その10
「先生を探してください! 飛び出して行ってしまわれて…」
隣の部屋のドアを叩く美紗緒。部屋から木下が出てくる。
美紗緒の声を聞いて、その隣の部屋から剣も出てきた。
震える美紗緒を落ち着かせるかのように、彼女の背中をさする剣。
「とにかく、3人で探しましょう」
しばらくして、1階ロビーの一角で放心して座り込んでいる禊屋が見つかった。
「先生、大丈夫ですか。お部屋に戻りましょう」剣が彼を抱えるようにして立たせる。
「先生を寝かせたら、木下さんの部屋へうかがいます。3人で話をしましょう」
木下は、ここは剣に任せたほうがいいと思い、よろしくと言うと美紗緒を促した。
「もう無理なんだ。力が切れてしまったから、もうできないんだ…」
「先生。今はゆっくり休まれたほうがいいです。さあ、これを飲めば落ち着きますから」
そう言うと、剣は暖かいお茶を禊屋の口に含ませた。
「ありがとう…すまなかった」
「羽童があればできるんですか?」
「え?」
「羽童は、本来、その宿固有のものです。他人の物を無理やり借りたところで、自分の力にはならない。羽童に認めてもらえなければ、効果はすぐ消えます」
「君が…どうして…?」ぼんやりしていた禊屋が驚いて剣を見つめる。
「それに…もう力が足りないとお思いなら、その天珠を僕に渡してもらえませんか?」
「天珠…?」混乱していた禊屋の瞳が、一瞬正常な光を放った。「なぜだい?」
「必要だからです。大切な人のために」剣は禊屋の眉間に二本の指を当てた。
ふんわりと後ろに倒れこむ禊屋。
「…でも、今言ったことは忘れてください」
剣は禊屋の服のボタンをはずして襟元を開けると、首の後ろに手を当て、彼のネックレスをはずした。
皮ひもに通された天珠をポケットに入れ、もう片方のポケットから取り出した別の天珠を皮ひもに通し、禊屋の首にかけ、彼の頭を枕にそっと置いた。
そして剣は2人が待つ隣の部屋へと向かった。
* * *
「先生は、お休みになられましたので」そういって木下の部屋に入ってくる剣。
「剣先生…。禊屋先生が、ヒーリングできないとおっしゃってるそうなんだけど…」心配そうな木下。「この前の誘拐騒ぎの後、いっとき、ものすごく調子がよかったのに」
「木下さん。この前、先生から、先生の師匠というか、先生がその力を目標にしてこられたという方のお話をうかがったんですが
…僕が、その方のところにうかがって、お話をしてみましょう。何か改善のヒントが見つかるかもしれません」
「先生に、そんな方がいたの? 初耳だわ。…美紗緒さん、何か聞いてる?」
「い、いえ。何も聞いてません」
「とにかく行ってきます。一刻も早いほうがいいと思いますから。伊勢のほうなので、戻るのに何日かかかるかもしれませんが」
「え、ええ。じゃあ、よろしくお願いしますね、剣先生」
木下と美紗緒は、急な展開に少々戸惑いながらも、禊屋の具合が良くなるのならばと、すがる思いで剣を見つめた。
* * *
翌日、美紗緒はクライアントである沙織の家を訪ねていた。
禊屋がセッションを行う予定だったが、あの調子では訪問させるわけにもいかず、美紗緒が代わりに来ていたのだ。
元々、禊屋は静岡県内だけでなく、神奈川や東京への出張セッションも行っていたが、不調が再び目立つようになってからは、美紗緒だけでなく、剣や木下も代わりに出張をすることが増えていた。
「ありがとう、美紗緒ちゃん。だいぶ楽になったわ。この後、少し買い物に出ようと思ってたの。途中まで送ってくわね」
「悪いわね。甘えちゃおうかしら」美紗緒が軽く頭を下げる。
誘拐騒ぎの翌々日、禊屋一行は雀のお宿を出て、ホテルスーパーブリリアントへと滞在場所を移していた。
その最寄り駅の静岡駅近くで降ろしてもらった美紗緒は、沙織に礼を言うと改札へと向かった。そこに後ろからクラクションが響いた。
