Record15:優しい男は損をする。
六月上旬、梅雨明けもまだだというのにすっかり気温は夏場真っ盛りである。幸い教室の冷房は既に稼働済み、授業に支障のある暑さではない。強いて言うのなら、誰かが持ち込んだハンディファンの回転音が耳障りではあるが、そんなことにいちいち苛立つ俺ではない。
何故なら、俺にはアレが控えているからだ。
「ご機嫌そうだね、明桜。何かいい事でもあったのかな」
終業の合図の鐘と同時に米白が席へと駆け寄ってくる。ずっと俺のことを見てたのか、こいつは。怖い。
「あのな、この時期のいい事って言ったら一つだろ」
「ああ、解雪祭のことだね」
「違う。そんなもんで俺が浮き足立つ訳ないだろう」
「冗談だよ明桜。明桜のことだからアレだよね。中間試験でしょ?」
「そうだ、中間試験だ。この高校において定期試験ほど自尊心の高まるイベントはないぞ」
進学校も進学校の志嶺高校では定期試験の結果が全校生徒に公表される。各学年ごとに順位付けされて貼り出されるのだ。
「生憎ボクは試験を楽しみに出来る成績をしていないから明桜に共感は出来かねるかな」
米白はあたかも自分が勉学に優れないかのように話すが、試験の成績は学年上位二十パーセントを常にキープしている。聞く人が聞けば嫌味ったらしく聞こえるだろうが、俺に限ってはそうでない。
入学当初から学年二位の座を守り続けている俺からすれば何のダメージもない。
「それより世間は解雪祭だよ。演劇部も有望な新入生を確保できたからね。今回の舞台は期待してくれて構わないよ」
米白が言うのならそうなのだろうが、そもそも大して興味が無い。
確かに廊下を見ると授業を終えた生徒達が続々と作業に取り掛かっている。
「勉強する気ナシだなアイツらは……先が思いやられる」
「そんなこと言って、明桜だって勉強しないでしょ」
「そりゃあな、勉強なんて俺という高尚な存在には無縁だからな。授業だけで十分どころかお釣りが来るぞ」
「ブレないね。それなら尚更解雪祭に注力して欲しいところだけれど」
米白は俺の机にもたれかかって、細い目をより細くして笑う。
言われずとも俺は解雪祭に力を入れざるを得ない。無論、生徒会役員としてだが。
そもそも解雪祭では部活動や同好会による企画や模擬店が中心で、クラス単位で何かをすることは義務付けられていない。それこそ生徒会に申請すれば可能だが、我がクラス2-Cからは申請されていないのが現状だ。
「言われなくてもやることはやるっての。今日も別所に呼び出されているしな」
ここ数日、生徒会の仕事量は留まることを知らない。別所に関しては授業にすら出ず生徒会室に入り浸っているらしい。そんな身勝手も許されるのが志嶺高校生徒会という肩書きだ。
しかし教育機関としてはそれでいいのか……?
「ごめんね、鏡谷くん! 教室の掃除始めるから机動かしていいかな?」
クラスの女子の一人、いわゆる学級委員長が申し訳なさそうに間に割って入る。黒髪のおさげを揺らす彼女は絵に描いたような「委員長」の姿をしている。縁の太いメガネがよく似合っている。
そういえば今日は掃除の日だったか。俺は前回の当番だったから当分は関係ないが。
「ああ、悪い。すぐに退くよ」
「……米白さんも早く立ち去る準備を」
「ボクにはごめんって言ってくれないのかい、方波見さん」
「言う義理がありませんからね。むしろ鏡谷くんと同等の扱いを受けられると思っているその傲慢さに驚きです」
えらい嫌われようだな。まあ米白自体が良い奴ではないから、嫌われるやつにはとことん嫌われるのも仕方ない。
「それを言われちゃ弱いよ。明桜、行こうか」
折れるんだよな、こいつもこいつで。結構酷い言われようだったと思うのだが、納得しているならいいか。
机上のペンケースと教科書を肩掛け鞄に雑に詰め込んで立ち上がると、
「あっ、鏡谷くん。後ほど生徒会室にお邪魔するかもしれません。その際にはお世話になります」
