Record14:また彼は、何も知らないことを識る。
贅沢とは下品という言葉の反対の意だ、とは誰の言葉だっただろうか。
少なくとも俺はそうは思わない。
品がなくとも贅沢なものは贅沢だ。むしろそれが許されているという事実が贅沢なまである。
俺達は姫路姫里ことヒメの家にお邪魔させていただいているわけだが、彼女の部屋にはテーブルがない。いや、いくつかあるにはあるのだがそれはゲームの台としてのテーブルであって。勉強や食事に使うようなテーブルは置いていないわけだ。
さて、そんな状態で俺達はピザの出前を取りました。問題です、どこで食べるのでしょうか。
正解は、床。地べたに座り込んで、各々が好きなようにだらだらとした空気感の中いただくのである。
男友達と居てもあまり見ない光景だ。行儀はすこぶる悪いしな。
「部屋の所有者的にはこの食べ方でいいのか、本当に」
大きな身体の割に小さな口でちまちまと小動物のようにピザを齧るヒメに問う。
「鏡谷さん。知っていますか。ピザというのは地べたでだらけながら口に運ぶ、それが最も美味しくいただける食べ方なんです。昔の偉い人もきっとそう言っていたと、わたくしは考えています」
多分言ってないぞ、それは。まあヒメが良いんならなんでもいいけど。
「……で、学園のアイドルさん的にはどうなんだ。こんなだらしない姿を晒してもいいのか」
別所は見るからに健康に悪そうな量のチーズが乗ったピザを頬張っている。前も似たような光景を見たような気もする。
「明桜くん、これがギャップ萌えってやつだよ。覚えて帰ってね」
萌え……萌え?
萌え以前にあまりギャップというギャップすら感じていないが。世間一般的女子高生という区分で見ればまあ、ギャップか……?
「鏡谷明桜! さっきから全然食べてないじゃないか! もっと食べたらどうだ! 佐々木、おまえもだ!」
美雨軸先輩は俺と佐々木の口にピザを一切れずつ押し込んだ。
「むぐぅ!?」
佐々木の悶絶する声。喉に詰まらせてなければいいが。
俺は落ち着いて咀嚼するが、無理やりねじ込まれただけあってそれなりの質量だ。ピザってこう詰め込んで味わうものではないと思うのだが、美味いものは美味い。
長い時間を掛けてなんとか嚥下する。
「食べ終わったか? ほら、もう一枚、アーンしろ!」
屈託のない笑顔でピザを片手に迫る美雨軸先輩。
「しません。というか危ないです。俺には俺のペースがありますから、先輩は自分の食事にその手を使ってください」
「あら……?」
同様にピザを片手にこちらへ寄ってきていたヒメの姿が脇目に映る。どうやら同じことを画策していたやつがもう一人いたらしい。
「揃いも揃って何考えてんだ……?」
「二人が何を考えてこんなことをしてるかなんて、本当はわかってるくせに。明桜くんってばずるいね?」
別所はいやらしくも、にまにまとした顔でこちらを見る。
そりゃあ、二人が俺に対して抱いている気持ちはわかっているが。
「いや、そういう意味じゃなくてだな」
「んー? そういう意味って、どういう意味かな?」
ずるいのはどっちだよ。
「あのさー、もう面倒だから率直に聞くんだけど」
佐々木がどことなく気まずそうに発言し、注目を集める。
「ぶっちゃけた話さ、ここにいる三人の女子はみんな明桜のこと好きなの?」
「……随分とぶっちゃけたな、それは」
俺が言葉にしなくとも、佐々木が言ってしまった。
「なーに? 佐々木くん、恋バナしたいんだ?」
「だーれがあんたの恋愛に興味があるか。ただ、空気を読むのが得意じゃないから聞いたんだよ」
「アタシに……興味が無い……!? そんな男子がそこら中にいていいの……!?」
そのうちの一人が多分俺なんだろうな。
それはそれとして、佐々木の発言はあまりにリスキーだ。美雨軸先輩はどうでもいい。当人は俺への好意を隠すつもりもないだろう。
だが、ヒメはどうだ。そもそも俺は二人で遊びに行くことに誘われただけで、告白されたわけではない。佐々木はこの場でそれを発言する意味をわかっているのだろうか。
「私は当然好きだ! 超好きだ! 証明としてこの場で熱い接吻を……」
「交わしません」
二重の意味で唇を尖らせた美雨軸先輩を軽くいなす。ピザの油でギトギトの唇でよくもまあ接吻などと口に出来たものだ。
この人はどうだっていい。肝心のヒメはというと、だ。
「わたくしは……いえ、それを答えるのはやめておきましょう。私には必要のないことですから」
ヒメは微かな笑みを浮かべながら、そう呟いた。否定はしない。俺にはとっくにわかっていた事だが、それは、つまり。
「それはもう答えじゃないのか!? つまり私の恋敵か!」
「聞こえませんでしたか? わたくしは答えません。わたくしの話はここまでです」
ヒメは美雨軸先輩にプレッシャーをかけるようにして、この話を打ち止めにした。瞼の隙間からは憂いの視線を漏らして。
その妙な言い回しに俺は、いや、この場の誰もがその真意を感じ取れないままでいた。
