Record12:二と三の差は一にあらず。
「あの……わたくしと、一緒に映画に行きませんか!? 二人で!」
わたくし……?
始業前、体育館裏。いかにもラブイベントの予感がしていたというのに、目の前に現れたのは博打同好会会長のキサト。
まずその一人称はどうした。ジェンダーがどうとか性差別がどうとかとやかく言う気はないが、いくらなんでも昨日までは「俺」と言っていた男が「わたくし」というのはちょっとおかしい。
それにだ。
俺はデートに誘われたのか?
男子生徒である、キサトに?
いや、今までそういうことが一度もなかったわけではない。同性からも性的な目で見られるほどに、俺はかっこよくて、美しくて、魅力的なのだ。
でもそれはそれだ。キサトに言い寄られるのは流石に変だ。
「なんだその喋り方は。っつーかなんでおまえと映画に行くんだよ。俺はおまえと仲良くなった覚えは無いし、男とデートする趣味も──」
いや待て、よく考えろ。こういう時は大抵前提が間違っているものだ。
キサトとは昨日が初対面だった。もしかしたら顔を合わせたことくらいは何度かあるかもしれないが、会話という会話をしたのは昨日が初めてだ。それは間違いない。
じゃあ、間違っているのは。
身体は大きいが、筋骨隆々としている訳では無い。よく見れば細い首に、左手の指先にはネイル。男子にしてはほんの少し高い声。
ただどれもこれも決め手には欠けるが、一つの可能性には辿り着ける。
「……もしかして、女子か、おまえ」
「正解です。わたくし姫路姫里、二年E組所属の女子生徒ですわ」
やはりか。
思い返せば、別所は一度だってキサトを「くん」付けで呼んじゃいなかった。キサトが女子という確信は無かったが、男子という確信も無かった。それだけの話だ。
それは別に良い。
「おまえが女子なのは良いが、なんでまた俺とデートなんだ。昨日までそんな素振りなかっただろ」
「それは、なんと言いますか……」
キサトは言葉を濁す。
「言いづらいことなのか?」
「いえ、そういうことではございません。ただ、信用していただけるかどうか定かではないもので……」
「嫌じゃないなら話してもらえると助かる。じゃないと俺としては──やりづらいというかだな」
危うく「気味が悪い」と言いかけたが、すんでのところで思いとどまった。
俺は配慮の出来る男だからな。下手なことを言うもんじゃない。
「そうですね……どちらにせよいずれ言わなければいけないことでしょうから。わたくし、いわゆる多重人格なんです。男性の人格と、女性の人格の双方を持ち合わせておりますの」
多重人格……といえばあれか、クシャミとかで人格が切り替わったりするアレ、というのは少し感性が古いだろうか。
「……確かに、にわかには信じ難い話だな。でも昨日の態度があんなだったのに、今は育ちの良いお嬢様って喋り方だしな。信じない方が不自然だ」
キサトは左手を口に添え静かに笑う。動作までお嬢様かよ。
「でも、ちゃんと記憶は共有しているんですよ。昨日のご迷惑、どうぞお許しくださいませ」
「あー、いいって謝らなくて。俺にはよくわかんねえけど、おまえの意志では無かったんだろ。そもそも迷惑とも思って……」
思ってないこともない、が。わざわざそんなことを引きずるほど子供でもない。
「それにしても、もう一人のわたくしは酷いとは思いませんか? わたくしが大事に持っていた映画チケットを勝手に差し上げてしまうだなんて」
ここにきて昨日のキサトが言っていたことのようやく意味がわかる。「大事に持っておけと言われた」ってのは自分自身にか。
「……返却の催促か?」
肩にかけた鞄の中からチケットを保管している財布を探す。水筒、筆箱、教科書、裁縫セット。至るものが邪魔をして中々見つからない。