「あ、そう? 了解。待ってるからね」
生徒会に何か用事があるのだろうか。それとも普通に遊びに……? いや、委員長ともあろう人間がこんなに忙しい時に理由もなく遊びに来るとは思えない、というのは信用しすぎだろうか。
とにかく掃除の邪魔にならないよう廊下へと退避する。
「俺は今から生徒会室に向かうけど、米白はどうするんだ」
「ボクは演劇部に行くかな。流石にこの時期に部活に出ないのは顰蹙を買いかねないからね」
本来この時期は勉強にあてがうべきだ。あと、米白はとっくに周囲からの顰蹙を買いまくっている。
そんな会話を交わしながら廊下を歩くと、2-Eの教室からガラス越しに見覚えのある背中が見えた。一人寂しく箒で床を掃くそいつは何だか哀愁を漂わせている。
「なんで一人で掃除してんだ、佐々木」
「ん、あ、明桜──と演劇部の」
「米白成葉だよ。この前は台本ありがとうね」
「いや全然。なんで一人かって、頼まれたからだけど」
答えになってない。下手くそな箒遣いで終わりの見えない掃除を続ける。駄目だ、見てられない。
「悪い、米白。俺ちょっと手伝ってくわ」
「明桜が手伝うならボクも手伝うよ。とりあえず全員で箒がけを済ませればいいかな」
「いやいや、悪いって。僕が引き受けたんだから僕が責任もって──」
「何時間かける気だ。好意は有難く受け取っておけ」
「ごめん……」
何故謝る。
「そもそも本来の掃除当番は何やってんだよ」
「なんか、サッカー部の顧問に呼び出されてるとか何とか。どうしても外せないから代わってくれって」
本当かよ。体良く利用されただけにしか見えないぞ。
「ちなみに真っ赤な嘘だね。サッカー部は赤点常習犯の巣窟だから、ここ一週間は部活動休止中だよ」
ほらな。米白が言うんなら間違いない。佐々木がお人好しなのは今に始まった話じゃないが、さすがに呆れる。生きるのが下手くそだ。
「ま、まあ、いいんだけどさ。僕が頑張ればいいだけだし」
「それで済んでるうちはいいんだけどな」
掃除用具入れから箒を二本取り出し、そのうち一本を米白に渡す。
掃除をこなしながら、佐々木奏という男についてふと思いを馳せる。
佐々木は昔から損をする性格だ。優しさ故に貧乏くじを引くタイプ。頼まれごとをされれば大抵断らないし、嫌な顔もしない。実に哀れな性分だ。
「まるでべしょりんみたいだよね」
「……断り無く心を読むのをやめろ」
米白の原理不明の超能力にも驚かなくなってきた。
それはさておき、佐々木が別所のようだと表現する米白の考えはわからなくもない。
二人の行動は表面だけで見ればよく似ている。
その精神性だけを評価するのなら俺よりか余程生徒会に向いていると思うんだがな。問題はそれを処理する技量の差なわけだが。
「佐々木はテスト、大丈夫なのか」
「……まあなんとかなるかなって、多分」
「一年の学年末テストの赤点は?」
「……四つ」
そりゃ別所も生徒会に誘わんわな。示しがつかないどころの話ではない。
「この後暇なら生徒会室についてこい。そこで勉強しろ」
「えーいいよ、家でやるし」
「嘘つけ絶対しないだろ。じゃなきゃそんないくつも赤点なんて取るわけがない」
「嫌だぁ! 家に帰ってウソラヴ見返すって決めてんのに!」
本音が出たな。帰すわけにはいかなくなってしまった。
「観念し──」
「ろっ!?」
頭部に衝撃が走る。
「なんで道草食ってんのかなあ、明桜くん! 授業が終わったらすぐに生徒会室に来るように言ってたよね!?」
背後に現れた別所の手には志嶺高校のパンフレットが丸めて握られている。どうやらそれで俺の頭部に攻撃したらしい。
「何も叩くこと無いだろ。紙とはいえ痛いぞ」
「遅れるなら連絡! 電話の一本くらい出来たでしょ!?」
出来たけどしたくなかったとか言ったら怒るかな。怒るだろうな。
「悪かったよ。佐々木の顔に免じて許してくれ」
「ぼ、僕!? えっと、残念な僕の顔に免じて明桜を許してあげて?」
