その4
禊屋こと関根踊一郎は、昨年の秋に父が亡くなったときのことを思い出していた。
「踊一郎、おまえに話しておかねばならんことがある」余命短い父が、彼の手を取り、昔話を始めた。
「私は、50年前、人を殺した」
「な、何言ってるんだよ、とうさん」
「話ができるのは、これが最後かもしれない。だから、ちゃんと聞いてくれないか」
「最後だなんて。お医者さんは、気力を持ち直せばよくなるはずだって、おっしゃったんだぞ」とってつけたような嘘をつく踊一郎。
「わざとじゃなかったんだ。…ただ、羽童が、羽童が折れてしまって、何とかしないといけないと思った。最初は、ただ借りるつもりだった。
だが、彼は持っていないと言い張って、俺を疑ってたんだ。ちゃんと見せたのに、折れた羽童を見せたのに。それで、それで…」咳き込む父の背中をさすりながら、踊一郎は言った。
「いいよ、もう、いいから、とうさん休んで」
「肩をゆすったら、彼は手をはねのけ、バランスを失い、足を滑らして下に落ちた。…覗いたら、動かなくなっていて…だから逃げた。おまえたちを連れて、母さんの実家へ逃げた」
「それで静岡から山口へ…。前に静岡にいたと母さんは言ってたけど、詳しいことを聞くと怒り出したのは、それが原因だったのか…」
「機関が追いかけてきたら、その場で死のうと決めていた。だが、誰も来なかった」
「死んだのを確認したわけじゃないんだろ?」
「半月くらいしてから、母さんが一度戻って確かめてきた。黒亀の亭主は、崖の下で死んでいて事故死として処理されたと」
「ちゃんと警察に説明すればよかったじゃないか。いや…今さら言っても仕方ないけど」
「理由を聞かれたら、疑われるのはわかってる。おまえたちを殺人犯の子供になど…」
「殺人じゃない。それは事故だ」
「彼は死んだんだ。同じことだ」
「仮にそうだとしても、もう50年も経ってる。時効じゃないか」
「いや、私はいろんな人の人生を狂わせた。おまえたちだけじゃない。黒亀の家族。清流や雀の人たちもだ。
彼らは事件の後、お役返上して普通の宿になったんだそうだ。あんなことがなければ、皆今も巫女寄せ宿をやっていたことだろう。黒亀の息子も、母さんが調べに行ったときは、行方知れずになっていた。
…もしかしたら、もしかしたら機関は、彼を犯人だと思って追ったのかもしれん。受験のために上京するとは聞いていたが、もしかしたら、そのまま誤解されて、とんでもないことに…」
「そんなわけないだろ。機関がそんなにバカなわけないさ」
「私は2人の人生をめちゃくちゃにした…」
「…わかったよ、とうさん。死んでしまった人には申し訳ないと言うしかないが、息子はまだ生きている可能性が高い。見つけ出して、俺が詫びてくる。父さんの代わりに償うよ」
「踊一郎…。ありがとう、踊一郎」
「黒亀の息子について、何か手がかりはないのかい?」
「東大受験のとき、“命”さまのお宅にお世話になると、妹が言っていたらしい。親はすぐに否定したようだが、彼が裏山で美少女と一緒なのを見た者もいた。たぶん、本当だろう」
「“命”さまの名前や住まいはわからないの?」
「…そこまではわからないが、遥か昔から上のほうのお公家様で、華族にもなった末裔だということだった。“命”の任を解かれたら、女学館へ行くという話を、本人から聞いたことがある。天女のように、おきれいな方だった」
「歳は?」
「“命”さまは65、黒亀の息子は67になっているはずだ」
