零細
鈴木貴子の家を後にし、我々は急いで千葉県の船橋市に向かった。
「貴子さんはよく承知してくれましたね」駅に行く道の途中で私は村田さんに言った。
「ええ、殺人だと分かれば協力してくるだろうと思ってました。怒りの感情は時にすごいパワーを発揮しますからね」
全て村田さんの計算だったのだ。おそらく単に面会の話だけなら貴子は首を縦に振らなかっただろう。事故ではなく殺人かもしれないとほのめかす事で貴子の心の中に怒りの炎を芽生えさせたのだ。何というち密な計算なのだろう。人を動かすとはこういう事なんだろう、またしても探偵という仕事の奥深さを村田さんに見せつけられた気がした。
途中、船橋駅の駅ビルの中で昼食をとり、貴子に教えてもらった住所にたどり着いた。成城の貴子の家を出発してから三時間が経過していた。教えられた住所にあったのは小さな部品工場だった。清水安男はこの小さな部品工場を経営していたのだ。工場のシャッターは我々の訪問を拒むかのように閉められていた。工場の脇にはオイルの一斗缶の中に鉄の削りカスが山のように積まれていた。村田さんはすぐに近所の人に聞き込みをかけた。近所の主婦の話によると、経営はかなり前から行き詰まっていたようで、工場のシャッターはずっと閉まったままだったそうだ。
今はこういう小さな工場には厳しい時代となった。戦後からバブル期にかけてはこのような零細企業が日本の発展を支えていたはずだ。しかし、今ではグローバル化という名のもとに中国、東南アジアをはじめとする海外企業との競争の波にさらされている。俺は自分の住む町から遠く離れた場所で、世の中の移り変わり、理不尽さ、虚しさを感じていた。俺が感傷に浸っている間も、村田さんは聞き込みを続けていた。
「最近は夜遅くなんかに工場の前に黒塗りの高級車が停まってましたよ、借金取りとかそういう関係の人だったんじゃないかしら」近所の主婦は詳しく話を教えてくれた。
「そうですかー。ところで清水さんには奥さんと娘さんがいらっしゃるとお聞きしましたが、どこへ引っ越されたのか分かりますか?」村田さんは家族からも話を聞くつもりなのだろうか。
「いえ、お二人ともまだここに住んでますよ。ほら、工場の脇に細い路地があるでしょ。そこを入って行くと工場の北側に隣接したアパートがあってそこの二階に住んでますよ」
「ありがとうございます」村田さんは教えてくれた主婦に丁寧に頭を下げると私に耳打ちをした。「暗くなるまで待ってから清水安男のアパートに行きましょう」
「?」
時間はまだ昼の三時前だった。我々は一度船橋駅へ引き返して喫茶店でコーヒーを飲むことにした。
私と村田さんは駅前の大手チェーンの喫茶店に入り、なるべく奥側のボックス席を選んで向かい合わせに座った。コーヒーを飲み始めると私から村田さんに話を切り出した。
「暗くなるまで待つ、というのは何か意味があるんですか?」
「すみませんね、きちんとした説明もしないで」
「いえ、村田さんの事ですから―、ただ単に理由を聞いておきたいなあと思って」
「それじゃ、順を追って説明しますね、あの主婦の話が本当であれば、清水安男には相当の借金があったはずです。夜、工場の前でたびたび黒塗りの車を見かけたというのはやはり借金の取り立てが来ていたのでしょう。ところが、今回の事故で清水安男が四年四カ月の実刑をくらっているのに、工場が差し押さえられもせず、家族は清水安男の帰りを待っています。」
話がややこしくて、俺にはついていくのがやっとだった。
「おそらく、借金を肩代わりしてくれた誰かがいるんです」
「えっ、それって、もしかして」
「そうです。清水安男に貴子さんのご主人と息子をひき殺すように指示した人物です」
「えっ、いやっ、まさか」俺は混乱して言葉が出なかった。村田さんはそれ以上話すのをやめた。俺の耳には村田さんのコーヒーをすする音だけが聞こえていた。
「すみませんでした。話を続けて下さい」少し落ち着いた俺は村田さんに話を進めるように促した。
「おそらく清水安男の妻と娘はあのアパートで四年四カ月の間、清水が出所してくるのを待つつもりでしょう。彼一人が犠牲となり一家のピンチを救ったのですからそれは当然でしょう。今、妻と娘の二人は借金の取り立てが無くなった事でほっとしている事でしょう。そこで、私たち二人が借金取りの真似をして突然訪問します。二人のうち、どちらかでも動揺して本音を漏らしてくれるとラッキーなんですがね」
「えっ、その為に夜まで待つんですか?」
「そうです。夕食でも済ませてほっとしている時の方がより効果的でしょうから」
「はー」
「あっ」俺は思わず店内に響き渡るような大声を出してしまった。慌てて口を塞いでみたものの、店内中の視線が我々二人に注がれてしまった。
「もしかして、村田さんって元刑事さんですか?」私は小声でおそるおそる尋ねてみた。
「はははは、ついにバレちゃいましたね。ご名答、その通りです」村田さんも小声で答えてくれた。
私は何て間抜けだったんだろう。よく考えてみれば分かりそうなものを。迅速な行動に的確な指示、さらには私を危険から遠ざけるように諭してくれた事も全ては刑事として訓練されている人のものだったのだ。
「そんな事より少し休みましょう。朝早く出てきたから疲れたでしょう」そう言うと村田さんは目を閉じた。
つづく