「ああいえ、そういう話ではなくて。ただ、当初の予定ではあのチケットを口実に鏡谷さんを映画にお誘いしようと考えていましたの。ただ、わたくしが目を覚ました時には既に手元から消えていまして。要するに、ただの愚痴なんです」
彼……いや、彼女ははにかんで笑う。表情豊かなのは昨日もそうだったが、今日のキサトはなんというかお淑やかで、まるで別人だ。
「でもそういうことならこのチケットは返す。俺にはちょっと荷が重いからな」
当然そんなものはただの口実だ。厄介事を避けるためにも軽々しく女子と二人で出かける訳にはいかない。
色々な思いが交錯しながらも、半券がついたままのチケットをキサトへ差し出した。
「……そうですか。仕方ありませんね……ではこういうのはどうでしょう。二人きりではなく、他の方もお誘いして遊びに行くというのは」
そこまで譲歩してまで俺と遊びたいらしい。
健気と言うべきか、はたまた豪胆と言うべきか。
その気持ちに応えてやりたいという思いはある。だがそれはあくまでも俺の中に内在する良心の話だ。決して恋愛感情ではない。それどころか、性欲ですらもない。
きっと今のキサトはまだ親睦を深めようとしている段階に過ぎない。それは今の話だ。確実にキサトはもっと先を想像し、夢を見ている。辿り着くはずのない、理想郷を探す旅に出る彼女の背中を押すのはあまりにも──。
「……言っておくが、俺は全く気を遣ってやらないぞ。キサトが俺をどう思っていようともだ。それてもいいのか?」
俺の本心とは裏腹に、そんな言葉が飛び出た。
ああ、駄目だ。しまった。
じわじわと熱を上げる太陽が、俺を責めている気さえした。
きっと俺がほんの少し気を許してしまったのは良心なんかじゃなかったから。
キサトへの好奇心。
俺は性欲なんかよりもよっぽど濁った、邪な理由で彼女に歩み寄ったんじゃないのか。もしキサト自身が多重人格であることをコンプレックスにでも思っていたなら──最低だ。
「まあ、その気になってくださったのですね。それでは今週末の土曜日などいかがでしょう。わたくしはお一人お誘いしますから、鏡谷さんもどなたかお一人お誘いになってください」
俺の自責などつゆ知らず、キサトは言葉尻を上げながら饒舌に喋る。到底今からやっぱりナシだなんて言える空気ではなかった。
「わかった、考えとくよ……それじゃあまたその都度頼む」
俺が教室に戻ろうとした途端、腕を捕まれ強い力で引き戻される。
「ま、待ってください! 行く前に、あの、連絡先の交換を……予定を組む際に必要でしょうから」
キサトは恥ずかしそうに目を逸らし、顔を赤面させる。乙女らしい表情を見せる度、昨日のキサトの姿がフラッシュバックしてしまうが、別に俺は悪くないよな。
正直に言えばあまり連絡先を気軽に交換したくはない。俺の連絡先は値千金。文字通り金を払ってでも欲しがるやつすらいる始末だ。そのくせ他人を介して広まっていくもんだからたまったもんじゃない。
でもまあ、必要か。
仕方なく、という思いが全面に出ないように気をつけながら、キサトとの連絡先の交換を済ませた。
「アカウント名、Himeno。これがキサトで間違いないか?」
「はい。それがわたくしです。それとおひとつだけ、いいでしょうか」
突然にキサトは俺の耳元に近づき、吐息混じりの優しい声色で囁く。
「今のわたくしは、『キサト』ではなく『ヒメ』と呼んでください、ね?」
残念ながら俺はそんなもんじゃ落とせないぞ、ヒメ。
時は約束の日、土曜日。陽射しに暖められ、カラッとした空気が肺を満たしては宙へ消えていく。それくらいに気持ちの良い天気だ。休日を満喫するにはうってつけ。
本音を言えばもう少し寝ていたかったが、仕方ないと割り切る他ない。
折角こんなにも良い天気なのだからと、少し気が逸って集合時刻の三十分前に到着してしまいそうだ。おかげで眠い。