「わかった…。あとは俺が調べてみるよ。…疲れたろう。ゆっくり休むといいよ」
「ああ、ありがとう」
すべてを話して落ち着いたのか、彼は安らかな笑みを浮かべて眠りについた。
だが、もう二度と、彼が目を覚ますことはなかった。
* * *
父親の死後、禊屋のヒーリング能力は目に見えて低下していた。
父親の告白のせいだとは思いたくなかったが、ヒーリングにも集中できず、眠れぬ日々が続いていた。
弟子たちにも、どこか様子がおかしいと思われているのは一目瞭然。敏感な患者は、彼のヒーリングが以前ほど効かなくなっているのに気づき始めていた。
「先生、このお水、チューニングにいいらしいですわ」そう言って木下が差し出したのは、沖縄の気功師が気を注入していると、その界隈では評判の水だった。
ヒーラーが他の力に頼るなど不思議に思われるかもしれないが、実はこの世界では半分当たり前のことだったりもする。
よくあるのは、パワーストーンだ。自分の力を増幅させるようと、身につけているヒーラーは数多い。
他のグッズも同様で、患者のために様々なものを体感してみるという理由で、同業者の製品を入手して試すヒーラーは少なくない。
禊屋は静かに微笑むと、いったん受け取ろうとしたその水のボトルを、思い直したように手で遮った。
「いや、いい…。ありがとう」
「先生…」
「原因は、自分なりにわかっているつもりだ。…もう少し、時間をくれないか。一週間、クライアントの予約をキャンセルしてくれ。すまない」
「原因て…」心配そうに禊屋を見る木下。
「いや。プライベートなことだから」
そう言って禊屋は立ち上がった。
「ミーティングを始めてくれ。私は少し寝てくる。報告は、夕方に剣くんと出かけたときにでも聞くよ。木下くん、あとはよろしく頼む」
「は、はい」
禊屋は部屋を後にした。
* * *
この1ヵ月、母親からも話を聞き、踊一郎なりに、“命”と黒亀亭の息子の行方について調べてみた。
まずは“命”だ。地位の高い公家の末裔で、華族に移行した家柄というと、近衛家、九条家、二条家、一条家、鷹司家、久我家、三条家、西園寺家、徳大寺家、花山院家、大炊御門家、今出川家、醍醐家、広幡家、あたりが候補になるのだろう。
“命”は家単位で輩出されるものだということだから、おそらく彼女は婿取りをして後継者を作っている。苗字は変わっていないはずだ。
そして、黒亀の息子。名前と年齢はわかっているわけだから、大学の卒業者名簿が手に入れられないものだろうか…。
そんなことを考えながら、踊一郎は母親から送られてきた、納戸の奥にあった父の遺品のダンボールを開けた。中に入っていたのは、巫女寄せ宿時代に彼が使っていた儀式の際の衣装と、2冊の大学ノートだった。
1冊は「文書補」というタイトルが付けられていた。儀式の方法、“命”の能力、宿の人間に与えられる羽童についてなど、巫女寄せ宿に関することがいろいろと書かれているようだった。
もう1冊は、いわば業務日誌のようなものだ。所々、仕事への思いのようなものも綴られている。宿をやっていた頃の書き込みだけでなく、宿を辞めた後に書かれたものもあったのは、自分のしていたことを無にしたくなかったからだろうか。
ぱらぱらと日誌のほうをめくっていると、羽童について書かれたページがあった。
「壱の命さまが、そろそろ他の宿でも開かれた童を作らなくてはいけないとおっしゃっていた。やはり黒亀の息子になるのだろうか。羽童の使い方もかなり心得ていると聞く。もしかしたら、そっちはもう継承しているのかもしれない。
