その11
「美紗緒さん、今回はあなたのお手柄ね」
「いえ、そんな…」微笑む木下に美紗緒はうつむいた。
「羽童のおかげで、先生だいぶ調子がいいみたいだわ。気持ちも落ち着かれたようだし」
「そうですね。このまま、セッションに戻れるまで回復してくださるといいんですけど…」
「困ったのはそこだわ。一番肝心の部分なのに、先生ったら、羽童になじむまで、しばらく仕事を休みたいだなんて。…まあ、今すぐ経済的に困るわけじゃないから、いいけど」
「翔太くんが、以前の騒ぎのときに、まずは羽童に慣れることからと言ってたようですし、段階を経て、またパワーアップということなんですよね、きっと」
「そうね。でも、龍の玉とやらがないと次へは進めないんでしょ」
「たぶん…そうなんだと思います」
「その時は、またあなたの出番よ。いいお友達がいてよかったわね」木下は冷たく笑う。
「それにしても剣先生、いったいどこへ行ったのかしら。禊屋先生は、あの当時混乱していたせいか、何を話したか覚えていないみたいだし…」
「もう2週間ですね。本当にどうなさっているのか…」
「最初から1年間という約束だったから、このままでも仕方ないかしら。彼が担当していたクライアントも、ちょうどきりのいい状態だった人ばかりだから、別に実害もないし」
「そうですね。クライアントに迷惑がかからないのが何よりです」
「あらもうこんな時間。じゃあ私、これから小田原まで行ってきますから、後はよろしく」
「はい。承知しました」
足早に部屋を後にする木下をぼんやりと見つめながら、美紗緒は考えていた。
“翔太くんは、羽童を先生に渡してしまって大丈夫なのだろうか。
確かに、先生と会って話がしたいと最初にメールで言ってきたのは翔太くんだ。そして、東京行きの新幹線で、その時間を作ったとき、羽童と先生のネックレスを交換したいと言い出したのも翔太くん。
いいえ、そんな言い訳は通じない。私が誘導したんだわ。
彼が、羽童と取替えっこしてもいいから天珠という石を欲しいと言っているのを聞いて、先生のお父様の遺品のひとつ、あの天珠、いつもはスーツの中に忍ばせているそれを、わざと翔太くんに見えるように着けてもらった。
いくら利口だと言っても、所詮は子供。先生のネックレスを見たら、案の定、交換したいと言い出した。
先生にしてみれば、お父様の形見を手放すのは躊躇もあったようだけれど、背に腹は変えられない。結局二人の取引は成立した。
翔太くんは、私や先生のことも心配してくれていたのに、私はその彼を騙したのだ。
もし、この先、“龍の玉”が必要だと先生に言われたら、木下さんの言うように、私はまた翔太くんを騙すようなまねをしなくてはいけないのだろうか”
美紗緒は天井を仰ぎ見ながら、あふれそうになる涙をこらえた。
* * *
翔太は天井を仰ぎ見ながら、あふれそうになる涙をこらえた。
“俺、騙してしもうた。おっさんと美紗緒さんのこと、騙してしもうた。
おっさんも美紗緒さんも、人の病気治したくて、それで童様が欲しい言うとったのに、影童様渡した。あの子の力は本物の半分の半分や。きっと、おっさんの力にはならん。
あの子も…寂しがってるかなあ。ごめんな。ごめん。でも、あの子が影童さまの中だと今は一番強いから”
翔太は、こぼれた涙をパジャマの袖で拭いた。
“天珠という宝石、紗由ちゃんが言うてたとおり、おっさんがネックレスにしとった。
“紗由のだ”言うとったから、あれ欲しいんかなあ。でもあれは、紗由ちゃんと周子はんがようなるために、“命”さまに渡さんとあかんから、紗由ちゃんにはあげれへん。
何や不思議な石やった。握った瞬間に、体がじんじんした。
紗由ちゃん、ずっとかあさまと一緒にいられるとええなあ…。普通に暮らせると…”
気がつくと、翔太は寝息を立ててすやすやと眠りについてしまっていた。
そして夢の中では、大人になった翔太と紗由が一緒に天珠をながめながら、微笑みあっていた。
* * *
「おばあさま。紗由とかあさま、最近普通だよ」
「そう。よかったわ。きっと、翔太くんの持ってきてくれた天珠のおかげね」
「天珠って、封じる役目なの?」
「いや、必ずしもそうではないよ」部屋に入ってきた躍太郎が答える。