「美紗緒さーん!」
彼女が振り向くと、そこには赤い車に乗った舞喜雄が運転席から手を振っていた。
* * *
華織の家で一夜を過ごした後、翔太を送り届けに清流に戻った玲香は、自分に客が来ているというので、驚いてロビーに向かった。
「美紗緒ちゃん! どうしたの、急に。舞喜ちゃんまで…」
「先日はいろいろとご迷惑をおかけして…」頭を下げる美紗緒。
「迷惑?…」
「玲ちゃん、こんちわ! あのさ、美紗緒さんさあ、禊屋先生、あ、関根さんの弟子なんだよね」
「美紗緒ちゃんが?」驚く玲香。
「そうなの。先日は、うちの先生が甥子さんにご迷惑おかけして、本当にごめんなさい」
「あ…ううん。関根さんは知らなかったみたいだし。悪いのはそこにいる誰かさんだから」舞喜雄をにらむ玲香。
「ついでになって申し訳なかったんだけど、沙織さんのセッションをしに近所まで来たものだから、もし玲ちゃんがいれば直接、いなければお姉さんたちにお詫びをと思って…」
「そうだったの…」
「沙織さんのセッションは、美紗緒ちゃんがやってるの? 前に電話で聞いた話だと自分の先生にって言ってたような…」
「先生がセッションをしばらくおやめになることになったものだから、私が代理で」
「なるほどね…」それは良心的な選択だと玲香は思った。あんな状態の人間に高いお金を払ってヒーリングしてもらうのでは、クライアントもたまらない。
「お姉さんはいらっしゃる?」
「あ…いるけど、今ちょうど、ばたついてる時間帯なの。伝えておくわ」
「ごめんなさい。ご都合もうかがわずに…」
「ううん。わざわざありがとう」
そこへ、皿を積んだワゴンを押しながら、翔太がやってきた。
「おう。翔太!」
ワゴンを停めて玄関を見る翔太。
「翔太、ちょっと来て」玲香が呼ぶ。
「何ですか」
舞喜雄をじろりと見ながらも、美紗緒の姿があったので、翔太はとりあえず敬語で玲香に答えた。客がいる前では、丁寧な言葉を使うようにと飛呂之から躾けられているからだ。
「こちら美紗緒さん。私の友達。実はね、関根さんのお弟子さんらしいの」
「こちらの、きれーなお姉さんがですか?」
「この前のお詫びに寄ってくれたの」
「ああ、あれですか。ええんですわ、あないなもん。アホの舞喜ちゃんのせいですから」
「お家の方に心配かけてしまって、叱られちゃったでしょ。本当にごめんなさいね」
「いやー、僕でしたら大丈夫ですからあ」
気取って標準語になる翔太を、まったくもうという目で見る玲香。
「あのおじさん、元気にしてますか? 具合が悪そうだったので心配してたんです」
「え、ええ、まあ…」引きつった笑顔の美紗緒。
“舞喜雄さんが言ってた通りだわ。この子、そういうのがわかるんだ。やっぱり、龍の玉とか羽童とかのおかげで先生の状態が一時期よくなったということなのかしら…”
「関根さん、俺んち出て行かなくてもよかったのにな」
「誰のせいなのよ」低い声ですごむ玲香。
「先生がね、先日お詫びにうかがったときに、清流さんのお庭はすばらしいって言ってたけど、本当ね、入り口から見えるだけでも、丁寧に手入れされているのがよくわかるわ」
「プロの娘さんに褒めてもらえるとうれしいわ」
美紗緒の実家は造園業を営んでいるのだ。
「よろしかったら、ご案内します。ちょっと待っててください」そう言うと、美紗緒の返事を待たずにワゴンをせっせと運び出す翔太。
「ちょっと翔太!…もう、ごめんね。美人には目がないのよ」玲香が苦笑いする。
「そんな…でも、お詫びでうかがったのにずうずうしいけど、見せてもらえるとうれしいわ」美紗緒は静かに微笑んだ。
* * *
玲香が厨房に手伝いに戻ったため、翔太、舞喜雄、美紗緒の3人で庭を周っていた。