そうして駅前にたどり着く。まだ五月だというのに気温は三十度近いものだから、直射日光を浴びてこれから三十分を待つのは流石に辛い。駅構内へと続く階段横の日陰で身を休めようとした時、そこには既に先客がいた。
白いノースリーブのワンピースを纏い、顔を隠すように俯く少女──さらに言えば、頭部には大きな丸メガネを乗せた少女だ。
そんな奇抜な格好をするやつには心当たりしかない。
「やっほー! 明桜くん、早いね!」
「……なんでおまえがいる?」
別所だ。
「え? トーゼン、誘われたからに決まってるじゃん。それとも、アタシが来ると嫌だった? デート
のお邪魔だった?」
ニヤニヤと脇腹を突っついてくる。
キサト──いや、ヒメの方か。あいつ、よりによって別所を誘ったか。他の女子であれば制御も効くってものだが。こいつに限っては何をしでかすかわからん。
「デート、って言い回しからしておまえはキサトが女子だって知ってたのかよ」
「生徒会長たるもの、当たり前だよ! でもほら、今は多様性の時代だからね。色々気をつけてるんだよ?」
ふーん、こいつがねえ。
確かにキサトの名前を全然、全くと言っていいほどに呼んでいなかったな。キサトさん、ってのも別所の性格上変だし、呼び捨ても馴れ馴れしい。
「それはそれとして明桜くんの私服、超唆るねっ」
別所は俺の全身をまじまじと見つめて、少し抵抗のある評価を下す。なんだよ、唆るって。
もっと具体的に言え。もっと具体的に褒めろ。崇めろ。
俺の今日の服装はタイトなデニムに白Tシャツ、黒の無地ジャケットを合わせたシンプルな組み合わせだ。いわゆる素材の味を活かすのにはうってつけ。俺のスラッと伸びた美の象徴たる脚もその真価を発揮していることだろう。
「ンだァ? もう来てンのかよ」
三人目。まだ集合時間には程遠いというのに続々と集まる。しかし、現れたのはお呼びでない人物だ。
頭をポリポリと掻きながら大きな欠伸をする、彼女、及び彼。だらしなく伸びた前髪を掻き分け、鋭い眼光を曝け出す。
「……キサトか」
「おォ、そうだ正解だ、俺ァキサトだ。残念だったなァ、ヒメの方じゃなくて」
現れたのはキサトであってヒメではなかったわけだ。どういうシステムやトリガーで人格が切り替わるのかは知らないが、何故おまえなんだとは言いたくもなる。
「残念かどうかは置いといて、もう既に今日の目的が見失われつつあるんだが」
「仕方ねェだろ、起きねェンだよアイツ。俺ァ別に不利益被る訳じゃァねェからどうでもいいけどなァ」
キサトは意味ありげに別所の方に視線を向ける。別所を誘ったのはヒメじゃなくキサトだったか。となると、今日キサトがキサトとして現れたのは意図的か。もしそうだとすれば、俺の休日を返して欲しい。
集合時刻まであと二十分以上を残して三人が集まった。残りは俺が誘った一人を待つだけだが──。
十分。
二十分。
そして、三十分。
「──遅っせェ!」
約束の時間を過ぎても一向に姿を見せない最後の一人にキサトが苛立ちを見せる。
何かトラブルでもあったのだろうか。
仮にそうであっても、俺はその人の連絡先を知らないものだから確認のしようがない。つまり信じて待つしかないわけだ。
しかし暑い。ジャケットを着てきたのは失敗だったかもしれない。かといって三十センチ大のウエストポーチに収納出来るはずもなく、脱ぐのもはばかられる。
別所は涼しそうな格好で羨ましい。白くてか細い腕に小さな革バッグを吊り下げて、一人夏ムードを満喫しているかのようだ。
「ところで明桜くん、呼んだ人って誰なの? 米白くん……ではなさそうだけど」
俺も初めは米白に声をかけた。が、断られた。
米白ならとっくにメールの一通や電話の一本くれているだろう。そもそもあいつは遅刻なんてするタチじゃないが。
「っあー……それはだな、とある先輩なんだが……」