俺別に残念なんて言ってないんだけど。
「……ったのに」
「ん、なに?」
「アタシだって呼んでくれたら手伝ったのに!!」
おう、だったら手伝ってくれ。
結局四人がかりでも二十分はかかった。せめて佐々木に軽く机を持ち運べるだけの腕力があればもう少し早くに終わらせられたのだろうが、ないものを嘆いても仕方がない。
「はい掃除終了! 生徒会室に行くよ!」
掃除用具をさっさと片付けた別所は俺の腕を握り引っ張る。俺を飼い犬とでも思っているのだろうか。
「待ってくれ。佐々木も連れていく」
「え、なんで? まあなんでもいいや、早く行こ!」
佐々木の腕を俺が引っ張り、俺の腕を別所が引っ張る。奇妙な構図の俺たちを、米白は手を振って見送った。
生徒会室前に到着すると、扉の前で佇む少女が目に入る。
「あれ、あそこで待ってるのって……」
「あ! ようやく戻ってこられましたか。私待ちくたびれちゃいましたよ」
言うまでもなく、待っていたのは方波見委員長だった。
「方波見さんごめんね! ちょうど留守にしてて!」
「どうもべしょりんさん。お久しぶりです」
別所と委員長は知り合いらしい。もっとも、別所は知り合いが多すぎるから仲の良さは測れないが。
「ごめん、待たせちゃったみたいで。ちょっと野暮用があって」
白い歯の見える煌めく笑顔で返事をする。今日の俺も美しい。鏡を見ずともわかる、美しい。
自身の存在の出来に惚れ惚れしていると、別所が色味の感じない冷ややかな視線をこちらに向けてくる。別所も俺の魅力に目を奪われたか、そうかそうか。
「鏡谷くんがそうだと言うのなら仕方がありませんが。よろしければ中に入っても?」
「律儀に待たなくても勝手に入っていいのに。鍵開けっぱだし」
それはそれでセキュリティ的にどうなんだ。個人情報を取り扱った書類も結構あった気がするぞ。
「え、何、僕帰っていいやつ?」
「駄目だ、勉強しろ」
「生徒会室に入るのも久しぶりですね。ものの一ヶ月で随分と様変わりしたようですが」
委員長は別所色に変わり果てた会長席を見て苦笑する。目が痛くなるようなラメラメしい会長席には威厳なんてものはない。
「そういえば委員長は前生徒会役員だったっけ」
「はい。残念ながら今回はお声をかけていただけませんでしたが」
「……」
気まずい。内心では声を掛けて欲しかったんだろうな。
「そ、それで、用事というのは?」
俺は数学に取り組む佐々木を隣に委員長の話を聞く。
「はい。ではまずこれを」
委員長が差し出してきたのは解雪祭団体活動申請用紙だった。団体名は、2-C。俺たちのクラスだ。
「……これは?」
「私達のクラスでも何かしたいとの要望が突然多数寄せられまして。急遽申請用紙を書いてきたんです」
そんな話聞いてないが。俺もクラスメイトなのに。
第一、うちのクラスは各々部活動の企画があることを理由にクラス企画は実施しないことに決定したはずだ。
「あれ、これの提出期限って確か先週までじゃなかったっけ」
「ああ、そうだな。佐々木、おまえは勉強しろ」
佐々木の指摘通り、本来活動の申請は先週で締め切っている。それなのに何故今更。
「そのことを足立先生に相談したところ生徒会の面々と直接話すのが筋だと言われまして。こうして交渉に来たわけです」
「……らしいが、どうする別所」
会長席でふんぞり返る別所に目をやる。俺の意見は組織としての示しがつかないため却下だが、多分別所なら──
「別にいいんじゃないかな? それでより解雪祭が盛り上がるなら願ったり叶ったりだし」
やはり。こう言うと思っていた。寛容なのか適当なのか。
「ってことで会長直々に許可は出た。出たが……もう一つ。肝心の企画内容は決まってないのか?」
申請用紙には団体名こそ記されていたが、活動内容欄には未定と書かれ、詳細どころか大略すら記載されていなかった。いくら別所が適当だからと言って、これでは申請が通るはずもない。