「こっちの植え込み、ちょっと変わった形ね。普通この部分は刈らないと思うんだけど…」
「さすがですな! 実はここは、上から…道の向こうの丘から見たときに、龍の形に見えるように整えてあるんです」
「清流だから龍?」
「はい。龍はうちの大事なシンボルなんですわ」
「だよなあ。だから龍の玉も持ってんだろ? ねえ、あれ教えてくれないの?」
「舞喜ちゃん、覚え悪そうやから無駄や」
「じゃあさあ、また羽童貸してよ。俺もあれ持ってればドカーンてやらかせそうじゃん?」
「どアホ!」思わず怒鳴りつけた後、はっとしたように美紗緒を見る翔太。
「えーと、こっちの松は百年前からあります。手を当てると、ええ気持ちになりますよ」
「…本当ね」翔太に言われた通りに幹に手を当てる美紗緒。
「私も羽童とか龍の玉とか、借りたくなっちゃうわ。そうしたら、沙織さんのことも、もっと楽にしてあげられるかもしれないし…」
「沙織さんて、この先の雑貨屋さんに来てるおねえさんですか?」
「ええ。知ってるの?」
「お名前だけですけど、なんや、体が弱いって」
「そうなの。だから、私ももっとヒーリングできるように、毎日いろいろ勉強中なの」
「きれーなだけやのうて、真面目なんですなあ」でれっとした顔で美紗緒を見上げる翔太。
「私も借りたいなあ。羽童と龍の玉」
「あー、すんませんけど、じっちゃんに取り上げられてもうたんです」
翔太はとっさに嘘をついた。今日、華織の家から帰るとき、彼女に言われたことを思い出したからだ。
「西園寺家や高橋家以外の人間で、羽童や龍の玉のことを聞いてくる人間がいたら、家族の知り合いでも注意なさい。くれとか、貸してとか言われても、絶対に渡しては駄目よ」
「まあ、そうだよな。小父さん、かなーり怒ってたもんなあ」
「そうなの。…残念だわ」微笑む美紗緒。“玲ちゃんのお父さんが持っているのね…”
「あ、そうだ。あのヒゲ生えたイケメンのおにいさんも元気ですか?」
「剣先生のこと?」
「名前までは、よう知りませんけど、この前、玲ちゃんがきっつい顔して睨んだんで、悪いことしたかな思うて。あの人もヒーラーさんなんですか?」
「ええ。一緒にヒーリングしているの。でも、今はちょっと出かけてる最中で…帰ったら伝えておくわね。ありがとう」
その時、玄関のほうに車が停まった。玲香を迎えに来た賢児を乗せた躍太郎の車だった。
「あ。賢ちゃーん!」翔太が手を振り、二人のもとへ走っていく。「玲ちゃんのお迎えか?」
「ああ。玲香は?」
「今、厨房で手伝いしとるわ」
「じゃあ、もう少しこの辺を回ってくるか」賢児に言う躍太郎。
「そうだな。じゃあ翔太、また後で来る。玲香に電話するように言っておいてくれるか?」
「おっけー」清流を出て行く車に大きく手を振る翔太。
舞喜雄と美紗緒のところに戻ると、美紗緒が難しい顔をして、二人の車が去って行った方向を見つめていた。
「美紗緒さん、どないしました?」
「え…あ、ううん、何でもないわ。あの方たちは…?」
「えーと、玲ちゃんの知り合いです」
賢児は“一応”清流の客でもある。誰かから客について聞かれた場合は、個人的な情報は漏らすなと教えられていた翔太は、賢児が玲香の彼氏であることは言わずにおいた。
「そう…」
“あの二人…どこかで見たことがあるような…”
「美紗緒さん、もしかして、ああいうのがタイプなのお?」
「え。やだ、違うわよ。知り合いにちょっと似てたから…」
何気に口走った自分の一言で、美紗緒はある事実に気づいた。
“そう。似てるのよ、彼…”
* * *
美紗緒たちを見送った後、翔太は厨房に戻って手伝いをしていた。薄い透明なビニール手袋をしてグラスを並べながら、翔太は思った。