「おお早いな! 鏡谷明……桜……」
息を切らして駅の階段から駆け下りてきたのは何故かギターケースを背負っている金髪の女性、美雨軸先輩。軽音部部長で──俺のことを恋愛的に好いている。
何を隠そう、米白を誘って断られた理由はこの人である。
『誘うなら美雨軸先輩を誘うべきだよ。だって不公平だもん。少なくともボクが知る中で一番強く明桜にアタックしてるのに、他の女の子とだけは遊びに行くなんて。もちろん明桜にその気があるならそれでもいいんだけど──多分別の理由だろうからね』、なんて言ってたっけか。
今週末遊びに付き合ってくれとしか告げていないのに、全てを把握していて恐ろしかったよ俺は。
「随分な荷物ですね。なんですかそのギターは。今から行くのはスタジオじゃないんですよ」
「そりゃギターと私は一心同体だからな──じゃなくて、ちょっと待て、鏡谷明桜。そ、そこの二人は? べしょりんと、えー、誰だ、知らないけど、え?」
美雨軸先輩は目を丸くして別所とキサトを見つめる。知らないとか余計なことまで口走る始末だ。
「おいおい、俺もあんたのことなんて知らねェけどよォ。遅れてきた身なんだからまず謝ンのが筋じゃねェのかよ」
「え、遅れ……いや待ってくれ。一つずつ聞かせて貰って構わないか? まず、私は今日鏡谷明桜にデートに誘われたと思って来たんだけれども」
「誘ってないです。デートには」
美雨軸先輩に衝撃が走る。膝を着いてわかりやすく落ち込みだした。
いや、何故そんな勘違いをしているんだ。
「いや、だって……アレだろ? 私がこんなに強く交際を迫ってんのにさあ……流れ的に声掛けられたらデートだと……嬉しいんだけれどもさあ……」
すっかり落胆の渦に飲み込まれ、あれだけお怒りだったキサトの目はすっかり哀れみに満ちている。
「まァ、なんだ、その、元気だせよ。遅刻の件は不問にしてやるからよォ」
お赦しまで出る始末。見てられない。
「そう、遅刻ってのも……私は十二時集合だと思ってたからあ……」
口約束の弊害がモロに出てるな。どうせ誘われたことに浮かれて話を聞いていなかったんだろう。むしろ二時間も早くに現れたことの方が不思議だ。
「まあまあ、過ぎたことだから! それにアタシは美雨軸さんと遊んでみたかったから嬉しいよ?」
別所がすかさずフォローに入る。
「べしょりん……我が恋敵ながら……愛すべきヤツめ……!」
立ち上がった美雨軸先輩は別所を抱き寄せ強く抱擁した。胸に埋まった別所がもがく様は中々滑稽だ。
携帯電話を取り出し、一枚写真を撮る。あとで馬鹿にしてやろう。
「なんだっていいけどよォ、そろそろ向かった方がいいんじゃねェのか。ただでさえ予定より遅れてンだろ」
「いやまあ、別に焦る必要はないと思うが──」
言いかけた時、キサトの目が何かを訴えているのを感じた。「暑いんだよ早く涼しい所に行かせろ」と高くから見下ろしている。
よく見れば俺以上の厚着で、体を覆い隠すようなトレーナーの下にも二枚は重ね着しているように見える。春どころか冬ばりのファッションだ。暑いのも当然と言えよう。
「おい別所、そろそろ行くぞ。時間が押してる」
声をかけると、別所は慌てた様子で美雨軸先輩の腕下から頭を抜いた。
「ちょ、ちょっと待って。すぐ行くから!」
「鏡谷明桜、何故私の名前は呼んでくれないんだ!!」
心底どうでもいいと思いながらも、俺とキサトは一切待つことをせず、正面の横断歩道へと足を進めた。
せいぜい徒歩三分。映画館の場所は、便宜上駅前とは言ってはいるものの、精密に言えば駅前ではない。駅前の道を跨いだ、一本奥の道、寂れた商店街沿いに小さな映画館がある。俺は数回訪れたことがあるが、上映のラインナップが街の中心部に比べると随分貧相だったことをよく覚えている。
