主婦の絶望(2)
家の中に入るとすぐにカーテンが閉め切ってあることに気づいた。お昼近くだというのに家の中が薄暗い。おそらく人目を避けているのだろう。鈴木貴子は私と村田さんをリビングに案内してくれた。やはりリビングのカーテンも閉め切ったままだった。俺と村田さんは二人掛けのソファに座り、向かい側に鈴木貴子が座った。座るとすぐに村田さんは話し始めた。
「失礼ですが、鈴木貴子さんに間違いないですよね」
「はい、それで私に何のご用ですか?」
「貴子さん、この玉の事ご存じですよね」そう言いながら村田さんはジャケットのポケットから黒い玉を取り出してテーブルの上に置いた。
貴子は黒い玉を見つめたまま、何も話そうとはしなかった。
このままでは埒が明かないと思ったのか、村田さんはこちらの事情から話し始めた。村田さんは俺の方を見て目で合図を送ってきた。俺は軽くうなずき返した。
「実はですね、この玉はこちらの若田部さんのお兄さんの物なんですよ。」
貴子は私の顔を見た。私はゆっくりうなずいた。
「この玉の持ち主であるお兄さんは先日亡くなりました。」村田さんは核心から切り出した。
貴子はもう一度私の顔を見た。しかし貴子にはあまり驚いた様子はなかった。
「詳しく教えてもらってもいいですか」貴子は言った。
「それがですね、詳しい事が分からないんですよ。それでこんな風に手掛かりを探して聞いて回っているわけなんですが」
それでも貴子は黒い玉を見つめたまま何も話そうとはしなかった。村田さんはさらに話を続けた。
「簡単に説明しますと、若田部さんのお兄さんは、以前、お金に困っていて母親に何度も借金をしていたくらいだったんです。ところが何かをきっかけに、実はその何かを調べているわけなんですけども、とにかく何かをきっかけに急にビジネスで大成功しまして、ついに大金を手に入れ、挙句、タワーマンションに住み、高級スポーツカーを購入したそうなんです。ところがそのビジネスというのが詐欺まがいのマルチビジネスでして、それから間もなくして、お兄さんに騙されたという人物に刺されて亡くなってしまったんです。」
貴子は少し考えた後、黙って立ち上がり、奥の部屋から小さな段ボール箱を持ってきた。箱を開けると兄の持っていた玉とそっくりの黒い玉が入っていた。
「失礼ですが、これはどちらで手に入れたのですか?」村田さんが尋ねた。
「突然、送られてきたんです」貴子は静かに話し始めた。
「私達には分不相応のこの街に家を買ってはみたものの、ご近所との生活の格差を感じて毎日イライラしていました。私達は家のローンに追われているのに、周りは高級外車に乗り、ブランド物のバッグを持って買い物に出かけている。みじめでした。そんな時、この荷物が届いたんです」
私と村田さんは前のめりになって貴子の話を聞いた。
「この荷物の中には黒い玉と一枚のカードが入っていました」そう言うと貴子は一枚のカードを取り出した。
「毎日この黒水晶に向かってお願いをしなさい 必ずあなたの願いは叶います」カードにはそう書いてあった。そしてその文の後に例の黒水晶の掲示板のURLが記されていた。
「はじめは、当然いたずらだと思いました。だけど、その掲示板を毎日見ているうちに私もだんだんとその気になってきて、結局、私も毎日その黒水晶に向かってお願いごとをするようになったのです」
集団催眠のようなものなのだろうか。大勢の人間が熱狂していると、そのうちに自分もその渦の中に飲み込まれていく。集団生活を基本としている人間にとっては仕方のない性なのかもしれないが。
「どんなお願い事をしていたんですか」村田さんは貴子にとって言いづらいであろう部分を堂々と聞いてきた。
「はい、お恥ずかしい話なのですが、「お金持ちになりたい」「家のローンから解放されたい」「高級外車が欲しい」と今考えればくだらないお願いばかりを繰り返していました」貴子は正直に話してくれた。
「一か月くらい黒水晶に向かってお願いを続けていたのですが、何も起こらないのであきらめかけていた頃、警察から電話がありました。主人と息子が交通事故に遭い即死だというのです。すると間もなく保険会社から私の預金口座に二人分の一億七千万円の保険金が入金されました。さらに住宅金融公庫からは団体信用生命保険が下りたので、今後、家のローンの支払いは必要ありませんという連絡が来ました。つまり私の願いはいっぺんに叶ってしまったのです。」
私と村田さんは言葉を失った。貴子の目からは涙が溢れていた。部屋には沈黙が流れた。
しばらくの沈黙の後、貴子は泣きながら話を続けてくれた。
「でもそれが一体何になるのです、このお金で私は誰と旅行に行き、誰と食事をして人生を楽しめばいいんですか?こんなひどい皮肉って他にありますか?元に戻りたい」嗚咽のような叫びだった。
何という事なのだろう、お金持ちになりたいという誰もが持つ願いをあざ笑うかのようだ、これではまるで仕打ちではないか。そう、仕打ちだ、そんな考えが私の頭に浮かんだ。
「貴子さん、この黒水晶を私に預けてくれませんか?あなたも私の兄もなぜこんな運命になってしまったのか突き止めたくなりました。もし、これが人の手による悪意のある運命の操作であるならば、私はそいつを絶対に許しません。」
私は感情に任せて、貴子さんにそう約束していた。
つづく