“美紗緒さんが、欲しがるいうことは、おっさんの具合がまだよくならんのやな。でもおっさん、うちの童様にあれだけ反応したんやし、龍の玉持ってるちゃうんか? 本人が知ってるかどうかはわからんけど。
うーん。龍くんがおっさんと会った時に気づいた言うてへんかったし、ちゃうんかな。いやでも、龍くんも完全に閉じてるタイムには、わからんやろな。
…せやな。美紗緒さんと仲良うなっとけば、龍の玉を捜せるかもしれへん。携帯番号交換したし、いるとこもわかったし、やっぱり龍の玉を“命”さまんとこ、持っていかへんと…。
「翔太、グラスひとつ多いわよ」
「ん?」
「ほら。松の間のお客様、3人なのにグラス4つになってる」玲香が注意する。
「わざとや。いろんなジュース飲みたがりそうなおばさまがたには、最初からグラス多目や」
「ふーん、そういうこと」
誤魔化したものの、翔太は、すぐにグラスをひとつ戻した。
“あかん。ちゃんと仕事せな”
その時、翔太の前掛けのポケットのスマホがぶるぶると震え、一通のメールが届いた。
* * *
昼食の支度を終えた辺りで、玲香は再び戻ってきた賢児と一緒に清流を後にした。
一緒にお昼を食べていけばと言われたのだが、駅弁が楽しみの玲香は、それを断って静岡駅で「みかんめし弁当」を買い、新幹線に乗り込んだ。
「ご飯がオレンジ色なんだ…」
驚いて弁当を見つめる賢児に玲香は、逆にびっくりした顔で言った。
「みかんめし、ですから」
「い、いや、東京だと、ご飯にみかんは炊き込まないっていうか…」
「じゃあ、今度作り…」
「あ、あのさ、そう言えば、さっき庭に来てたの、この前の頭悪いお友達だよな?」
あわてて玲香の言葉を遮る賢児。みかんを炊き込んだご飯は、あまり食べたくないらしい。
「ええ。美紗緒ちゃん…一緒にいた女性は、私があるヒーリングセミナーに出ていたときに友達になったんですけど、彼女が今、禊屋さんのお弟子さんなんだそうです」
「へえ、そうなんだ。ところで彼は今どこにいるの。雀のお宿を出たんだろ」
「白子ポン酢のところです」
「ああ。白ポンね」
白子ポン酢というのは、色白でムチムチした、ホテル・スーパーブリリアントの2代目のことだ。
仕事はあまりできないが、そのおかげで、ダブルブッキングしたときに清流に客が回ってくるので、ある意味重宝な存在でもある。
だが、高校時代から、結婚後もずっと鈴音に言い寄り続けているので、玲香にとっては鬱陶しい奴という認識しかなかった。
「縞猫の人、あの人自体は悪い人とは思えなかったけど、その手の力を持つ人って、人一倍、個人の欲を制御できないとまずいんだよな。
目的が正しくても、手段がおかしいことだってあるわけで、その辺、注意して見ていたほうがいいような気がする」
「はい。鈴ちゃんから白ポンに言っておいてもらいます」
「必死で見張るだろうなあ、彼」苦笑いする賢児。
「まあ、惚れた女のためですからね。そのぐらい、やってもらいませんと」
「じゃあ、俺は玲香のために何しようかなあ」
「何もしなくていいです…」
“ずっと一緒にいてくだされば”
玲香は言葉を飲み込んでうつむいた。
* * *
「剣はん、いななったん?」
「剣さんて言うの? お弟子の男の人。うん、そうらしいわよ。一週間ぐらい前に出て行って、それっきり戻ってこないみたい。平子さんがそう言ってたわ」
手際よく次々と客間の座布団カバーを取り替えながら、鈴音が答えた。
「何で? どこ行ったん? もう帰ってきいへんの?」
鈴音の着物の袖をつかんで詰問する翔太を見て、鈴音が不審がる。
「おまえ、どうして、そんなこと気にするの?」
「気になんぞ、してへん」
翔太は左の拳をぎゅっと握ると、立ち上がり、すたすたと部屋を出て行った。
「ちょっと…翔太!」
鈴音は思った。