「グランパ。…じゃあ、何なの?」
「持ち主たるべき人間を、最善の状態に導く役目をするんだよ」
「最善の状態?」
「ああ、そうだ。確かに封じるというか、抑制に回る場合が多い。人間というのは、その欲のために乱れた状態になって、それが本人の将来を狂わせることが多いからね。
宿の人間は、“命”という存在が近くにいることで、その力を利用しようとする者もいる。それを封じるための防御の一角が、羽童と天珠なんだ」
「特別な力を与えていいかどうか、見張って守ってるんだね」
「そうよ。ある意味、宿の人間も権力を握りかねないのよ。
特に昔は、災いを受け取る“弐の命”は、6、7歳から15まで、その任に着くことになってたわ。御付の宿の人間が、まだ子どもの“命”に悪いことを吹き込もうと思えばできるわけだから」
「そういうことがないようにするための羽童と天珠なんだね」
「そうだ。宿が持つ羽童と龍の玉は、“命”のためになるものでなければならない」
神妙な面持ちで言う躍太郎を見て、龍は自分の祖父が宿の人間であることを、初めて強く認識した。
「ねえ、このまま、紗由とかあさまは大丈夫になるの?」
「天珠が周子さんのほうにも反応するならね」
「相性があるからな。石と人にも」
「じゃあ、相性が合えば、“命”や“宿”の血筋でなくても天珠が守ってくれるんだね」
「そうね。石が紗由を気に入れば、紗由のために周子さんを抑えてくれるかも。でも、天珠は人を試すことがあるから、耐え切れない人間には妨げにしか感じないかもしれない」
「試すって?」
「逆説的になるが、石がないと自分を制御できないような人間のところには、天珠は居つかないんだよ。自分が守るに値する人間かどうか、最初に値踏みをする」躍太郎が答える。
「その試験に落第したらどうなるの?」
「天珠は、その人間の元を離れるだろう。昔の宿の場合は、定期的なチェックのときに天珠がなければ、その場でお宿は閉鎖だ」
「ふーん。じゃあ、代々続くお宿って、いい人だらけの証拠なんだね」
「そうね。清流を見ればわかるでしょ」
「あはは。本当だ」
「お宿を首になっちゃった人って、どうなっちゃうんだろう。うんと悪い人になって大変なことになったりしないの?」
「じゃあ考えてみろ、龍。お試し期間にすごく苦しい思いをしてるんだ。石が離れた時点で、その苦しいテストも終わる。その人は、どう思うかな」
「楽になってよかったとか、石が悪者だったんだとか…かな」
「そうだ。苦境から抜け出てよかったと思ってるのにグレる人間はいない。それに、宿をやめても、羽童は一代か二代、その宿にあるからな。それで最低限の制御はできる」
「人間て、そうやって、いろんな形で見張ってないと駄目なのかなあ」
「そうねえ。雀の息子さんみたいに、人は良くても頭の使い方があまり上手でない人もいるでしょ。突拍子もないところから綻びが出ることもあるのよ」
「あ。そうだ。翔太くんがね、あのおにいさんの頭を良くする薬はないかって。雀のお宿の小父さんが気の毒だからって」
「翔太くんの優しい気持ちはわかるけど、そればっかりはねえ…」苦笑いする華織。
「そうだよね…」
「彼、鈴音さんに往復ビンタされたんだろ。少しは反省しただろ」躍太郎がくすりと笑う。
「悪いことはしないほうがいいね。…そうだ、話戻るけど、あの天珠、紗由が気に入ったあの石…今まで見たことなかったよ。西園寺家のものなんでしょ。どこにあったの?」
「あの天珠が私の元を離れたのは…そうね、龍がもっとずっと小さい時だったかしらね」
華織は躍太郎と視線を交わすと、小さく溜め息をついた。
* * *
禊屋は最近めっきり口数が少なくなっていた。元気がないというのとも少し違うのだが、ただ黙って部屋から外を眺めていることが多い。
美紗緒の目には、そんな彼の様子が気持ちの整理をしているように見えた。
“先生は、しばらくこのままでいいのかもしれない。最近ほとんど話をしていないし、別に根拠もはいけど、こうなっている原因を多分彼なりに、正面からきちんと考え出したように見えた。
