その7
紗由は“鬼”たちの目をかいくぐり、植え込みの突き当りまでやってきていた。
茂みから体を出すと、目の前には厨房の裏口があった。少し開きかけているドアを開け、中を覗き込むと、翔太にリクエストされたコーヒーを淹れている舞喜雄がいた。
「翔太のやつ、コーヒーなんて飲んでるのかよ。小学校入ったばっかりのくせして。俺なんか初めて飲んだの中学だぜ」
ひとりごちる舞喜雄の傍にそーっと近づく紗由。
“しょうたって、いった…”
「こんにちは! しょうたくんいますか?」
「うわあ!」びっくりして立ち上がる舞喜雄。「お、お嬢ちゃん、誰?」
「さいとうあゆみです!」昨日の“ごっこ”の続きを始める紗由。「しょうたくんは?」
「翔太のお友達?」舞喜雄の問いに、こっくりと頷く紗由。
「そっか。じゃあ、一緒においでよ。あ、ちょっと待ってね。もうすぐ淹れ終わるから」
普通なら、幼い少女が一人でうろうろしていたら、親を探すとか、警察へ届けるとかする。自分が連れてきた翔太にわざわざ会いに来ていることを不思議に思ってもよさそうだが、頭の弱い舞喜雄には、その辺まで考えが及ばなかった。
舞喜雄がサイフォンからコーヒーを移す様子をじーっと見ながら、紗由は思った。
“にがいの、ぺっぺだ”
* * *
舞喜雄が紗由を連れて部屋へ入ってきた。
「紗由ちゃん!」
舞喜雄には、“さゆ”が“あゆ”に聞こえている。
「その子は…」紗由を見て驚く禊屋。
「こんにちは!」
「ああ、翔太のお客さん」
「どないしたん、紗由ちゃん」
「しょうたくん、さがしにきた」
「一人で来たんか?」
「うーん、みんなだけど、ひとり」
「この子、彼と知り合いなのか」
「友達みたいだよ。厨房にいたんだ」
「親御さんは? こんな小さい子が一人でどこかに行ったら、親が心配するだろ」
「そういうもん?」
「舞喜ちゃん、勝手に連れてきたんか?」舞喜雄をにらみつける翔太。
「ち、違うよ。その子が勝手に入ってきたんだよ」
「かくれんぼだもん」
「誰とかくれんぼしてるんや?」
「うーんと…かあさまと、にいさまと、賢ちゃんと、玲香ちゃん」
「みんな、ここに来てるんか?」
「うん。翔太くんがかくれんぼするから、みんなきた」
皆が自分に会いに来たにせよ、今は紗由が一人でここにいるわけだから、そっちのほうが心配されているだろうと思った翔太は、立ち上がると言った。
「今日はここまでや。帰るで、舞喜ちゃん」
「ええー。米とか、持ってきたじゃん。教えてよお。ほら、せっかくコーヒーも淹れたんだし、飲んで飲んで」
翔太を無理やり座らせると、舞喜雄はコーヒーを差し出した。仕方なく一口すする翔太。
「にげっ!」前に飲んだとき同様、たちまち涙目になる。
「翔太くん。じゃあ、また別の日に教えてもらえないだろうか」
「すぐにはわからん。とにかく今は紗由ちゃん送っていかなあかんから」苦さに耐えかね、舌を何度も出しながら言う翔太。
「そんなこと言うと、このカワイコちゃん、渡さないぞ」少しふくれて、紗由の頭を撫でながら舞喜雄が言う。
「おい、舞喜ちゃん。紗由ちゃんに触るなや! 俺を怒らせんとき。何でもそやけど、気分悪いときにやるとな、シッパイしてエライことになんねん。ほんでもええんか!」
賢児のようにおいしそうにコーヒーを飲んでみたくて、真似してみたものの、苦くて仕方なかった翔太はいささか不機嫌になっていた。
「ど、どういうことだよ」
プイと横を向く翔太。
「どういうことだよお」重ねて不安げに聞く舞喜雄。
「…この子の言う通り、その手の儀式というのは確かにデリケートなものなんだよ。怒りや恐怖の中で成功などしない」
「実感こもってるねえ、禊屋先生」
「さゆも、しっぱいしたことあるよ!」
「どんなふうにだい、お嬢ちゃん?」
「ぽんぽんが、ばらばらになった」
張り切りすぎて踊ったときに、チアダンスで使うポンポンが壊れてしまったことを思い出す紗由。
「ば、バラバラ?…」ヒーリング中に内臓が破損したのかと、紗由の言葉に青ざめる禊屋。