“そう言えばこの頃、翔太の様子がちょっと変だ。やたらと平子さんのことを聞きたがる。スマホが鳴ると席を立ったり。まるで浮気している男の振る舞いだ。この前、玲ちゃんが帰った辺りからだし、“命”様の家で何かあったのかしら…”
そんなことを考えていたとき、携帯が鳴った。玲香からだった。
「あ、鈴ちゃん。あのね、実は再来週の土曜日に、幕張でゲームショーがあってね、前にちょっと話したと思うけど、ミニゲームソフトを使った個人企業のプロモーション展開例っていうやつ、トマルンジャーのも展示する予定なの。
だから、鈴ちゃん来れない? 少々反則なんだけど、うちのHPにリンクして、その場で宿泊予約できるようにもしてもらったから、説明できる人がいたほうがいいのよ」
「再来週は…3ヵ月に一度の“旅館のおかみ講座”っていうのがあるし…困ったわね」
「そうか…美人おかみの説明員が欲しかったんだけどなあ。まあ、こっちもちょっと訳ありの急な出展だから、仕方ないか…。あ。じゃあ翔太は?」
「翔太は都合つけようと思えばつけられるけど…子供で大丈夫なの?」
「最近のゲームショー、若い女性もけっこういるのよ。翔太だったら大人気ね」
「そう言うんなら…。ああ、でも、その日は父さんは旅館組合の役員会だし、光彦さんも団体さんの準備で、翔太を送っていけないわ」
「そうか…。私も前日まで出張だから…うーん、ちょっと考えてみるね。誰か別の人に迎えに行ってもらうかもしれないけど、鈴ちゃんがオーケーしてくれれば、お願いしたいの」
「わかったわ。詳細がわかったら、また連絡して。父さんと光彦さんにも話しておくわ」
「ありがとう。じゃあまたね」玲香は機嫌よく電話を切った。
* * *
「で、でも、そんなの悪いわ。迷惑でしょ」
美紗緒の申し出に、玲香は少々戸惑っていた。
再来週の週末に東京にセッションに行くから、その時に食事でもどうかと美紗緒から電話がかかってきた。
ちょうどゲームショーのときだったので、その旨説明をしたのだが、美紗緒は何故か、とても興味があるとは思えないゲームショーの内容に興味を示し、それに翔太が来るかもしれないということを知ると、なおさら興味を示したのだった。
「あ、でもね。翔太は来られるかどうか、まだわからないの。東京まで送ってこられる人間が都合着かないかもしれないから」
「あら。じゃあ、私が静岡から東京までご一緒するわ」
「え?」
「土曜日なら、ちょうど行くわけだし。東京駅にはお迎えどなたか来てもらえるでしょ?」
「え、ええ…」
「じゃあ、そうしましょう。私のほうは午後からだから、それに間に合えばいつでもいいのよ。そちらの都合のいい時間に翔太くんと一緒に新幹線に乗るわ」
玲香は、美紗緒の態度に何かひっかかりを覚えた。
彼女は、あまり一方的に物事を進めようとするタイプではない。だがまるで、どうしてもと言わんばかりの勢いで言ってきた。
“なぜだろう。何か別に目的でもあるのだろうか…。いや、さすがにそれは考えすぎか。せっかくの好意で言ってくれているものを。実際問題、彼女が翔太を東京駅まで送ってくれるのなら、非常にありがたいわけで、それを断る理由もない。彼女にとっては、ついでのことなのだから”
玲香は鈴音に電話をかけた。
「鈴ちゃん? 実はね…」
* * *
「なあ玲香。翔太、緊張してるのかな」
ゲームショーに来る車の中、難しい顔をしていた翔太を気遣って賢児が言った。
「大丈夫です。新幹線で、ちょっと疲れちゃったのかもしれません」
だが、にっこり微笑みながらも、玲香は思っていた。
“翔太は緊張したときは饒舌になる。黙り込むのは、思い悩んでいるとき、困っているときだ。
でも、どうして? もしかすると私が迎えに行けないかもしれないから、迎えの人に翔太の今日の洋服を知らせるために送ってきた写メール。清流を出る前に撮ったそれの表情は明るかった。新幹線で何かあったのだろうか。でも、そうなら彼女が気づくはずだ”