以前のように、焦りのあまり何かのせいにしたり、何かに極端に頼ろうとしたりするのではなく、順を追って考えているように思える。翔太くんの羽童を手に入れて、気持ちが落ち着いたのだろうか。
とりあえず、様子を見るしか自分にできることはない。木下さんは、イラついてきているみたいだけれど、でも…”
そのときドアがノックされた。
「どうぞ」
「ごめんよ、急に」入ってきたのは禊屋だった。
「あ、いえ…何かありましたか?」
「今後のことについて話があるんだ」
* * *
美紗緒が禊屋に話があると呼ばれた、その二日後のことだった。
いつものように朝、様子伺いに木下が禊屋の部屋をノックすると返事が無く、美紗緒の部屋も同様だった。二人のスマホにかけても電波の入らないところにいるようだ。
いぶかしげに思っていたところに、ホテルの従業員が禊屋の部屋を掃除に来た。
「あの…ここの部屋の人は出かけたんですか?」
「チェックアウトなさいましたが」
それだけ言うと、従業員はそそくさと部屋に入り、掃除中の札をドアにかけた。
「チェックアウト…?」
慌ててフロントへ向かう木下。そこには禊屋から預かったという手紙が1通あった。
「木下君
突然のことですまないが、私はしばらく日本を離れることにした。
ヒーリングというものを見直す、いい機会だと思うからだ。
どのみち、このままでセッションには戻れない。一度リセットしたうえで、また新たな道を模索したいと思う。
色々と考えたわかったことがある。加えていくのではなく、妨げになるものを排除することが必要だったんだ。そして、どのマイナスを取り除くべきなのかを、やっと理解できた。だから私は、それを排除したい。今の思いはそれだけだ。
君には何年も尽力してもらった。私が世間でそれなりに認められるようになったのも、すべて君のおかげだ。ありがとう。そのお礼と言っては何だが、美術品や貸金庫のパワーストーン類は全部、君が持って行ってくれ。貸金庫の鍵を同封する。
それから今月分の収入も含め、事務所の口座に入っている金は、全部君のほうで処理してもらってかまわない。
本当にお世話になったね。今までありがとう。心から感謝しています。どうかお元気で。
関根踊一郎」
「先生、これって…」木下は、人目も気にせず、その場にへたへたとしゃがみこんだ。
* * *
金曜日の夜に開かれた地元の友人の結婚パーティに出席するために、実家へ戻ってきていた玲香は、華織の家から清流に立ち寄った周子と話をしていた。
「今回は“放電バンド”だそうですよ、周子さん」
「もう随分会ってないけど、相変わらずねえ、坂下くん」呆れたように笑う周子。
坂下というのは、周子の父が営む法律事務所で弁理士をしている男性だった。玲香が夕べのパーティーで知り合い、話をするうちに周子に縁のある者だということがわかった。
周子いわく、仕事には真面目な青年なのだが、趣味の発明が、トンでも発明ばかりで、周囲は毎度毎度それを披露されるのだという。
パーティーは、そんな彼にとっては絶好の披露の場で、玲香もそれで声を掛けられた一人だった。
「ほーでんばんど…?」その言葉に興味を持った紗由が、玲香を見上げる。
「バンドって、歌手の人?」龍が聞く。
「ううん、ベルトのこと。じいじぐらいの年代の人は、そう呼んでたのよ」説明する玲香。
「ふーん、そうなんだ」
「じゃあ、ホウデンて何や?」翔太が聞く。
「電気を出すこと、かな」
「ベルトが電気出してどないするんや?」怪訝な顔の翔太。
「ぶーんてする!」紗由が答える。
「あ、そか。ライダーベルトみたいなもんやな」翔太が頷く。
「うーん。…まあ、そんなところかなあ」苦笑する玲香。
「腰痛ベルトとか、低周波治療器みたいなものなんでしょ?」
「腰痛を武器にしたベルトなんか?」
「相手を腰痛にしちゃうの? すごく斬新な武器だね!」
驚く龍に周子が言う。
「違うわよ、龍。本人の腰痛を治すベルトよ。痛みを和らげる助けをするもの」
「さゆもほしい…」周子の説明を聞く前に、紗由の頭の中には、キラキラと輝くベルトをして、悪いやつをやっつける自分の姿が渦巻いていた。
* * *
急に日本を離れることになった美紗緒だったが、せめて渡航先へのビザが下りる前に、清流に挨拶だけでもと思っていた。