清流の息子は年齢的にまだだろうし、他の宿とおっしゃったということは、きっとあそこは該当しない。9歳以前の例は今までないはずだし、二代続けてという例もないはずだ。それにあそこは今の亭主が該当者だから自分で後継者を見つけて伝授できる。
他の三宿はいったん途切れているから、命さまの御眼鏡に適う人間が出なければそれまでだ。雀のお宿は、まだ子供がお腹の中だから、今どうのこうのという問題ではない。
とすれば、我が宿だ。親の欲目でなければ、この子には確かに資質がある。まだ数えで三つだが、そろそろ羽童を持たせてみようか。今から鍛錬しておけば、次の儀式のときまでに何らかの成果が現れるかもしれない。命さまにお見せできるかもしれない」
踊一郎は、次のページをめくった。
「やっぱりこの子にはその能力がある。この子が手を触れると痛みが和らぐと小間物屋の小母さんが言っていた。妻の肩こりでも試してみた。この子はきっと開かれた童になれる」
“そんな経緯があったのか…”踊一郎は唇を噛み締めた。
“割れてしまった羽童。そんなに必死になって黒亀亭から借りようとしたのは、自分を開かれた童にしたいがためだったのだろう。このヒーリング能力を最初に見つけてくれて、のばしてくれようとしたのは父だったのだ。
普通に考えたら、少々いかがわしい仕事にとられるかもしれないこの仕事を、父は何の反対もすることなく、むしろ生活が成り立たない間ずっと援助していてくれた。それは、そういうわけだったのか…。
だが、今、自分にはその能力がない。ヒーリングしても効果が出ない。焦りが募るばかりだ。いろんな補助グッズを使っても、そんな誤魔化しで無理が来るのは時間の問題だ。
ちょうど、ヒーリングアート作家の剣と知り合う機会があり、彼にはヒーリング自体の素養もあることを知って、今は手伝いをしてもらっているから、何とか回っている。
彼自らが、自分の弟子だと名乗ってくれているのも、クライアントからは自分への評価として返って来ている。彼が奥ゆかしい人間であることに助けられているような状態だ。とにかく、このままではまずい”
踊一郎は空を仰ぎ見て、目を瞑った。
“…そうだ、今からでも羽童を手に入れれば、開かれた童になれるのではないだろうか。いや、それは伝授してくれる人間がいないと無理か…。
だが、羽童自体が持つ力で、ヒーリング能力をよみがえらせることは可能なのではないだろうか。クライアントたちの笑顔は私の生きがいだ。あの笑顔があるから生きていける。
それができないなんて、もしこのまま、何の力もなくなってしまったなら、私は死んだも同然だ。意味のない人生だ…”
さらにページを繰った踊一郎の目は、そこに書かれていたことに釘付けになった。
「龍の玉は、どの宿にあるのだろう。やはり清流だろうか。開かれた童を生み出す龍の玉。それさえあれば、自分にでも伝授ができるはずだ。踊一郎を開かれた童にできるはずだ。
壱の命さまにお尋ねしても教えては下さらなかった。あなたは羽童とできるだけ長くすごしなさいとおっしゃるのみ。だが、私はいいんだ。私がそんな力を持ちたいわけじゃない。踊一郎に授けたいのだ。
明日は弐の命さまがおいでになる日だ。彼女にも聞いてみよう。文書をもう一度読み直して、その方法を探ってみよう」
“龍の玉…? そんなものもあるのか。玉というからには、球形のパワーストーンだろうか。あるいは龍に見える何かか。それがあれば…特別な力が備わるのか…?”
