第18話「今度は、あなたと」
第18話「今度は、あなたと」
激しい戦闘の余韻が嘘のように、ヴァルトニア邸の庭園には静謐な月光が降り注いでいました。
先ほどまでの黄金の輝きと黒い雷の交錯が、遠い夢の出来事のように思えます。私は隣に立つレイクスさんの横顔を盗み見ました。若々しい少年の外見をしていながら、その瞳には二百五十年という途方もない歳月の重みが宿っています。
「……レイクスさん、少しだけ、聞いてもいいですか」
私は静かに口を開きました。レイクスさんは視線を夜の庭に向けたまま、短く応じました。
「……何を」
「セラのことを、ずっと守り続けてきたんですよね。……百七十年もの間、あなたの心の中に、彼女がずっといたのだと聞きました」
レイクスさんの肩が微かに揺れました。彼は驚いたように私に目を向け、それから少しだけ困ったような眉の寄せ方をしました。
「……ヴィーナに聞いたか」
「はい。昨日、お話しした時に。ヴィーナ、すごく誇らしそうに話してくれました。お父さんは、ずっと一人の人を想い続けて、その人の約束を守るためにこの家を、この平和を創ったんだって」
ヴィーナの言葉を思い出すと、胸の奥が温かくなると同時に、ちりりとした小さな痛みが走ります。彼女が語るレイクスさんの姿は、あまりにも一途で、あまりにも孤独でした。
「私はセラじゃありません。その自覚は……自分でも驚くほどはっきりと持っています。私の中に、彼女の記憶の欠片があることは、なんとなくわかります。毎晩のように見る夢が、それを教えてくれるから。焚火の温かさや、誰かの優しい声……。でも、それは私にとって『借り物の記憶』に過ぎないんです」
私はレイクスさんの正面に回り込み、その瞳を真っ直ぐに見つめました。
「私はセリス=アルフェリアです。セラとして扱われることを……望んでいません。あなたが、セラを重ねるのではなく、『私』を見てくれることを望んでいます。……それは、わがままでしょうか」
長い沈黙が流れました。風が草木を揺らす音だけが響く中、レイクスさんはゆっくりと、しかし確かな意志を込めて口を開きました。
「……セリス」
その声は、震えていたかもしれません。
「俺は……お前をセラとして見ていない。最初から分かっていた。お前は、お前だ」
「……よかった」
私は、心からの安堵と共に微笑みました。魂の奥底で繋がっている確信はあっても、私は今、この時代を生きる「私」として、彼の隣にいたかったのです。
セリスの言葉は、俺が心の奥底に封じ込めていた「恐れ」を正確に射抜いていた。
俺は彼女をセラだと思い込もうとしていたのか。それとも、セラではないと自分に言い聞かせることで、彼女を失った苦しみから逃げようとしていたのか。
だが、今、月光の下で微笑む彼女は、間違いなく「セリス」という一人の少女だった。
「今度は……あなたと共に生き抜きます」
セリスが、俺の大きな手の上に、自分の小さな手を重ねた。
「どんな運命でも、もう一人にはさせません。セラが……あの時の彼女が、最期まで言いたくても言えなかったことを、私が代わりに言います」
彼女の瞳に、銀色の月光が反射して光る。
「守ってくれてありがとう。ずっと、ずっと……私を、そしてこの世界を」
「……っ」
俺は、言葉を失った。
二百五十年前、名もなき村で出会い、共に過ごした日々。百七十年前、彼女が魂となり、俺の内で語りかけていた時間。十五年前、彼女が転生のために俺の中から消えた、あの凍えるような虚無感。
そのすべてが、この一言で報われたような気がした。
「……俺こそ」
俺の声は、掠れていた。
「お前が……戻ってきてくれた。形が変わっても、名前が変わっても……。こうして、また俺の前に現れてくれた」
俺は、彼女の手を握り返した。二度と離さないという、かつての誓いよりもずっと深く、強い力を込めて。
「セリス。……家に来てくれないか。ヴァルトニア家に……来てくれ」
今度は、伯爵としての義務でも、巫女の保護でもない。俺個人の願いとして、言葉を継ぐ。
「セリスとして。お前自身として、俺の隣にいてほしい」
セリスは、しばらく驚いたように目を見開いていた。それから、その蒼に翠を帯びた瞳を潤ませ、花が綻ぶような満面の笑みを浮かべた。
「……はい。喜んで」
「やったーーー!!!」
感動的な沈黙を切り裂いたのは、植え込みの影から飛び出してきた、騒がしい栗色の塊だった。
「なんか仲良くなってる!! っていうか、プロポーズ!? これってお父さんのプロポーズなの!?」
「……聞いていたのか、お前は」
俺は深いため息をついたが、ヴィーナは全く気にせず、セリスの両手を掴んで跳ね回っている。
「聞いてた! 全部! もう、最高にうれしい! セリスさん、本当にうちに来るのね!?」
「……ええ。お邪魔することになりそうです、ヴィーナ」
セリスが笑いながら答えると、ヴィーナは俺の方を向いて、得意げに胸を張った。
「やったね、お父さん! これでヴァルトニア家も賑やかになるよ! あ、でもセリスさんに変な料理出しちゃダメだよ!?」
「……余計な世話だ」
俺は不機嫌そうに顔を背けた。だが、自分でも気づかないうちに、口元が微かに緩んでいるのを自覚していた。
二百五十年という果てしない旅路の果てに、俺は今、ようやく「明日」という時間を、誰かと共に迎える喜びを知ったのだ。