“先生に言って、翔太くんに羽童を返してもらったほうがいいのかしら…”
そうは思いつつも、禊屋の調子がある意味回復したのは、やはり羽童のおかげだろうと認識していた美紗緒は、それを彼から取り上げることはできずにいた。
そして、それ以上に気がかりだったのが木下のことだった。“彼女には本当に申し訳ないことをした。
だが、先生を管理しようとする彼女の姿勢はきっと、今の先生には負担が大きすぎる。そして、正直言えば、先生と二人きりで人生をやり直したい。誰にも邪魔されずに。彼女には申し訳ないけれども、心からそう思う”
買い物の帰り、そんなことを考えながら歩いていた美紗緒は、気づくと清流旅館の前に来ていた。
“翔太くん、どうしてるかな…”
門から、そーっと庭を覗き込む美紗緒。視線の先には、玄関先にホースで水を撒いている翔太がいた。
「あれ、こんにちは!」美紗緒の姿を見つけ、ホースの水を止めると元気に駆け寄る翔太。
「こ、こんにちは…」たどたどしく挨拶する美紗緒。
「この前は、ありがとさんでした。東京連れてってもろたおかげで、楽しかったです」
「あ、ううん、こちらこそ。翔太くんが一緒で楽しかったわ。…先生、時々気難しいから、疲れちゃうのよ」禊屋の様子を思い出しながら、美紗緒がくすりと笑う。
「美紗緒さん、あのおじさんのこと、好いとるんやなあ」
「な、何言ってるの、翔太くんたら」突然の翔太の言葉に動揺する美紗緒。
「わかるんや。おっさんのこと言うとき、美紗緒さんのここんとこ、きれいにぴかぴかしよる」自分の胸を指し示す翔太。
「…翔太くんには、隠し事できないのかな」
そう言いながら、美紗緒は自分の言葉を頭の中で検証していた。
“どうしてだろう。そこまでこちらの心理状態が読めるなら、彼の羽童と先生のネックレスと交換したとき、私が罪悪感で一杯だったのがわかったはずだ。それなのに、彼は先生に羽童を渡した。なぜ…”
「僕は、何でもわかりたいなんて思うてません」少し寂しそうに微笑む翔太。
「ありがとう。玲ちゃんが言ってたわ。翔太くんは、口が悪そうに見えて、とっても優しい子なんだって」
「初めて聞いたわ。玲ちゃんはいっつも、お小言ばかりやし」
「そういうものなのよ、大切な人には」
話の流れからすれば、自分が翔太に隠し事をしていることが、彼にはわかったはずだが、「ありがとう」という言葉に対して、その意味を確認しない。
必要以上に踏み込まないように場合に応じて力を“調整”するところが、玲香が言う翔太の“優しさ”の意味なのだろうなと、美紗緒は思った。
「あのね、翔太くん」
「何ですか?」にこにこと美紗緒を見上げる翔太。
「私、もう少ししたら海外へ行く予定なの。だから、その前に翔太くんにもう一度会いたいなって思って…それで、来たの。玲ちゃんにも会いたかったけど…東京だものね」
美紗緒の言葉に翔太は、彼女をじっと見つめたあと言った。
「美紗緒さん、おじさんと一緒にうちにお泊りになりまへんか?」
「え?」
「外国行ってしもたら、こういうとこ泊まれへんし。玲ちゃんも今晩来るはずやから」
「玲ちゃん、来るの?…そうね。確かにしばらく、こういうところには行けなくなるし」美紗緒は庭と建物をぐるりと見回した。
「じゃあ、予約入れときます。いつがええですか?」
「…今日と明日、2泊でお願いできるかしら。…そうね、今日は…これから戻って、先生を連れてくると…着くのは7時ぐらいになると思うわ」
「わかりました。お夕食、ご用意しておきます」翔太がニッコリ笑う。
「ありがとう。じゃあ、また後で」
美紗緒は翔太に微笑み、小さく手を振ると、足早にその場を後にした。
「やっぱり、ここに来たのね…」
二人を門の影からうかがっていた木下は、美紗緒が庭から出てくると姿を隠し、拳をぎゅっと握りながら、その後姿を見つめていた。
* * *
「何だか、緊張するね」辺りを見回しながら言う禊屋。少し声が上ずっている。
「仕方ありませんわ、先生」
心持ち、彼の腕を引き正面玄関に足を踏み入れると、鈴音と翔太が出迎えに来ていた。
「いらっしゃいませ。清流旅館へようこそ、おいでくださいました」
深く頭を下げる鈴音の横で、翔太も頭を下げる。
「いらっしゃいませ」