踊一郎は、いったんノートを閉じると、目を瞑り考えた。
“それがあれば元通りに、いや、それ以上の力を手に入れられるかもしれない。またヒーリングができるようになる。
羽童と龍の玉を手にできないものだろうか。父のように、相手から奪う必要はない。羽童を借りてみれば、とりあえず元の力が戻るかもしれない。それで不十分なら、龍の玉も見つけ出して、開かれた童になる。
そうだ、それでいい。順番的にもそれが正しいだろう。おそらく、龍の玉で開かれた童になれるのは、羽童をもってそれなりの状態になった者だけのはずだ。どんな伝授にも段階というものがある。まずは羽童だ。
とすれば、まずは雀のお宿と清流旅館へ行ってみなければ。黒亀の息子の行方を捜すヒントも得られるかもしれない。
いや、でも待てよ。やたらと黒亀の名前を出したりしたら、逆に妙に思われるかもしれない。私が幼い頃に、父が旅館からいなくなったのは、雀の人間も清流の人間も知っているはずだ。やたらなことを言えば、変に思われるかもしれない。
ここはまず、父が亡くなったことで、生前の父を知っている人間がいたら挨拶をしたいと言って挨拶に行くのがいいかもしれない。そこから少しずつ探りを入れていこう。
そして、私がヒーラーだということを伝えて、その仕事のために羽童を貸して欲しいと申し出ればいいだろう。そうだ、そうしよう”
踊一郎は、書棚から地図を引っ張り出すと、雀のお宿と清流旅館の位置を確認した。
“ここから近いのは…雀のお宿のほうだな。よし、明日にでも、そちらから訪れてみよう”
地図を閉じると、どういう段取りで話をもっていくかを頭の中で組み立てながら、踊一郎は目の前のミルクティーをすすった。
* * *
「ここか…」
踊一郎は車を降りると、雀のお宿の正面玄関に立った。
「ごめんください」
声を掛けてしばらくすると、小柄な和服姿の男性が奥から出てきた。宿の主人、村島だ。
「いらっしゃいませ」
男性はそう言って人の良さそうな顔で頭を下げた。
「あの、こちらのご主人でいらっしゃいますか?」
「はい、左様でございますが」
「突然お伺いして申し訳ありません。昔、この近所で縞猫荘という宿を営んでいた関根の息子です。
実は、先日父が他界しまして、仕事でこちらのほうに来たので、当時お世話になった方にご挨拶できればと思いまして、うかがったんですが…先代のご主人様は…」
「いえ。うちも何年か前に他界いたしました。お父様、残念なことでいらっしゃいましたね。…ここは、今は私が跡を継いでおります。
せっかく、お越しいただいたんですから、少しお上がりになりませんか。私は当時のことをわかりかねますが、父の末の妹はまだ存命ですので、お話をお伝えしておきます」
「ありがとうございます。お忙しいところ申し訳ないですが、それでは少しばかりお邪魔させていただきます」
踊一郎が通されたのは、本館の通路を経て、少し離れたところにある自宅の棟だった。
“うちにあった見取り図と、ほぼ同じ造りだ…”
巫女寄せ宿は皆同じ造りだったのだろうか。踊一郎が父の残した書類で見た縞猫荘と雀のお宿は、間取りが同じように見えた。
「親戚が茶畑を営んでおりまして、どうぞご賞味ください」
出されたお茶は、薫り高い抹茶だった。飲む前から部屋中に香りが広がる。
「いい香りだ…。いただきます」踊一郎は目を閉じて、一瞬、その味わいに浸っていた。
「お気に召していただけましたか」
「ええ。…父も、お茶が大好きで、それはもう、いろんな種類を試していましたが、やっぱり静岡が一番だということになって、そこに戻るんですよ。周期的にその繰り返しで」
二人は声を上げて笑った。
「でも、このお茶は格別ですね」
「ありがとうございます」
「何でも父が言うには、当時お茶というのは、“命”さまという大切なお方にお出しするものだから、極上の物を吟味しないといけないと。…こちらは、まだ巫女寄せ宿を営んでいらっしゃるんですか?」
「いえ、もうお役目は返上しております。私がまだ母のお腹にいた時分のことですので、当時の様子まではわかりませんが」
「ああ、そうなんですか。…うちもですね…お聞き及びかもしれないですが、こちらから急に母方の田舎に引き上げたんです。借金があって、あまりよくない人種に追われていたらしくて。
それで、お世話になった方々にもご挨拶も出来ずに離れてしまったことを、父はずっと気に病んでいたんですよ。まあ、それでこちらにもお伺いしたわけなんですが」
実際には借金などなかったが、踊一郎は辻褄の合いそうな言い訳を口にした。
「そうでしたか…。その手の人間に追い回されるのはしんどいものですからねえ。ねちねちと、じっとりと、真綿で首を絞めるように近づいてきますからねえ…」
雀の主人は深く溜め息をついた。
“この家、借金があるのか…?”
