第59話 永久凍土《ニブルヘイム》
本話は『鳳城 麗華』視点で進行します。
「どうやってこの場所を知った……!」
エリオの声に明らかな動揺が滲む一方で、月詠は無表情で立ち尽くしている。
「っ……答えろ!」
エリオが迫る。
月詠はしばらく無言を貫いてから、すっと人差し指を上へ向けた。
「――神の御導き」
時が止まった。
「私が選んだんじゃない。ただ導かれるままに歩んだだけ」
この場にいる全員――エリオもセレネも麗華もライラも、誰もがドン引きする。
「あ、相変わらずだぁ……」
「ですわね……何なら拍車がかかっているように感じますわ」
ライラと麗華は揃って遠い目をする。
氷の女帝。
最強のダイバー。
世界ランキング第2位。
世間から付けられた異名はいくつもあるというのに、本人の中ではそのどれより『神の信徒』が先にくるらしい。
「スピ系かお前……!」
エリオが苛立たしげに吐き捨てた。
月詠は首を傾げる。
「違う」
「何が違うんだよ!」
「神は実在するから」
「そういう話をしてるんじゃない!」
「最初に『スピ系』と言いがかりをつけたのはそっち」
「だからっ……ああもう!」
会話の主導権が、恐ろしいほど簡単に崩壊していた。
エリオは額を押さえ、大きく息を吐く。
「そんな事はどうでもいいんだよ!」
顔を上げる。
その目に再び鋭さが戻った。
「ちょうどいい。お前にも聞きたかったんだ」
月詠は答えない。
「世界ランク1位が誰なのか、知ってるんだろ?」
エリオが一歩踏み出した。
「名前は。今どこにいる。どうすれば会える」
月詠は沈黙したまま、エリオを見つめている。
「答えろよ!」
「――話すことはない」
平坦な声で答えた。
エリオの問いに対し否定も肯定もしない。
僅かな手掛かりすら与えない。
それ以上その話題には興味がないとでも言うように、月詠は麗華たちへ視線を移した。
「二人を解放してもらう」
金色の瞳が、二人を拘束する黒い器具を映す。
エリオの口元がひくついた。
「お前……自分がどういう状況か分かってんのか?」
「分かってる」
「二対一だぞ」
「そうね」
「チッ……舐めやがって!」
エリオの身体から魔力が噴き上がった。
「セレネ! やるぞ!」
背後の少女へ呼びかける。
セレネは何も言わないが、黒い布の奥から月詠を見つめ、静かに一歩前へ出た。
「力ずくで聞き出してやる!」
エリオが胸元へ手を当てた。
「『太陽炉心』――」
どくん、と。
心臓の鼓動にも似た重低音が響いた。
胸の奥から白金色の光が溢れ、血管を辿るように全身へ走る。
心臓の部分が淡く発光する。
髪が熱風に煽られ、ふわりと浮き上がる。
「――フルバースト!」
叫ぶと同時に魔力が爆発した。
膨大な魔力と熱がエリオを中心に吹き荒れ、麗華は反射的に目を細める。
(どういうことですの……!?)
麗華は目を見開いた。
晩餐会で一度、エリオの力は見ている。
体内に生み出した莫大なエネルギーを全身へ循環させ、爆発的な出力へ変える魔法。
その特性自体は変わりがないように見えるが、魔法の出力が段違いだ。
「雪禰ちゃん! 気を付けて!」
ライラが叫ぶのと、エリオが踏み込むのはほとんど同時だった。
金属の床が爆ぜ、黄金の光が視界を横切る。
晩餐会で見た時より明らかに速い。
距離そのものを消し飛ばしたかのように月詠の懐へ入り込む。
「うおおおおおおおっ!」
エリオは熱を帯びた拳を振りかぶる。
それでも月詠は避けなかった。
迫るエリオを見つめたまま静かに呼吸する。
吐く息は、白んでいた。
「――『永久凍土』」
直後、部屋を満たしていた空気が軋んだ。
月詠を中心に、そこに存在する熱そのものが一瞬で奪われたのだ。
壁も床も白く曇り、配管には瞬く間に霜が這う。
空気中の水分は細かな氷晶となってきらめいた。
そして、その異変は物質だけに留まらない。
「なっ……!?」
月詠へ迫っていたエリオの身体が、目に見えて鈍った。
全身を覆っていた黄金の魔力。
その光の表面に白い霜が浮かび、輝きが急速に翳っていく。
(魔力を凍らせているんですの……!?)