「とにかく帰るから。行くで、紗由ちゃん」
「ねえ、待ってよ、翔太」
しばらく二人は押し問答を続けていた。
* * *
「玲香!」
車を雀のお宿の庭に急停車させ、中から下りてきたのは飛呂之だった。
ハンティングで山奥に入っていて、さっきまで連絡が取れずにいた。
そして、山の麓まで降りたときに、清流で待機している鈴音たちから、翔太が行方不明になったという連絡を受けた飛呂之は、玲香が向かった雀のお宿に直行してきたのだった。
「翔太は、ここにいるのか?」
「父さん!」
「はい。GPSがこの辺りで消えてます。今さっき、SPの人が客を装って入りました。人が普通に何人かいるようなんですが、一般客なのか、犯人…と言っていいのかどうか、よくわからないので、まだ宿全体の様子を見ている最中です」賢児が答える。
「私も、雀の中を探してきます。ある程度はわかりますから。…紗由ちゃんも」
「紗由ちゃん? 紗由ちゃんもいなくなったのか?」
「ちょっと目を離した隙に…」
「父さん、あれ借りるわね」玲香はそう言うと、飛呂之の車に戻り、ライフルを手にした。
「待て、玲香! 危ないよ。俺が行く!」賢児が玲香の手からライフルを奪い取った。
「…あ! あそこ!」
玲香が指差して叫ぶと、賢児と飛呂之がその方向に目をやった。その隙に再びライフルを賢児の手から取り返した玲香は、あっという間に雀のお宿に飛び込んだ。
「あ。おい、玲香!」
賢児が玲香を追いかけて踏み出したとき、飛呂之のスマホが鳴った。
「翔太からだ!」
翔太という単語を聞いて、一瞬、躊躇しつつも、結局、玄関に飛び込んで行ってしまった玲香を追う賢児。
足の速い玲香がどちらに行ったのかが、複雑に通路がつながった広いロビーの時点で、すでにわからない。
「どっちだ…?」とりあえず、左に走る賢児。
「翔太…! おまえ無事なのか? 大丈夫なのか?……何だと? このバカもん!!」
辺り中に響き渡る大声で飛呂之が怒鳴りつける。
「皆でおまえを探してるんだぞ。連絡ぐらいできるだろ! そのぐらいわからないのか!」
さらに声が大きくなる飛呂之を、車の中から見つめる周子と龍。
「翔太くんと話してるみたいだね」
「そうね。無事だったのね。よかったわ。紗由も…どこ行っちゃったのかしら…」
「紗由は…さっきからずっと、遊んでるときと同じ“波”だ。危ないことにはなってない。大丈夫だよ」龍が周子を気遣う。
いらいらした様子の飛呂之が、電話に向かってさらに怒鳴った。
「隠し部屋だな。今行くから、動くなよ!」
飛呂之は大またで早足に宿の入り口を上がっていった。
* * *
「うわあ。じっちゃん、めっちゃ怒ってるでえ。あかんわ。紗由ちゃんいること言おうとしたのに、切られてもうた」
「じゃあ、ほとぼりが冷めるまで、ここにいれば。ちょうど教わる時間できていいじゃん」
「あほんだら! 俺がさらわれた思うて、えらい騒ぎやになってるみたいやわ。…だいたい、舞喜ちゃん、ウソついたんやからな。玲ちゃんが呼んでる言うて。立派な誘拐やで!」
「ええ。何で。友達じゃん、俺たち」
「そんな事言って連れてきたのか? それは駄目だろ」驚いて舞喜雄を見つめる禊屋。
「こないなボケ、よういらんわ!」
「翔太くん、おこってる…」翔太の顔を見て泣きそうになる紗由。
「あ。ちゃう、ちゃうで。怒っとらん。ほーら、このアホのあんちゃんと俺は仲良しさんやからな」白い歯を見せて笑うが、目が笑っていない翔太。
「翔太あ…」
「とにかく、じっちゃん来るから、一緒に謝れや!」
“翔太の声だ…!”奥のほうから翔太の声がしたとき、玲香は思った。“そうか。隠し部屋!”
間取りが清流と変わらなければ、突き当りの部屋の奥のはずだと思った玲香は、注意深く突き当たりの部屋に入り、そーっと押入れの襖を開けた。
「もう、知らんからな!」
再び翔太の声がした。
“間違いない”
玲香が押入れの奥の板を少し横に引くと、中の様子を覗き込んだ。正面に翔太と紗由の姿が見える。
“何で紗由ちゃんが?”