「失礼ですが、以前、そういったご経験をされた方が周りにいらっしゃったんですか?」
「え…あ、いや…」
「ああ、すみません。初対面の方にあれこれと詮索をするつもりはないんです。ただ…まあ、こうしてお目にかかったのも何かのご縁ですから、家の経験が何かお役に立てばと…」
「ありがとうございます…」
主人はうつむいたままで、しばらく部屋には沈黙が流れた。会話を促すでもなく、ただゆっくりとお茶を飲んでいる踊一郎。お茶を飲み終えて、茶碗を茶たくに置いたとき、主人が重い口を開いた。
「お恥ずかしい話なんですが、実は息子が多額の借金を作りまして、このままではもう、この宿を手放すしかないのかと…」
「そうですか、息子さんが。それはご心配なことですね。…失礼ですが、いかほどの額で」
「2千万ほどです。そのうち半分は何とかしたんですが…」
「では、あと1千万…」
再び沈黙が二人を包んだ。
「こういうのは、いかがでしょう。私にこの宿のうち5部屋を、月に一週間位お貸しいただけませんか。そうですね、とりあえず1年。その前払い金として1千万お渡しします」
「え?…」
「私、現在、禊屋という名前でヒーリング業を営んでいるんですが、先日、ヒーリングを騙る大きな詐欺事件があった影響で、東京ではセッション会場やセミナー会場の確保が非常に難しくなってるんです。
それで、ある程度の期間、定期的に確保できる場所を探していたところでして」
「そ、それは願ってもないお申し出です」驚いて踊一郎を見つめる村島。
「こちらは普通の宿ですから、そういう色が付くとお困りになる面もおありでしょうが、何といいますか、一種のギブアンドテイクということで」
「あ、ありがとうございます。本当に助かります。このままでは、宿の仕事にも差し障るし、どうしようかと思っていたところでして…本当に、何と申し上げていいか」
「実は、私と同じような理由で場所探しに苦労している同業者もけっこうおりましてね。そういう人たちにも、呼びかけてみましょうか。それなりの数の客が見込めると思います」
「ありがとうございます」ただただ頭を下げる村島。
確かに踊一郎の言う通り、その手の客を囲い込むということは、下手をするとこれまでの常連が離れていく可能性もあり、危険な面もあるのは承知していたが、そんなことなど言っていられない。とりあえず借金を返して、宿を手放すのだけはくい止めなければと村島は思った。
「じゃあ、今空いているお部屋を見せていただいてもいいでしょうか」
「ええ、どうぞ、どうぞ」村島は、踊一郎の言う条件に合いそうな部屋をいくつか見せて周り、最後に、セミナー会場にも使える30畳の洋間に案内した。
「この雀の子供が描かれている掛け軸、いいですねえ。これは宿の名前からですか?」
「はい。お宅にもあったかと思いますよ、虎の掛け軸が。清流さんには龍のがありますし」
「なるほど。それぞれの宿を象徴する動物の掛け軸が広間にあるということなんですか」
「ええ。広間だけでなく、和室には皆あります」
「雀の子か…まさしく羽を持つ童、羽童だなあ。
そうそう、宿には羽童という人形と文書があるとか。父はそれらを置いたまま宿を出てしまったようなので、私はそれらを目にすることはなかったんですが、こちらにはまだ、そういったものがおありなんですか?」
「羽童ですか…。うちの父が亡くなったときにお返ししました。文書も一緒に」
「そうなんですか…」
少しがっかりしたように言う踊一郎に、村島は聞いた。「なぜ、そんなことを?」
「あ、いや、職業病です。その人形にはヒーリング施療にも役立ちそうな力があると、父から聞いたものですから、もしあったら仕事に役立てられるのにと思っていたんです。