最近は地元で遊ぶことを避け、めっきり行かなくなってしまったが、悪い所じゃない。
「鏡谷明桜、一つ聞きたいんだけどもいいか」
映画館へと向かう途中、意地でも俺の隣を死守する美雨軸先輩が訝しげな顔をしながら俺へと問いかける。
「なんですか、美雨軸先輩。変なことじゃなければ答えますが」
「そうそれだよ、それ。その『先輩』ってやつ。初めに会った時は確か私のことを『美雨軸さん』って呼んでなかったか」
「ああ、確かにそうでしたね」
「なんか他人行儀で嫌なんだ。ほら、恋人に先輩とは付けないだろ?」
平気な顔で何を言ってるんだこの人は。
「俺は先輩の恋人ではないしその予定もないので。それに、先輩の場合はこうやって呼び方で関係性をはっきりさせておくべきだと感じていますんで。したがって先輩は先輩です」
俺の爽やかスマイルの使い時だ。不都合は大抵誤魔化せる。
実際の話、この先輩呼びが距離感の線引きに有効かは定かではなかったが、美雨軸先輩にはちゃんと意味のあるものとして受け取って貰えたようだ。
好かれる分には構わないが、度が過ぎると後に響く。ストーカー化なんてされたらたまったものじゃない。
映画館に着くと、キャラメルの甘ったるい匂いと冷気が俺たちを優しく迎え入れた。
「うあー、涼しーっ……」
キサトが快感に満ちた低音の声を漏らす。真夏でもないのに冷房を全力で稼働させているようで、むしろ汗が一気に冷えて寒いまであるが、暑いよりはマシだ。
館内は意外にも人が多い。といっても大手ショッピングモール併設の映画館に比べれば閑散としているが。
その中に一人、待機用の椅子に腰掛ける見慣れた顔の男がいた。寝癖がピンと立ったまま、いかにも寝起きで来たのだと言わんばかりの髪の毛。スマートフォンを横向きに持って、何かしらのゲームをしているらしいメガネの男子。
「おーい、佐々木!」
「うぇ、明桜!?」
俺の中学時代の同級生であり、文芸部部長である佐々木奏だった。
佐々木はスマートフォンをリュックサックにしまい込む。
「奇遇だな。今日は吉田は一緒じゃないのか」
吉田。文芸部の活動中に、異様な距離感で佐々木に絡んでいた、またもやメガネをかけている女子生徒だ。前回ファミレスにて二人でいるところを目撃したものだから、てっきり今回も一緒だと思ったのだが。
「あのなぁ、僕と吉田が四六時中一緒にいると思ってる? 生憎独りだよ」
なんだか言葉が普通より一層寂しく聞こえたのは気のせいだろうか。何故だろうな。
「それで? 明桜はデート中?」
「違う。あくまで友達として──いや、友達でもないな。親睦を深める会だ」
「そこまで否定してやらなくてもいいだろ。んで、その限りなく他人に近い人達、なんか変な人に声掛けられてるけどいいのか」
「え?」
佐々木に言われて振り返ると、別所と美雨軸先輩に目の痛くなるような色の服を着た男が近づいていた。いかにも柄が悪いが、見た目だけで判断するのは良くない。俺は見た目だけで判断されても大抵困らないが。
「んー、別所なら心配ないと思うがな。まあ念の為見に行くぞ」
「え、僕も!?」
佐々木を半ば強制的にパーティーメンバーに加え、別所らの元へと向かう。
そして、声が聞き取れるだけの距離で足を止める。
「だーからさ、俺と一緒に映画見ようって言ってるだけじゃんよ?」
案の定ナンパだった。男の口ぶりからしてどうにもしつこく話しかけられている様子だ。止めるべきかとも考える。しかしまともな人間がいきなり別所に話しかけるというのは相当の勇気を要するだろう。それを邪魔するというのは如何なものか。
まだどうするか決めるには時期尚早、もう少しだけ静観するか。
「ケッコーだって何回言ったらわかるんだよ。私は既に心に決めた通じ合っているヤツがいるんだ。おまえらとは比べ物にならないくらいの超絶イケメンなんだからな」
