眉根を下げ、愛用のドラグーン・シールドを背負い直した。三十歳という年齢に相応しい落ち着きを持つ彼女ですら、昨日の出来事を消化しきれていないらしい。
「ヴィーナってさ……おとうさんのこと、本当に何も聞いてなかったの?」
前を歩いていたナツキが、呆れたような、それでいてどこかワクワクしたような顔で振り返った。十八歳の人間族である彼女は、パーティーのメインアタッカーを務める快活な少女だ。
「うん! 普通のおとうさんだったよ! 毎日一緒にご飯食べて、たまに洗濯失敗して怒られて……本当に普通のおとうさんだったんだから!」
ヴィーナが拳を握って力説すると、背後から「はぁ……」という深い、深いため息が聞こえてきた。
「ヴィーナ様。それは『普通』とは言わないんですよ……少なくとも、あの場所で起きたことを考えれば」
獣人族のクロエが、犬耳をぺたんと寝かせて首を振った。十七歳の彼女はパーティーの良心であり、最も常識的な判断ができるしっかり者だ。
「普通じゃなかったんだよ、おとうさんは……」
「えぇーっ、そんなことないってば! おとうさんはおとうさんだもん!」
頬を膨らませるヴィーナ。そんな彼女の袖を、おずおずと引く手が一つ。
「あの……ヴィーナちゃん。私、少しだけ知ってました」
消え入りそうな声で口を開いたのは、後衛魔術師のエリカだった。十六歳。極度の人見知りで、普段はナツキやレナの後ろに隠れている彼女が、眼鏡の奥の瞳を真剣に輝かせている。
「えっ!? エリカ、知ってるの? 教えてよ!」
「は、はい。ええと……私、故郷の学校で『大陸史』の授業を受けていた時に……ヴァルトニア家について、少しだけ……」
街道の脇にある木陰に腰を下ろすと、エリカは記憶を紐解くように語り始めた。
「ヴァルトニア家は……今から約百八十五年前、KR65年頃に創設された家系です。始祖は、半魔族の伯爵。……そう、大陸史上でも稀な、魔族の血を引きながら人類を守る側に立った英雄……」
「ハンマゾク……? おとうさん、角とか生えてなかったよ?」
「それは比喩というか、血筋のお話で……。でも、一番有名なのはそこじゃないんです。ヴァルトニア騎士団が語り継がれている最大の理由は……『不敗』であること。そして、百八十五年の歴史の中で、騎士団員の『戦死者がゼロ』だということです」
「「…………はぁ!?」」
ヴィーナだけでなく、ナツキの声まで裏返った。
「ゼロ!? 戦死者ゼロって、それ、一回も負けてないどころか、かすり傷も負ってないレベルじゃないの!?」
「はい。どんな絶望的な戦場でも、ヴァルトニアが立てば誰も死なない。『一騎当千』……あるいは『歩く城壁』。それが、大陸史に刻まれたヴァルトニア家の姿なんです」
ヴィーナは目を丸くして、自分の膝の上にある「おとうさん」の記憶を反芻した。
「……でも、おとうさんだよ? 料理だって、最初はびっくりするくらい下手くそだったんだから。お肉焼くだけなのに、なぜか炭にしちゃったりしてさ。フォルネリアで一緒に暮らしてた時だって、お掃除した後に腰が痛いって言ってたし……」
「それ、全部一致してるのがすごいよ!!」
ナツキが身を乗り出してツッコミを入れる。
「隙があるのに、やる時は絶対完璧。それって最強の隠者のムーブじゃん! ヴィーナ、あんたのお父さん、伝説の英雄か何かなんじゃないの?」
「まさかぁ……。ねえ、レナはどう思う?」
振られたレナは、遠い目をして空を仰いだ。
「……普通の顔をして、そういう非常識なことを成し遂げてしまう人だったんだろうな。だがヴィーナ。君が知っている『お父さん』が嘘だとは私は思わないよ。ただ、私たちが思っていた以上に、その背中が大きかったというだけで」
レナの言葉は優しかった。
ヴィーナは、胸元に隠れた「誓いの短剣」にそっと触れた。
おとうさん——レイクスから、リースバルト一族に会ったら渡せと言われて預かっただけのもの。
「……とにかく! エルディナに行けば全部わかるよね。おとうさんに直接会って、『実はすごい人だったの?』って聞いちゃうんだから!」
ヴィーナは勢いよく立ち上がった。
不安がないわけではない。けれど、それ以上に「おとうさん」という大きな謎の正体を確かめたいという気持ちが勝っていた。
「そうだな。まずはアルディア王国を抜けなければならない」
レナが地図を広げる。
「予定通りなら、この先の『アルカディア』を通過する。アルカディアは王国の要所だ。検問は厳しいだろうが、通行許可さえ取れれば問題はないはずだ」
「よーし、出発進行! アルカディアでも、美味しいものあるかなぁ?」
「ヴィーナ、食べ物の話は後! 今度は騒ぎを起こさないように、おとなしく通行許可を待つんだよ?」
ナツキの忠告に、ヴィーナは元気よく「はーい!」と返事をする。
「大丈夫! 今度は気をつけるから!」
「……本当に、どこを気をつけるつもりなんですか?」
クロエがボソリと呟き、エリカが不安そうにヴィーナの背中を見つめる。
彼女たちの視線の先。
ヴィーナが羽織る、白地に銀糸で星と蔦を織り込んだ美しいローブが、風に揺れてキラキラと輝いていた。
それが「マルターレス騎士団の重鎮」しか知らない、大陸の運命を左右する秘紋であることなど、ヴィーナはまだ、微塵も知らない。
「あ、見えた! すごい、おっきなお城……!」
ヴィーナが指差した先。
地平線の向こうに、アルディア王国が誇る堅牢なる城塞都市、アルカディアの威容が見え始めていた。
それが、新たなる騒乱の幕開けであることも知らずに
【次話予告】
アルカディアの門に到着したヴィーナ一行。
照りつける太陽に耐えかね、ヴィーナが外衣を脱いだその瞬間、静寂が門前を支配する。
「……御姿を拝見できて、光栄に存じますッ!!」
突如として平伏する騎士たち。現れた老兵ゼム・バルゼノアに導かれ、ヴィーナはついに「誓いの短剣」を抜くことになる——。
次回、第2話「門前の奇跡と老兵の涙」