「翔太。そろそろ打ち合わせ入るよー」
「おう!」いつもと同じ元気モードで答える翔太。
そこへ加奈子がやってきた。
「翔ちゃん!」
小走りの加奈子に翔太も駆け寄る。
「加奈ちゃあぁん。会いたかったでぇえ。今日はな、加奈ちゃんに会うために来たんやで」でれでれとしながら、顔をくしゃくしゃにして笑う翔太。「あんな、これ、今朝摘んだバラやで。ミス・カナコいう名前なんや」
翔太はリュックの中から、そそくさと円筒型のプラスチックケースに入った一輪のバラを取り出し、加奈子に差し出した。
「わあ、ありがと、翔ちゃん」翔太の頬にキスする加奈子。
「加奈ちゃん、春ポンの嫁はん、なったらいややで。俺が大人になるまで待っててな」
さらに鼻の下を伸ばす翔太の後ろで、玲香がぼそっとつぶやいた。
「あ、紗由ちゃんだ」
「え!?」慌てて辺りを見回す翔太。
「…ウソよ。ほら、打ち合わせ」
「翔太、大丈夫みたいだな」賢児がくすりと笑う。「でも、紗由と龍も後で来る予定なんだけど、面白そうだから内緒にしておこうか」
「そうですね。そうしましょう」玲香は少しばかり意地の悪い目で翔太を見つめた。
* * *
ゲームショーは盛況のうちに終わり、夜は玲香の家で打ち上げの運びとなった。
開催時間中に遊びに来た涼一一家の他、現場で説明に当たっていたアートディレクターの高橋をはじめ、大垣や塩谷もメンバーに加わっていた。
「やっぱりすごいですね。居酒屋“西園寺”は…」
西園寺家から届いた食べ物の数々を眺めながら溜め息をつく玲香。一般庶民一同が頷く。
「さゆは、うなぎたべる!」
「いきなり、うなぎだなんて、紗由ちゃん豪快ね」うふふと笑うアートディレクターの高橋。
「おねえさんにも、あげる」紗由が、うなぎの乗った皿を差し出す。
「あら、ありがとう」
「おい。紗由ちゃんて、すごいな。進子ちゃんのこと、おねえさんて呼んだぞ」玲香に耳打ちする塩谷。
「ご両親も紗由ちゃんの発言を特に気に留めないしね」うなるように囁く玲香。
「私は社長がすごいと思うわ。あれだけ進子ちゃんが露骨にラブコール送ってるのに、彼の心が乙女だってこと、まったく気づかないみたいなんだもの」低い声でつぶやく加奈子。
「じゃあ、西園寺家はすごいってことで、FA?」塩谷が二人に聞く。
「FA」深く頷く二人。
そんな会話の向こうで、龍をベランダに呼び出す翔太。
「どうしたの、翔太くん」
「これ、“命”さまに渡してや」白いハンカチに包まれた何かを、龍の手に握らせる翔太。
「…これ…?」龍が翔太を驚いた様子で見つめる。
「あとは、じっちゃんが持ってるのを持ってけば、それで全部揃うやろ?」さらに翔太は龍に封筒を渡す。
「翔太くん…?」
「頼んだで。必ず周子さんこと、よくしたってな。紗由ちゃんこと、よくしたってな」
翔太はそれだけ言うと、宴会の席に戻って行った。
詳細を確認したかった龍だが、この席ではそれもままならない。とりあえず、ハンカチの包みを封筒に入れ、龍が席に戻ろうとしたときスマホが鳴った。
「あ、おばあさま。こんばんは。…今、玲香ちゃんちだよ。皆いるよ。うん大丈夫。今ちょうどベランダだから。
…え? でも、それ…僕、今持ってるよ。さっき翔太くんから、もらって…」
龍は、華織との電話の内容に混乱していた。
* * *
翌日、龍の元を訪れた華織は、龍が翔太から渡されたというものを見て驚いた。
「これは…」
「おばあさま。これって縞猫の天珠なの? あとは清流のを持っていけば全部揃うはずだって翔太くん言ってた。もしかして、この前の話、聞いてたのかな。でもこれ、どうやって…」