「あ、あの、よろしくお願いします…」深々と二人に向かってそれぞれ頭を下げる禊屋。
「先日は、ご迷惑をおかけしまして、大変申し訳ありませんでした。本来なら、お邪魔できる筋ではないのですが、お詫びを兼ねて一度きちんとご挨拶したいと思いまして…」
少し口早に挨拶する美紗緒に、鈴音がにっこりと微笑んだ。
「先日の件は、そちら様に瑕疵のあることではございませんので、どうかお気になさらないでくださいませ。それと、近々、日本をお離れになるそうで…どうかごゆっくり、お湯にでもお浸かりになって、おくつろぎ下さいませ」
「ありがとうございます」再び深々と頭を下げながら上がる禊屋。
そこへ飛呂之が出てきた。「ようこそいらっしゃいませ」
二人に挨拶をする飛呂之に、よけいに禊屋が緊張する。
「お、お邪魔いたします」
「どうかゆったりとされてくださいまし。…お荷物、お運びいたします。こちらへどうぞ」
飛呂之がそう言って禊屋のスーツケースを受け取ると、鈴音が美紗緒のスーツケースを、翔太が美紗緒の小さめのボストンバッグをてきぱきと運びだした。
一列に並んで歩く3人の呼吸はぴったり合っている。鈴音が途中で取っ手を持ち直すと、それに続いて翔太がボストンを持ち直す。
部屋の前に来ると、「こちらでございます」と言いながら、3人は次々とドミノ倒しの駒のように美紗緒たちのほうを振り返った。その様子に思わず吹き出しそうになる美紗緒。
「どうかなさいましたか?」3人が一斉に口を開くと、禊屋が噴出した。
「あ、いえ、あの…とても息が合っていらっしゃるというか…親子3代で仲がよろしくて、うらやましいです」
「ええ、本当に」翔太を見て微笑むと、禊屋は少し寂しそうに視線を落とした。
飛呂之は、すぐに食事にしたいという二人の言葉を受けて、鈴音と翔太に食事を運ぶようにと言いつけ、自分は部屋に残って美紗緒たちにお茶を淹れた。
「あの、ご主人。先日は本当にご心配をおかけして申し訳ありませんでした」
頭を下げる禊屋に、飛呂之が手を振りながら言う。
「いえいえ、どうかもう、お気になさいませんよう。そちら様のせいでないことは承知いたしておりますので」
「ありがとうございます」
「そちらのご婦人は美紗緒さんとおっしゃいましたね」
「は、はい」
「玲香がお世話になっているそうで、ありがとうございます。それに先日は、翔太が東京までご一緒していただいたそうで、ご面倒をおかけしました」
「いえ、そんな」美紗緒がお辞儀する。
「8時過ぎには玲香もこちらへ着くと思いますので、ご挨拶にうかがわせます」
「ありがとうございます。日本を経つ前に玲ちゃんに会えると思っていなかったので、うれしいです」にっこりする美紗緒。
「…それから、ひとつだけ、よろしゅうございますか」美紗緒の目を見つめる飛呂之。
「はい。何でしょうか」
「清流でお預かりしている品は、他の家の方にお渡しすることはできません。どうか、ご了承くださいませ」飛呂之が、さっきの禊屋以上に深々と頭を下げる。
「あ、あの…それって…」思いもかけぬ飛呂之の言葉に動揺する美紗緒。
「美紗緒さんが龍の玉に、ご興味をお持ちのようだと翔太から聞きましたもので…」
「翔太くんが…」
「子供の言うことを気にして、失礼を申し上げる馬鹿な祖父だとお笑いください」
「すみません。こちらこそ、小さい子だからと、つい無遠慮なことを言いました。どうか、忘れてください」
「美紗緒、どういうことだい?」二人の会話の意味が解らず美紗緒を問いただす禊屋。
「…翔太くんに、貸してくれないかとお願いしたんです。ヒーリングに役立つかと思って」
「そうか…。私が欲しがっていたからだね。…ご主人、重ね重ね申し訳ありません。もう、二度とそのようなことでご迷惑はおかけしないようにしますので」
「いえ、美紗緒さんや関根さんを責めているわけではないんです。ただ…」
「ただ?」
「はい。そういう物を求め始めると、きりがないように思えるのです」
「おっしゃる通りです。恥ずかしながら、私も最近やっとそれがわかりました。パワーを求めるより、不要なものを取り除いていくほうが、よほどいいのだと。