手前側には、顔が見えないが男性二人の後姿が見えた。両手には何も持っていない。丸腰だ。
玲香は板を一気に開き、向こう側に飛び越えると、すぐに体勢を立て直して一人の男の頭にライフル突きつけた。
「大人しくしなさい。でないと頭撃ちぬくわよ!」
「玲ちゃん!」
「れいかちゃんだ!」
「れ、玲ちゃん…?」ライフルを突きつけられた男が、震える声で言う。
「舞喜ちゃん…?」
聞き覚えのある声に、玲香が男の顔を覗き込むと、雀のお宿の息子、舞喜雄だった。わけがわからず混乱しながらも、玲香はライフルを舞喜雄とその隣の男に向けたまま、翔太と紗由のそばに近づき、彼らが無事かどうかを確認した。
「大丈夫? 紗由ちゃん、痛いとことかない? 翔太も平気?」
「いたくないよ」にこにこと答える紗由。
「玲ちゃん、危ないから、おろしいな」玲香のライフルを見つめる翔太。
「これ、どういうことなの?」眉間にしわを寄せたまま、一同を見回す玲香。
「何で舞喜ちゃんがここにいるのよ。…それに、そこのあなた、誰? ここに子供たちを連れ込んで何してるの!」玲香が禊屋に銃口を向ける。
「れ、玲ちゃん、落ち着いてや。今、じっちゃんに電話したで。すぐ、ここ来るって」
「はあ?」
「ちょ、ちょっと用事があって来てもらったんだ、翔太に。こっちの人は禊屋先生、ていうか関根さん。縞猫荘の人。あ、あのさ、誘拐じゃないんで、へへ」舞喜雄がへらへらと笑う。
「はあ??」
「あの、関根と申します。私も宿の人間です」本名で挨拶をし、頭を下げる禊屋。
「…ちょっとな、俺が電話するの遅うなったんが、いかんかったんや。ごめんな」
「ごめんじゃないでしょ、もう…。皆、どれだけ心配したと思ってるのよ!」
そう怒鳴りながらも、安心したせいか、崩れ落ちるように座り、ぼろぼろと泣き出す玲香。
玲香が泣くのを見た紗由も、宿中に響き渡るような大声で泣き出す。
と、ちょうどそのとき、近くまで来ていた賢児がその声を聞きつけ、部屋に飛び込んできた。
「紗由!」
「賢ちゃん…」
賢児が押入れの奥へ踏み込むと、そこには、責任を感じてか、泣き出しそうになって賢児を見上げる翔太がいた。
「翔太!」
「こ、こんにちは」
賢児に挨拶する舞喜雄の傍には、泣きじゃくる玲香と紗由。
「貴様あ! 玲香と紗由に何した!」
賢児が舞喜雄の胸倉を思い切りつかみあげると、舞喜雄の体が宙に浮いた。
「ひぃぃ。してません、してません」足をばたつかせ、今度は舞喜雄が泣き顔になる。
「すみません、申し訳ありません。私がしょうもない事を考えたばかりに…。申し訳ありません」
舞喜雄の足を下から引っ張るようにしながら、涙目で賢児を見上げる禊屋。
「く、苦しい…!」
賢児が舞喜雄を投げ下ろすと、舞喜雄は青い顔をして咳き込んだ。
事情がわからない賢児は、泣きじゃくる玲香と紗由を抱きかかえ、玲香に聞いた。
「何で全員泣いてるんだ…?」
* * *
しばらくすると、青筋を立てながら、飛呂之が部屋に入ってきた。
「翔太!」
「ひえぇ。ご、ごめんなさい。ごめん…」げんこつをされると思った翔太が、頭をかばうようにして目をつぶる。
だが、次の瞬間、翔太の体は飛呂之の両腕に包まれていた。
「このバカ。心配かけるな」飛呂之の目には、うっすらと涙が浮かんでいる。
「じっちゃん…」
飛呂之の涙など見たことがなかった翔太は、今回のことがどれだけ飛呂之を心配させたのかを、初めて実感した。
「ごめん…じっちゃん、ごめん」翔太は飛呂之にしばみつきながら、わんわん泣き出した。
「おじさん…ごめんね。俺が悪いんだ。翔太は何も悪くないから」
「舞喜雄くん…?」
驚く飛呂之に、賢児と、やっと泣き止んだ玲香が事情を説明する。
「ごめんなさい!」
畳に頭を擦り付けるようにして謝る舞喜雄に、飛呂之は一言だけ言い放った。
「お父さんに謝るんだね」
玲香は、こんなに怒っている父を見たことがなかった。言葉を荒げているわけではないが、肩から怒りが湧き出るように溢れてくるのがわかる。
「玲香。紗由ちゃんを連れて周子さんのところに行け。玄関前の車の中で待ってるはずだ。心配されてるだろう」
「は、はい」
「僕が行きます。お気遣いありがとうございます」
玲香に目で合図すると、賢児は紗由を抱き上げて部屋の外へ出た。
「紗由。かあさまとにいさまが心配してるぞ」
「しょうたくん、みつけたもん」叱られたと思ったのか、少し面白くなさそうな紗由。
「翔太がいなくなって、皆が心配してたの知ってるよな。紗由が黙っていなくなったら、やっぱり皆が心配するんだよ」
「かあさま、ないちゃった?」
「ああ。だから、かあさまに、ごめんなさいするんだぞ。いいな」
「うん…」
賢児が紗由の頭を何度も撫でると、紗由は賢児にしがみついて、小さくごめんなさいとつぶやいた。
* * *