「これは縞猫の天珠じゃないわ。…縞猫のは、こっちね」華織はそう言ってバッグから、小さなケースを取り出した。「夕べ、玄関のポストに入っていたの」
「ポスト? 誰が持ってきたの?」
「さあ」
華織が差し出したものと、自分が持ってきたもの、二つの天珠を見比べる龍。
「似てるけど模様が少し違う。…じゃあ、翔太くんが持ってきたのは?」
「縞猫のではないけど…この天珠、知っている物よ。…それこそどうして翔太くんが…」
考え込む華織。そこへ紗由がやってきた。
「あら、紗由。きれいなビー玉がいっぱいねえ」紗由が抱えているビー玉の入ったビンを見て微笑む華織。
「とうさまがくれたよ」うれしそうに笑う紗由。
「とうさま、出張のたびに買ってくるから、紗由の部屋はビー玉のお店みたいなんだよ」
「涼ちゃんらしいわ」くすりと笑う華織。
紗由は、よいしょとテーブルにビンを置くと、目の前にある天珠に気がついた。
「あ。おめめのほうせきだ!」二つの天珠を交互にじーっと見つめる紗由。
「確かに目みたいに見えるわね。気に入ったの?」
華織が紗由の頭を撫でると、紗由は華織を見上げた。
「さゆも、とりかえっこする。翔太くんみたいに、とりかえっこする」そう言って、大きいビー玉をいくつか取り出すと、華織に差し出す紗由。
「取替えっこ?」怪訝な顔で紗由を見る華織。
「紗由。それどういうこと? 翔太くんは何と何を取り替えたの?」
龍が聞くと紗由は答えた。
「おにんぎょうと、おめめ」
「お人形って、これ?」華織が、翔太が渡した封筒に入っていた羽童を取り出す。
「…うーん。ちがう子」首をかしげる紗由。
「お目目ってこれ?」龍が二つの天珠を指差す。
「えーと…こっち」紗由は、翔太が龍に渡したほうの天珠を手に取った。
「どういうことかな、おばあさま…」龍が少し苛立った様子でつぶやいた。「…こういうとき禁忌日があるのって面倒だなあ」
華織も龍も現在力が半分ほどに封じられた状態になっているが、それに加え、力がまったく使えない日というのがある。伊勢で季節ごとの祭祀を行っている日がそれで、年に二十日ほどあるのだ。
普段なら、たとえ力が抑制されていても、天珠くらい強い宝石からなら、ある程度の情報を読み取ることができたところだが、この期日に当たると、そういうわけにもいかない。
紗由はその点、二人に比べてまだ力の制約が少ない。まだ小さいのと訓練不足とで、思うような形で力を制御できないのも確かだが、二人の質問に答える程度のことはできた。
「紗由の言葉通りに受け取るなら、翔太くんは、この天珠を得るために、ここにある羽童とは違う羽童…お庭の影童かしらね、それを誰かと取り替えたのね。それで龍に渡した」
「ねえ、紗由。翔太くんは、誰と取替えっこしたの?」華織が尋ねる。
「うーんとね。ぽんぽんなおせないおじちゃん」
「縞猫の人だね。…でも、こっちの天珠は縞猫の天珠じゃなくて…あれ?」混乱する龍。
「縞猫さんは自分の持っていた天珠を、龍の玉と知らずに翔太くんの羽童いうか影童と取替えたのね。でもその天珠は縞猫の天珠ではなかった」
「でも、縞猫の本物の天珠は、おばあさまのところに届けられたんでしょ? 誰が持ってきたんだろう? 届けに来た人は、どうやって縞猫の天珠を手に入れたんだろう?」
「龍の頭の中は、クエスチョンマークで一杯ね」
微笑む華織に向かって、龍は小さく口を尖らせた。
「さゆ、こっちととりかえるね!」
紗由はうつむく龍の横をすり抜け、翔太が龍に持ってきた天珠を握り締めると、部屋の外へと駆けて行ってしまった。
「あ、紗由!」
追いかけようとする龍を華織が止めた。
「いいのよ、龍。あれは、本来、西園寺の家のものだから」
「え? どういうこと?」
「…あれは、私のものだったの」華織は微笑むと、紗由に渡されたビー玉を掌で転がした。
* * *