美雨軸先輩の言う通じあっている相手とはまさか俺の事ではないだろうな。まさか、そんなわけ。
「いやいや、俺も結構イケてるじゃんね。ほら見てよこのピアス。八万よこれ」
男は色ムラのある金髪を手で避けて、黒い岩のようなピアスを見せつけた。少なくとも言えることは全く似合っていない。ファッションは個人の自由だけれども。
「アタシの魅力に気付くそのセンスは褒めてあげるけど、その態度はちょっと減点かな。アタシとデートしたいならもっと高得点を出せるようになってからだね!」
「じゃあその魅力的な男になるためにどうすればいいか教えてよ。手とり足とりさ」
下賎な眼をした男の手が別所の腕を目掛けて伸びる。
「流石にそれは、おいたが過ぎるな?」
男の腕が別所に届く前に、それを遮った。これが最も格好の良いタイミングだったのではなかろうか。もしこの世界がラブコメなら最高の見せ場だろう。俺ならときめくだろうな。
「なんだテメーはよ。今お取り込み中なのが見えないわけか?」
「私の鏡谷明桜に向かってテメーとはなんだ! ギターピック鼻にねじ込むぞ!」
うわ、びっくりした。急にエンジンかかるじゃん美雨軸先輩。そもそも、先輩も初めは『おまえ』呼ばわりしてたよな。どの口が言ってるんだろう。
美雨軸先輩が大きな声を出すものだから辺りも騒然としてきた。いやに目立つ。
「なんだよ、こいつがその男かよ。まーいい、その子はくれてやる。俺は初っからそのメガネの子がイイと思って声掛けてんだ。二人は消えてくれて構わねーからさ、ほら行った行った」
男はあっちに行けと追い払わんばかりに手を振り、払う。
「あのなぁ、不本意ながら一応別所も連れなんだよ。持ってかれちゃ困る」
「不本意!? このアタシと一緒が!? アタシだよ!? 泣く子もときめくべしょりんだよ!?」
あーあー、聞こえない聞こえない。
「なんだよテメーは人の恋路を邪魔するのが趣味なのか? 男らしくねーな、顔だけのテメーより俺のがよっぽど魅力的な男だぜ」
男が鼻で笑い、そんな言葉を口にした。
男らしくないだとか、自分のが俺より魅力的だとか、馬鹿なことを抜かしている。
「んなわけ──」
反論しようと声を上げた美雨軸先輩の口を抑える。こればかりは俺が自分で言わなきゃならない。
鏡谷明桜の名にかけて。
「冗談きついぜ、アンタ。どの面下げてこの俺より魅力的だなんて妄言吐けるんだ」
「はぁ? なんだいきなり」
「そうだな──アンタは自分の良いところをいくつ言える?」
「何言ってんだテメーは? んなもん知らねーよ」
「そうか。自分の長所も理解していない男が俺のことを下に見ているのか。笑止千万、恥を知れ」
俺は失笑した。哀れだ。こういう根拠のない自信で恥を曝す様は何度見ても滑稽で、見てられないまである。
「うるせーぞ! どうせ安モンの服着てるクセによ!」
「安物だからなんだ。よく見ろよ、俺という素材が引き立つ良い着こなしだろ? それに比べてアンタ、服に着られてる。アンタが服の引き立て役になってるぞ」
第一、初めにアピールするのがファッションの金額だというのがイケてる男にあるまじき行いなのだ。財力も一つの魅力だが、さりげなさが無ければはしたないだけだ。
「テメー! 侮辱のつもりか!?」
「ああ、侮辱のつもりだ」
「っ、殺す!」
物騒な言葉と共に男は拳を振り上げる。
「おまけに暴力に頼る短絡的な思考回路か。もう少し自己評価を改めた方がいいぞ」
「うるっせーってんだよ!!」
拳が眼前へと迫る。これくらいなら躱せる────
「なーにやってんの、オイ」
躱すまでもなく、その拳は野太い声によって動きを止めた。
「ねっ、ネモさん!」
男が恐れを織り交ぜた、震えた声でそいつを呼ぶ。御手洗から姿を現したそいつは、Tシャツが張り裂けそうなほどの筋肉を携えた、褐色の巨漢であった。