麗華は思わず息を呑んだ。
エリオも異変を察したのだろう。
拳を無理やり振り抜こうとするが、月詠へ届くより先に右腕が薄氷へ覆われ、動きが止まる。
「――チィッ!」
エリオは弾き飛ばされたように転がって距離を取った。
「お兄ちゃん!」
セレネがか弱い声で叫び、駆け出した。
黒衣を翻し、月詠の死角へ回り込む。
だが数歩も進まないうちに、その足が止まった。
床と靴が、一緒に凍りついている。
「……っ!」
強引に引き剥がそうとした瞬間、今度は足首から白い霜が這い上がる。
セレネは咄嗟に後方へ跳び、辛うじて凍結から逃れた。
月詠は追わない。
始めに立っていた場所から、一歩も動いていない。
「舐めるなぁッ!」
エリオが腕の氷を砕いて起き上がり、再び『太陽炉心』の出力を引き上げる。
黄金の輝きが膨れ、凍りついた床を溶かしながら月詠へ突進した。
先ほど以上の速度だった。
(やはり、強くなっていますわね。……もしかすると、私や神代さんよりも)
それでも月詠へ近づくと、エリオの光が弱くなる。
放出した魔力が凍りつき、推進力を失っているのだ。
なのに止まらない。
ついに月詠の目前まで踏み込み、拳を振りかぶる。
「捉えたぞっ――!」
月詠はその一撃を見つめた。
――バキバキバキッ!!
突如として月詠の足下から白い氷が広がり、氷塊のバリアを形成する。
「ぐっ……!」
エリオの脚が止まる。
その背後からセレネが襲いかかっても同じだった。
月詠の周囲へ踏み込んだ瞬間に氷の壁が生まれ、一切近寄らせない。
二人掛かり。
それも、エリオは以前とは比較にならないほど強くなっている。
にもかかわらず、月詠はただそこに立っているだけで、二人を正面から押し返していた。
「……強すぎる」
隣でライラが呟いた。
月詠はまだ、一歩も動いていない。
世界第5位と第6位の二人を同時に相手取りながら、たった一歩も。
「あの人、ホントにボクと1位差なのかな……」
「……ランキングは戦闘力の順位ではありませんから」
攻略実績、社会的影響力、ダンジョン業界への貢献、知名度など、様々な要素を総合して決められる。
麗華が今の位置にいる理由の一つには、各国との交渉や外交面で残してきた実績を評価されたという視点もある。
ライラも同じだ。
圧倒的な知名度と人気。
世界中の人間をダイバーという存在へ惹きつけ、その一挙手一投足が業界そのものを動かすほどの影響力。
それらもまた、彼女の順位を押し上げている。
……だが、月詠 雪禰には、そんなものはない。
ないというか、やらない。
メディアへ積極的に顔を出すこともない。
政治に関わることもない。
人脈を広げることにも興味がない。
彼女がしてきたことは、ほとんど一つだけ。
ダンジョンへ入り、攻略すること。
ただそれだけを積み上げて、世界第2位。
つまり、純粋な実力だけなら――
「私たちより、遥かに上でしょうね」
麗華が小さく呟いた。
ライラも珍しく真顔で頷く。
「ボクも、ここまでとは思ってなかった」
そう呟いた直後に轟音が上がる。
エリオが黄金の光とともに、氷壁を蹴り砕いていた。
「くらえっ!」
ついに月詠の懐へ入る。
拳を引き絞る。
至近距離。
防壁も間に合わない。
エリオの顔に、勝利を確信した色が浮かんだ。
その直後、月詠が指先で宙を軽く払う。
するとエリオの右腕がみるみる凍りついていく。
「――くそっ!?」
拳から肩まで一瞬で。
皮膚の上を白い霜が駆け抜け、次の瞬間には分厚い氷へ包まれている。
勢いを殺された身体が傾く。
そこへ月詠の足元から氷がせり上がった。
巨大な氷塊がエリオを正面から弾き飛ばす。
「ぐっ……!」
黄金の光が宙を舞い、エリオの身体が数十メートル先まで吹き飛んだ。
床を何度も跳ね、最後には壁へ激突する。
「お兄ちゃん……!」
セレネが声を漏らした。
月詠は転がるエリオを見つめて静かに立ち尽くしている。
銀の長髪が冷気に揺れる。
その周囲を、ダイヤモンドダストがひらひらと舞っていた。
(美しいですわ……と同時に、恐ろしいですわね)
麗華には、それが獲物を阻む無数の刃にしか見えなかった。
「くっ……ハァ、ハァ……」
エリオが氷を砕きながら立ち上がる。
肩で息をしている。
対する月詠は、呼吸一つ乱していない。
「もうやめた方がいい。やるだけ無駄」
月詠の声は相変わらず冷淡だ。
「ふざけるなっ……」
対してエリオは、吐き捨てる声にも余裕がない。
月詠は彼を見つめ、少しだけ目を細める。
「これ以上続けても、貴方が死ぬだけ」
「ハッ……お前に、その覚悟があるのかよ」
挑発するように笑うエリオへ、月詠は首を横に振った。
「私が何もしなくても、貴方は勝手に死ぬ」
「っ……」
エリオの表情が揺れる。
ほんの僅かだったが、麗華には十分だった。