もしこちらでお持ちなら、宿に泊まりに来ている間、拝借できないかと思ったりしましてね」
「そうですか。すみませんが、お役には立てそうにありません」
「清流さんには、まだあるのかなあ」
「ああ、ありますよ。あそこには、いくつもあります」
「いくつも?」
「ええ。庭に偽物が並べてありますよ。客寄せ用です。ストラップなんかも売っています」
「どういうことです?」
「羽童に関するネットの噂がありましてね。何でも超能力を授かるとか、そんな感じの。それを商売の種にしてるんですよ。あそこのご主人は商売上手だから」苦笑する主人。
「じゃあ、本物はやはり、お返しされてるんですね」
「さあ、そんな話はしたことがないので、わかりませんが」
「もし…ですけれど、羽童が清流さんにあったとして、こちらの事情を話して、お貸りすることはできないでしょうかねえ」
「さあ…」
飛呂之が巫女寄せ宿時代のことを深く奉ってどうこうというタイプでないのは、村島にもわかっていたし、頼めば案外あっさり貸しくれるかもしれないとは思った。
だが、ヒーリングだの新興宗教だの、飛呂之がその手のことを快く思っていないのもわかっていたので、村島は少し口ごもった。
ただ、今回はこの人に助けてもらうわけだし、そのくらいの口利きはしなくてはいけないだろうとも思った。
「あ、じゃあ、これから清流に行きませんか。お父様の件を、どのみち伝えに行かれるんですよね。その時に、羽童の件は私のほうから聞いてみますよ」
「ありがとうございます。助かります」
二人は、そのまま清流旅館へ向かうことにした。
* * *
雀のお宿の主人から、縞猫荘の元主人の息子だという男性を連れていくからという電話をもらったとき、飛呂之は少々驚いていた。
息子が多額の借金を作ったとかで、宿も親戚に任せて金策に飛び回っているという噂を聞いてから、連絡を取っても取り付く島がない状態で、ずっと会えずにいたからだ。
「雀さん…よかった、お元気そうで。舞喜雄ちゃんも、変わりなくしてるかい?」
「ええ、おかげさまで」少し気まずそうに、目を伏せる村島。
「それは、よかった…」
「あ、それで、こちらは縞猫荘の息子さんで、関根さん」
紹介され、飛呂之に深々と頭を下げる踊一郎。
「お父様が亡くなられたので、この近所のお世話になった方へご挨拶に回っているそうだよ」
「どうも初めまして。関根と申します。巫女寄せ宿のお仲間ということで、こちらにもお世話になったと聞きました。先代さんは、今は…」
「うちの父は5年ほど前に亡くなりました。縞猫の小父さん、ご愁傷様でございました。ここを去られた当時、私もまだ小さかったですけど、ぼんやりと覚えていますよ」
「そうですか。こちらの先代さんのお話もしていたものですから、もしご存命なら、ぜひご挨拶をと思ったんですが」
「それは恐れ入ります」
「そうそう、清流さん、つかぬことを聞くんだが、お宅には本物の羽童ってまだあるの?」
「羽童?」
「あの実はですね…」
踊一郎が事情を説明しようとしたとき、遮るように村島が言葉をかぶせた。
「実はね、うちも今、建て直し策をいろいろと考えていて、それで巫女寄せ宿の伝説なんかもうまく使って、イベントをやろうかと思うんだよ。もしあるなら、それも使わせてもらいたいんだが、協力してもらえないかなあ。
…いや、ちょうどね、こちらの関根さんも、そういうのに興味を持って下さって」
飛呂之が静かに踊一郎を見つめる。
「失礼ですが、関根さんは今、どんなお仕事を?」
「ヒーリング関係の仕事をしております」
「そうですか…。いや、残念なんですが、実はうちの羽童は、もう返却しているんですよ。もちろん文書も一緒です。申し訳ないですねえ」