強力な助っ人にも見える。もし取っ組み合いの喧嘩にでもなれば流石に分が悪い。
だが、何故。何故キサトがそいつの隣にいる。
「なンだァ? 喧嘩してンのか? 治安悪ィなァ」
キサトは心底興味が無さそうに欠伸をする。
「オイ、おれは別におれの名前を呼べなんて言ってねーぞ。おれが聞きたいのはその拳をヒト様に向けてるそのワケだけだ」
どういう訳か、巨漢──ネモ?だっけか。そいつはチンピラじみた男に対し静かな怒りを向けた。
「それは、その、売られた喧嘩を買っただけで……」
「本当にそれだけか? おめぇが先に失礼働いたとかじゃないだろうな。おれは嘘つきには容赦しねえ主義だぞ?」
指をポキポキと鳴らしながらその巨漢は男を詰め続けた。
「あーっと! ゴメンね! アタシ達もほら、煽っちゃったから! だからそんなに怒らないであげて!」
二人の間に割って入ったのは別所だった。
「ほら、明桜くんも謝って! この人怒らせた張本人でしょ!」
「ええ、俺? なんで?」
俺が悪いの? いいや、悪くない。
「あ・や・ま・っ・て!!」
「わ、わかったよ。悪かったよ、俺も調子に乗ったよ、すまん」
別所に気圧されて心にもない謝罪を口にした。いくら場を治めるためだとはいえ、なんで俺がこんな薄っぺらな男に謝らねばいかんのだ、まったく。
「本当にすまなかったな。こいつのことはキツく叱っておくから許してやってくれ。ほら、おれ達は帰るぞ」
「え、映画観ないんスかネモさん! チケット買っちゃいましたけど!?」
「こんな騒ぎ起こしておいてのうのうと映画観れるかよ。それともなんだ、姐さんに報告って欲しいのか?」
「堪忍してくださぁい……」
巨漢はすっかり萎縮した男を引きずって、映画館の出口へと消えていった。
それと同時に集めていた衆目も散らばり、平和が訪れた。
「迷惑な輩もいたものだな。私と鏡谷明桜のランデヴーを邪魔しようとは」
「で、キサトはさっきのゴツいヤツと知り合いだったのか? 御手洗から一緒に出てきたが」
美雨軸先輩の妄言はどうでもいいとして、そちらの方が気になる。
「あァ、それはな、ションベン行った時によォ、あいつ俺がハンカチ持ってねェの見て、買ったばっかのハンカチくれたンだよ。知らんヤツだったが良い奴なンだろうなァ」
キサトは片手にハンカチをチラつかせる。某有名高級ブランドロゴが見えた気がするが、多分気のせいだろう。そんなもの、見ず知らずの男(仮)にあげるわけないもんな。
「つーかおまえ、男子トイレ使うのかよ」
「別にいいだろ、心は男なんだからよォ。ンで、誰だその軟弱そうなメガネは。さっきまでいなかったよなァ」
キサトは輪の端にいる佐々木を見下ろして下品にも指を指す。
「あれ、佐々木くんじゃん。奇遇だね、今日は一人? 吉田ちゃんは?」
「生徒会長さんまで僕が常に吉田といると思ってんの? 一人だよ一人」
「一人で映画だァ? なンつゥ寂しいことしてンだァ? 普通映画館ってダチとかと来るもンじゃねェの?」
キサト、おまえ……。悪意があるのかはわからないが、絶対に必要のない発言だっただろ。デリカシーがないのは薄々気付いていたが。
「なあ明桜! なんかおまえの知り合い変なやつしかいないんだけど! もう少し、なんていうの? 配慮とかないわけ?」
佐々木はコンプレックスを刺激されたのか、若干涙目で憤る。
変なやつ、という点では佐々木も似たようなものだと思うが。
「へえ、鏡谷明桜の友達……つまり、仲良くすれば鏡谷明桜のことをより知れるということか!? よし、仲良くしよう!」
一方的に佐々木の手を取り、美雨軸先輩は固い握手をした。まあ仲良くするのは勝手にすればいいが──トラブルを招く気しかしない。
「まァなんでもいいンだけどよ、そろそろチケット買わねェ? さっきから下らねェことに時間割きすぎだろォが」