「……そういうことですのね」
おかしいとは思っていた。
本来、魔法とは体内に巡る魔力を糧に発動する力。
しかしエリオの『太陽炉心』は、魔力量そのものを底上げしているように見える。
ただ魔法というのは、傍から見ただけではその全容を掴めない。
だから、何かしらのカラクリがあるのだろうと思っていたのだが……。
「貴方、生命力を使って……」
命を削って魔力の源としている。
もはやそれは、魔法と呼べる代物ではないのではないか。
「――それがどうした!」
麗華の思考を遮るようにエリオが叫んだ。
呼吸を荒げつつも、黄金の光はまだ消えていない。
「セレネを救えるなら、オレの命なんてどうでもいい!」
「お、お兄ちゃん……!」
セレネが黒布を揺らしながら兄のもとへ駆け寄り、震える手で腕を掴む。
「やめて……やめてよ……!」
声が細い。
先ほどまでの無機質な佇まいとはまるで違っていた。
「嘘、でしょ……? お兄ちゃん、魔法を使うと死んじゃうの……?」
「……そうだ」
「そんな……! セレネは、どうなってもいいから……お兄ちゃんは、もうやめて……!」
「馬鹿言うな!」
エリオ荒々しく振り払う。
「お前を助けるためなら、オレは死んでもいい」
「でも――」
「大丈夫だ」
そう言って、エリオは笑った。
年相応な、優しい笑み。
麗華にはそれが痛々しく見えた。
「父さんと母さんに約束したんだ。兄ちゃんに任せろ」
エリオは再び月詠へ向き直る。
黄金の光が膨れ上がり、自らを拘束する氷塊を強引に溶かしていく。
「……本当にやめた方がいい。あと30分も持たないはず」
「黙れ!」
叫ぶと同時に飛び出した。
月詠が右手を上げる。
空中に浮かんでいた冷気が凝縮し、白い氷球となって次々と射出された。
エリオはそれらを拳で打ち砕きながら前へ進む。
破裂した氷片が白い霧となって広がった。
「おおおおおおッ!」
雄叫びを上げ、月詠まで残り数歩。
エリオの足元で氷が盛り上がる。
「くそぉっ……!」
白い氷塊が足首へ絡みつき、そのまま脛、膝、腰へと一気に這い上がった。
腕まで封じられ、胸元も呑み込まれ、最後には首から上だけを残して巨大な氷塊の中へ閉じ込められていた。
「く……化け物め……」
エリオが顔だけを動かし、忌々しげに吐き捨てる。
月詠は気にした様子もない。
「もうおしまい」
凍りついたエリオの横を通り過ぎ、麗華とライラの方へ歩いてくる。
「二人を解放させてもらう」
勝負は決した。
麗華には、そう見えた。
だが。
「……ぁ……」
か細い声が聞こえた。
麗華が振り向く。
セレネが胸元を押さえ、身体を折るようにして蹲っていた。
「セレネ……!?」
エリオの顔色が変わる。
黒い布の下で、少女の身体が大きく脈打った。
一度。
そして、もう一度。
麗華は眉を顰めた。
それまで感じていなかった異質な魔力が、セレネの内側から溢れ始めている。
「……これは」
思わず息を呑む。
人間の魔力ではない。
濁っている。
淀んでいる。
獣の断末魔のような禍々しさを伴いながら、際限なく膨張していく。
そして、その総量。
麗華はこれまで数え切れないほどのダンジョンを攻略してきた。
世界中のダイバーを震え上がらせてきた怪物たち。
そのどれよりも、今、目の前にいる少女から溢れる魔力の方が強い。
「雪禰ちゃん! これまずいかも……!」
ライラの声が鋭く響く。
月詠も察している様子だった。
「セレネ!」
氷の中から、エリオが叫ぶ。
「やめろ! 戻ってこい! セレネ!」
だが、届かない。
「ぁ……あ、ああ……オ、ニイ、ちゃン……」
セレネの声が、途中から人間のものではなくなっていく。
黒い布が内側から膨らんで――
――バリッ
布が裂けた。
「な……」
麗華は言葉を失った。
細かった腕が異様に膨張し、白い肌の下から黒い甲殻が突き出してくる。
指先は伸び、鋭い鉤爪へ変わる。
背中が大きく隆起し、肩口から幾本もの棘が生えた。
骨格そのものが軋みながら形を変え、少女だった身体が見る間に巨大化していく。
「どういう……ことですの」
麗華の声が震えた。
隣でライラも言葉を失っている。
世界ランキング第6位――セレネ・ヴァレンティ。
つい先ほどまで確かに人間だった少女の輪郭が、急速に失われていく。
「セレネェエエエッ――!」
エリオの絶叫が虚しく響く。
異形の口角がにやりと上がった。
「ふ、フフ……フフフ……」
体長二メートルほどにまで成長したその体。
セレネの面影を残しているのは、もはや右目周辺の一部分だけであった。
そこだけは、魔物にならず人間のまま留まっている。
麗華は拘束されたまま息を止めた。
月詠は冷気をまとい、初めて明確に構えを取る。
その眼前では、巨大な異形が彼女を見下ろしていた。