ですから、これ以上、そちらでお持ちの品をどうこうということは、するつもりはありません。それに、そういう特別な物は、翔太くんのような特別な子が持つべきなんです」
「翔太が特別かどうかは、私にはわかりません。それを掌握する能力を私は授かりませんでしたので。
…ですが、当主として生まれた以上、はっきり言えることがあります。能力があろうがなかろうが、受け継いだものは守らねばならないということです」
飛呂之の言葉に何か言おうとして、結局黙り込む禊屋。
その横顔に美紗緒は思った。
“先生は何を守るべきだったのだろう。そしてこれから、何を守るべきなのだろう”
獅子脅しの音だけが、庭から静かに響いてくる。
その音を聞きながら、美紗緒は羽童のことを思い出した。
やっぱり返さなくては。もしかして、ご主人は遠まわしにそう催促しているんだろうか。
ご主人が言っていたのは、龍の玉のことだけだし、羽童が先生の手元にあるのを知っているのか、いないのか…。でも、ここへ来た以上、そのまま日本を離れるわけにはいかない。
美紗緒は思い切って口を開いた。「あの、すみません、羽童はお返し…」
美紗緒が言いかけたところへ外扉をノックする音がした。
「お食事を、お持ちいたしました」
鈴音と、板前ルックの翔太が膳を運んでくる。
「わあ、かわいい!」翔太を見て、思わず叫ぶ美紗緒。
「板長代理でございます」神妙な顔で料理をテーブルに運ぶ翔太。
「ねえ、翔太くん、これなあに?」翔太のコスチュームで緊張の糸が切れ、逆に興奮ぎみのテンションになった美紗緒は、言いかけた言葉をよそに、料理の説明を翔太に求める。
「こちらは桜海老の掻揚げで、こちらは地物のヒラメをグリルしたものです。マスタードソースで召し上がってください」
「おいしそう…! ここのところ、ずっとビジネスホテルだったし、ゆっくりと美味しいものをいただいてなかったから…うれしいわ」
「そうだなあ…」申し訳なさそうな顔で禊屋が言う。
「こちらは地野菜のサラダになります」鈴音が手前の皿を示しながら言う。「ドレッシングはこちらに…わさびを効かせた和風、自家製マヨネーズがベースの洋風、ごまを効かせた中華風の3種類でございます」
「こちらの鯛しゃぶは、しゃぶ、しゃぶ、しゃぶと3回ぐらいがおいしいです」右手の人差し指と中指の2本を箸に見立て、3回動かす翔太。
美紗緒がそれを真似ながら、翔太を見て微笑む。
「こんなにきれいで、おいしそうなお料理、見たことないですよ」禊屋もテーブルを見渡しながら、うれしそうに言う。
「ごゆっくりお召し上がりください」
飛呂之がそう言って頭を下げると、鈴音と翔太も頭を下げ、部屋から出て行った。
* * *
「鈴音、ちょっと先に行っててくれ」
飛呂之の言葉に、何事かと思い彼の顔を見つめる鈴音。だが、ちらりと翔太のほうを見ると、「はい」と返事をして、言われるまま、その場を先に立ち去った。
「じっちゃん、どないしたん。顔が難しくなっとるで」
「なあ、翔太」
「なんや?」
「美紗緒さんが持ってるのか?」
「え?」
「この前なくなった庭の影童だ」
「あ…」
「やっぱりそうなんだな。さっき美紗緒さんが言いかけた言葉。羽童を返すというのは、そういうことなんだろ?」
「返す言うたん?」思わず言ってから、しまったという顔になる翔太。
「やっぱりそうか。何でそんなことをしたんだ。あれだけ大事にしている影童を人に渡すからには、それなりの理由があるんだろ?」
飛呂之の問いに黙り込む翔太。
「誘拐騒動のときに、もう、おかんを心配させないと約束したな。あれは嘘だったのか? おかんは、お前の様子があの騒動の後辺りからおかしいと、ずっと気にしてる」
「おかんが…?」泣きそうな顔で飛呂之を見上げる翔太。
「本物の羽童を使って、ちゃんと見てみろ。おかんがどれだけ、お前を心配してるか…」
飛呂之が、静かだがきつい口調で言うと、翔太はいきなり駆け出した。
「…!」
客室前の廊下で大声を出すわけにもいかず、言葉を飲んだ飛呂之だったが、足早に翔太の後を追った。
“なぜだ? 理由があるんだろ、翔太。じっちゃんにも話せないことって何なんだ?”
飛呂之は心の中で叫びながら、拳を握り締めた。
* * *