「さあ、次はべしょりんさんの番ですわ。べしょりんさんは鏡谷さんにご好意を? それとも他に想い人がおられまして?」
「アタシ!? そうだよね次はアタシだよね!! そうだね、強いて言うならアタシは──」
「どうせこの女は『みんな平等に愛してるー』とかつまらないこと言い出すって。聞くだけ無駄だって」
佐々木が冷ややかに笑う。別所はこれでもかとばかりに大きな目をさらに見開いて佐々木を凝視する。おそらく図星だったのだろう。
「べ、別にアタシは別に明桜くんのこと恋愛的な目で見てないよ! 今のところは!!」
「まるでいつかは好きになるかのような口ぶりですわね」
「ちがっ、未来のことは保証できないってだけだし!? はい次明桜くんの番!」
目を泳がせる別所は半ばヤケクソ気味に話を終わらせ、俺の元へと誘導した。別所のそれは確実に失言ではあったが、深い意味はないだろう。あまり気にする必要も無い。
「俺は俺のことが好きに決まってるだろ。むしろ俺に好意を抱かない人間は感性がおかしい。もしくは嫉妬に狂っているかだ」
「いや明桜くんが自分大好きなのは知ってるよ。そうじゃなくて、肝心の明桜くんの恋愛模様はどんなものなのかなって聞いてるの!」
ああそういうことか。危うく俺が俺の好きなところ三百連発が始まるところだったぞ。
「待て待て待て! それを聞いたら私が失恋するかもしれないよな!? 私は聞かない! シュレッダーのなんちゃらってやつだ!」
シュレディンガーな。
美雨軸先輩は両手で耳を塞ぎ、目を閉じて蹲る。そもそも俺は告白を毎回断ってるのだから、失恋なんて今更のはずだが。シュレディンガーに喩えるのもおかしいし、多分この人は意味をわかってない。
「俺に好きなヤツなんていないっての。俺が愛しているのは俺だけだ」
「よし、失恋回避だ! スレスレだったな!」
全然普通に聴こえてたみたいだし。
「うんうん、それは建前で、本当は?」
別所は非常にうざったい絡み方をしてくる。顔を寄せ、俺の耳元に口を寄せて。
「ほら、自分に正直になって。今まで会った一番可愛い子を思い出して。ほら、べ……?」
囁くような声で、『誰か』の顔を想像させてくる。
朧気にもそこにいる、誰か。
「……やはり俺か」
「ちっがーう! なんでそうなるの!?」
「生徒会長さんは明桜に何を期待してるんだよ……」
全くだ。俺の好意を別所が気持ち良くなるための道具にされてたまるか。
「好きな人がいないってなら、なんで私じゃダメなんだ、鏡谷明桜。私はお試し期間無制限の格安物件だぞ。3LDK風呂トイレ別、庭付き日当たり良し防音仕様、駅まで徒歩二分の家賃月三万ってとこだ」
「何の話をしているんですか?」
「なんなら一句詠める。『いいんだぜ 抱いても いいんだぜ』──ロックだッ、哭けるぜーッ!!」
「何の話をしているんですか?」
完全に美雨軸ワールドが展開されている。俺も誰も喋る隙を与えられない。
「つまり私が言いたいのは、アレだ。鏡谷明桜、おまえには性欲というものが欠如しているんじゃないのかってハナシだ」
指を立てて、あたかも真面目な話をしているかのような素振りで話すが、目線が俺の下半身に向かっている。よく女性が胸への視線はすぐわかる、と言うが男だってある程度は敏感なものだ。
「わたくしもその点は気になっていましたわ。美雨軸さんからのアプローチに微塵も動揺しないことには少々違和感を覚えますもの」
ヒメまでもが同調する。下世話な話に乗っかるとは微塵も思っていなかった、意外だ。
「いや、明桜は動揺するし、普通に照れるよ?」
「余計なことを言うな、佐々木。先輩も目に品がないです。自重してください」
俺のイメージに傷がつくような発言は控えてもらいたい。
この硬派さと優しさのギャップが売りなんだ。つまり、別所の言うギャップ萌えは既に実践済みという訳だな。流石俺。
「もっと過激な攻め方じゃないとダメ……寝込みを襲うってシチュエーションはどうだろう?」
「それしたら躊躇なく縁切りますからね」
いつものように適当にあしらいながらも、美雨軸先輩の言葉にどこか引っかかっていた自分がいた。そんなつもりはなかったからだろう。
性欲が欠如している、か──。
帰り道、どこまでも着いてこようとする美雨軸先輩を引き剥がし、別れた後。誰もいない静かな道路を佐々木と別所と並んで歩く。乾いた夏風が首筋を吹き抜けて、追い越していく。
「ふーっ……」
佐々木は大きなため息をつく。どうしたものかと聞こうと思ったが、間髪入れず佐々木は続いて口を開いた。
「あーもうやらかしたぁ!!」
佐々木は頭を抱えその場にしゃがみこむ。
「急にデカい声出すなよ、びっくりするだろ」
「絶対地雷踏んだよな僕!? ヒメさん怒ってたよなぁ!?」
今更になって不用意な発言に苦しめられているらしい。
いや、でもあれは、あのもの寂しそうな目は怒っていた……のか?