1ヵ月前に、仏壇と文箱を荒らされた事件を思い出した飛呂之は、とっさにウソをついた。どう考えても、羽童と文書を狙ったとしか思えないあの事件、まだ解決に至っていないこの状況で、彼らがそのありかを確認しようとしているのは何故なのか。
にこやかに対応しながらも、飛呂之は内心二人をいぶかしげに見ていた。
「そうか…それは残念だなあ。…また、詳しいことが決まったら連絡させてもらうから、その時はよろしくお願いします」
村島は愛想よく飛呂之に告げると、踊一郎を連れ、その場を離れた。
二人が玄関を出て、門のところに行く途中、小さい男の子が庭の灯篭を拭いていた。
「翔太くん!」
「あ。雀のおじさん、こんにちわあ!」翔太が元気に挨拶をする。
「偉いなあ、お手伝いかい?」
「僕が継ぐ宿ですさかい。これも仕事ですわ」真面目な顔でうなずきながら言う翔太。
「ははは。そうだったねえ、七代目」
雀の主人と話をしながらも、翔太は手を休めることがない。灯篭の中に置いてある影童を取り出して、絹の布で丁寧に拭いている。
「それが羽童かい?」踊一郎が翔太に尋ねる。
「はい」
「偽物も大事にしているなんて、偉いねえ」もしかしたら本物は別にあるのではという疑念を拭いきれない踊一郎は、翔太にカマをかけた。
「偽物やありまへん。この子達も、うちにあるのも、全部大事な童さまです」
“うちにあるのも? そうか、やっぱり別にあるんだな”
「そうかそうか、ごめんね。この子は、きれいにしてもらって喜んでるねえ」
「お客はん、そういうのわかる人なんですか?」
「え。ああ、まあね」
“でも、この小父さん、ぴかぴか、弱っとるなあ…”
翔太は翔太で、踊一郎の言動の不一致を不審に思ったが、童様の力で小父さんを元気にしてもらうほうがいいと思い、踊一郎に影童を差し出した。
「この子、とってもええ子ですから、なでなで、したってください」
翔太から影童を受け取り、踊一郎はその頭を撫でた。
すると、一瞬、踊一郎の体の中を鮮烈な風が吹き抜けた。淀みがなくなった感覚に踊一郎が驚く。
“な、何だ、この感覚は…”
翔太は、呆然とする踊一郎から影童を受け取り、また絹の布で磨き始めた。
「ええ子ですやろ?」
「あ、ああ…とても…いい子だね」
自分の状態の変化に動揺していた踊一郎は、そう答えるのがやっとだった。そして、ふらふらと、雀のお宿の車のほうへと歩いていった。
「あ…関根さん! 翔太くん、ありがとう。またな」慌てて踊一郎の後を追う村島。
「はい。お気をつけて」翔太は二人に手を振った。
“特別な影童さまに当たるなんて、あのおっさん運がええなあ”
翔太は影童を灯篭に戻した。
* * *
「すみません、ご主人。ちょっと試させていただけませんか」
「何をですか?」
「さっき、車の中で偏頭痛をお持ちだとおっしゃってましたよね。そのヒーリングです」
「え、ええ。…どうぞ」
踊一郎は村島の額と後頭部を両手で挟むようにして、しばらくじっとしていた。自分の手の中で、澱みが消えていくのを感じたとき、踊一郎は村島から手を離した。
「あれ? な、何なんですか、これは…?」
「どうですか、具合は」
「頭が軽いです。ここのところ、ずーっと重くて、話すたびに響くような感じがしてたのに…消えました、痛みも重さも」
村島は信じられないといった様子で、自分の頭を左右に振ってみた。だが、痛みは戻らず、すっきりとしたままだ。頭痛のせいでひどくなっていた肩こりも軽くなっている。
「こういうことなんです。私の仕事は」
「すごい、すごいですよ、関根さん!」
村島は少々興奮し、帰り道、車を運転しながらも、視界が明るくなったような気がすると喜んでいた。
* * *