「そうなんです。困ったことに、皆さん『何かしたい』とだけ言って具体的な話をしてくれないんです」
「それなら一度クラス全体で時間を取って話し合うべきじゃ?」
「そうしたい気持ちは山々ですが、鏡谷くんもご存知の通りC組の大多数の生徒は一度クラス企画に反対の意向を示しています。それを知った上で皆のお時間を頂くのは気が引けます」
気持ちはわからんでもないが、それでは埒が明かないだろう。
「……そもそもそんな無責任なヤツらの願いを委員長が聞いてあげなくても良いと思うけどな」
「いいえ、私は委員長ですから。それに──」
「私もちょっと青春してみたかったんです」
委員長はどこか堅苦しい、下手くそな笑顔ではにかんだ。
「よーし! そんな方波見さんのために、べしょりんも一肌脱いじゃおっかなーっ!」
別所はご自慢のメガネを輝かせた。一肌脱ぐ前にそのセンスのないメガネを外すべきだと思う。
「一肌脱ぐって、何する気だ」
「あ、いや、別に変なことする気はないよ。それに、明桜くんもだよ、一肌脱ぐのは」
俺もかよ。俺が一肌脱いだら皆興奮しちゃうだろ。セクシー過ぎて。
「ということで、明桜くんに命じます! 明日から方波見さんと一緒に、学校全体が盛り上がるようなクラス企画を完成させること!」
別所は堂々と、大袈裟に言い放った。
「鏡谷くんをお借りしても良いのですか!? 助かります!」
その空気感にあてられてか、委員長も乗り気になってしまった。
「待て待て。その気になっているところで悪いが、生徒会の仕事はどうするつもりだ。両方やれと言われても時間には限りってもんがあるだろ」
「だーかーら、生徒会の方はアタシがカバーするから心配しないでってこと! それに、頑張ってくれればより解雪祭が活気づくんだから、これも生徒会の仕事だよ!」
カバーするって言ったって、今でも激務に追われているんじゃなかったか。しかし、別所はそれを感じさせないほどの涼しい表情を浮かべている。
わからん。だが、別所が言うのなら間違いないのだろう、
「だってさ。どうやら俺は委員長を手伝ったらいいらしい」
「とりあえず明後日までに申請用紙は書き直して提出してもらっていいかな?」
「はい! ありがとうございます、べしょりんさん!」
今更だが、委員長もべしょりんって呼ぶんだな──。
委員長が一足先に帰った後、佐々木の勉強を隣で見届けながら別所と二人で提出済みの企画書の精査を行う。
しかしまあ、なんというか予想通りだが滅茶苦茶な企画書は多い。
ストリップショー、『飲食を伴う接客業』、風俗店……神聖なる学び舎で何考えてんだ。冗談だと思いたいが冗談にしては面白くなさすぎる。そもそもどこの団体だ、こんなもの提出してきたヤツらは。
「現代美術研究会、対人心理学研究会、社会奉仕部……こんなもん即時廃部でいいだろ」
一体何に奉仕する気だ馬鹿。これに時間を割く俺の気持ちにもなれよ。
「あのさ、明桜、さっきから聞こうと思ってたんだけど」
「なんだ、わからん問題でもあったか」
「いやわからない問題しかないけど。それは一旦置いといて。僕が気になったのはなんであんなに猫かぶってたのかなと」
どうやら俺の委員長に対する態度の話らしい。それよりもわからない問題しかないって方が余程気になるが。
「そうだよ。アタシには初めっからずーっと気怠そうに話すのに。アタシにだってもうちょっと優しくしてくれたっていいんだよ?」
「おまえに優しくして何になるんだ。図に乗るだけだろうが。俺は優しくして得があると思ったやつにはそう接してるだけだ」
「明桜って昔からそんなんだったっけ……?」
そんなんとはなんだ。俺も人だ。時間が経てば変化するし、成長もするだろう。
「アタシだって一人の女の子なのにな……」
別所は少しばかり俯いて言った。俺は、聞こえないフリをした。
別所は俺が何を言ったって俺が不利になることを理解した上でその台詞を吐いたのだろう。
まったく、小狡いやつだ。