「アタシには怒っているようには見えなかったけどね。それはそれとして地雷は踏んでたと思うけど」
別所の追撃。直前まで鼻歌混じりにステップを踏んでいた癖に、佐々木の隙には容赦がない。
「そーだよなぁ……僕って本当にこういうとこあるわー……くそごみかす男だわー……」
ネガティブというかナーバスというか。小さいことを気にするやつなのは昔から変わっていない。気にするくらいなら言わなきゃいいのに。
「それよりアタシは明桜くんのことの方が気になったけどね」
「俺のこと?」
「そ、キミのこと。アタシ、前に言ったじゃん。ほら、『キミをアタシに釣り合う男性に育てる』って。もしかして、美雨軸さんの気持ちに応えないのはそのせい?」
別所は俺を別所自身に見合う男に育て上げるために生徒会に引き入れたと言っていた。俺がその気になっているから、美雨軸先輩と付き合わないのかと問うているわけだ。
「んなわけないだろ。単に先輩をそういう対象として見ていないだけだ。あ、もちろん別所もそうだから安心しろ」
「安心ではないね!? 安心ではないけど……じゃあ、なに? 本当に性欲がないの? こんなに可愛いアタシにも惹かれず、ちょっと変だけど綺麗でスタイルの良い美雨軸さんの誘いも断ってさ」
ちょっと変って、何気に自分は変じゃないみたいな言い回しをするな。変な奴筆頭の自覚がないのか。
「あのなぁ、そういうデリケートな話を──」
「僕も話に混ぜてよぉ……なんか告白紛いの台詞も聞こえたし……結局二人がどういう関係なのかさっぱりなんだけど」
佐々木は狼狽えながら俺の服の裾を握る。
「ああ、悪かった。さっきの台詞は別所が俺に服従した証だ、気にすんな」
「尊厳を貶める上とんでもなく雑な嘘だぁ!?」
「うっわ、生徒会長さんってそういう趣味あんの? 否定はしないけどさ」
「アタシ自身が否定するからね!? あとその呼び方やめて!? アタシには『べしょりん』っていうとびっきりの愛称があるんだから!!」
「ぜーったいに呼ばないね! そもそもそのセンスが平成初期なんだよ。そのうちべしょりん星から来たとか言い出すんじゃないのか」
その星の名前は爆発の未来しか見えない。
逆にもう仲良いな、この二人。何か通ずるものがあるのかもしれない。
そうやって呑気にも二人を眺めていると、不意に笑みが零れる。
別所はそれに気付いたのか、花を撫でるような優しい微笑みを俺に向けた。
「でもね、明桜くん。そうやって茶化すのも悪くはないけれど、いずれちゃんと向き合うべき時が来るから。その時は、アタシを頼ってね」
全てを見透かされているかのようなその眼差し。俺の中の何かが微温湯に沈むように、溶けていく。幾度となく襲いかかるこの感覚にどこか不安になる。
なんだ、これは。この感情は。
「あ、カレーの匂い。どこの家だろ」
佐々木の一言で現実に帰る。
民家から流れ出たカレーの香り。乾いた空気とアスファルト、二人の横顔。
また俺は何も識らずのまま、夏が始まる。