「いや、そもそも明桜とアンタの男子陣が女子二人から離れなきゃナンパもされなかったんじゃ?」
佐々木が痛いところを突く。これには普段語気の強いキサトもだんまりだ。
「そもそも何が観たいんだ。話はそこからだろ」
早急に話を逸らす。俺も痛いから。
「アタシこれ観たい!学園青春ラブストーリーだって!」
別所は壁にかかったバナーを指さす。夜空を見上げる制服姿の男女と『ホシフルヨルニ、あのヤクソクを』というタイトルが描かれている。「交差する想いは、二度とは交わらない──」などと不穏なコメントを添えて。
「いや待て鏡谷明桜! 見ろこれを!『ダーリン・ダーリン・ダーリン』の再上映だ! 人生で一度は観ておくべきだと思うぞ!」
有名すぎて観たことあるぞ。
「俺ァ断然『雀の城』だがな。荒廃した銃社会で麻雀の腕一本を頼りに生き抜く男の半生を描いた超ハードボイルドな西洋映画だとよォ」
もはやハードボイルド風味のギャグだろその設定は。
各々が自由に主張をする。こんなにも好みが違う上、誰も他に合わせる気がないのが逆に素晴らしい。
「よーし、こうなったら明桜くんに決めてもらおー!」
丸投げしやがった。意見の割れた今、どれを選んだとて角が立つ、そんな役回りだ。
まさか、今までもこういう汚れ役を押し付けて自分の地位を保ってきたんじゃないのかこいつ。
「俺か、そうか、俺はだな──」
三者の目は、切望、期待、脅迫のそれぞれを持ち合わせていた。
もう全員自由に観たいやつを観ればいいんじゃないのか。俺はそれでも構わない。
「──そうだ、佐々木は何を観るんだ」
「んえ、僕? 僕はこれ、『ウソラヴ』。ラブコメ漫画の実写化作品だよ」
「あ、じゃあそれで。折角だし一緒に観ようぜ。いいよな?」
即決した。別にその映画に興味があった訳では無い。ただこの選択が一番楽だったというだけだ。さらに言えば最も上映時間が近い映画がそれだった、というのもある。
「私は鏡谷明桜が観たいというならそれでも構わないぞ。それに『ダーリン・ダーリン・ダーリン』は二人きりの時に観ればいいからな!」
「いや絶対その映画はやめといた方がいいって! アタシの勘がキケンを感知してるから!」
「奇遇だなァ、俺もそんな気がするんだよなァ……」
別所とキサトは乗り気じゃない。しかし、ここまで強く否定されると逆に強行したくなるのが人の性。むしろ観てみたくなった。
「今から佐々木が観るって言ってんだから、そんなネガティブなこと言ってやるなよ」
「ん、僕もこの映画は観ない方がいいと思う。絶対面白くないし」
「ええ……」
佐々木、おまえがネガるのか。
「大体ラブコメの実写化が面白くなるわけないだろ。大して演技力もないアイドルなんかが主演やってるんだからさ」
佐々木が止まらない。本当になんで映画館まで足を運んだんだこいつは。
「ちょっと! アイドルは演技が出来ないみたいな言い方やめてよ!」
「別にあんたのこと言った訳じゃないだろ!? そもそも別にアイドルじゃないし!」
「あっ、そういうこと言うんだ!? この学園のアイドルたるアタシに向かって!!」
別所と佐々木がくだらないことで噛み付き合う。俺の知っている佐々木はもっと丸い性格で、とにかく「ごめん」が口癖だったのだが、人ってのは変わるものなんだな。余計なことをすぐ口走る癖は治っちゃいないが。
「ところで鏡谷明桜、先ほど輩に対して『自分の好きなところをいくつ言えるか』と質問していたな。実際のところ、鏡谷明桜はいくつほど言えるのか、私は気になったぞ」
「それ、今聞くことですか? そうですね──」
何の前触れもない質問だった。しかし、それを期待していた自分もいた。いかに俺が俺を理解しているかを知らしめるチャンスだったからな。
「──俺なら、二百は堅いですよ」




