第45話 世界12位の敗北
本話前半は『鷹峰 鉄華』視点で進みます。
後半は『文月 知世』視点で進みます。
眼前から巨大な拳が迫る。
「遅ぇよ!」
鉄華は回転しながら攻撃を躱す。
赤黒い剛腕が鼻先を掠め、そのまま地面へ突き刺さった。
「――『震天動地』!」
鉄華の右手に橙色の魔力が収束する。
がら空きになった敵の脇腹へ、衝撃波を乗せた拳を叩き込んだ。
「ふんっ!」
鈍い轟音。
三メートル近い巨躯が吹き飛んだ。
地面を転がった魔物が岩壁へ激突する。
「まだ死んでねえのかっ……!」
赤黒い皮膚に覆われた筋肉が蠢き、骨を軋ませながら立ち上がった。
その魔物の名はブラッドオーガ。
異常に発達した両腕と、全身を覆う分厚い筋肉を持つ人型の魔物だ。
半端でない腕力が強みで、しかも巨体に似合わず動きが速い。
「ザコにしちゃ、やるじゃねえか!」
鉄華は笑い、正面から踏み込んだ。
ブラッドオーガが吠え、両腕を振り下ろす。
「んな大振り、当たらねえよ!」
懐へ潜り込み、分厚い胸板へ二発。
続けて顎へ一発。
拳から放たれた魔法の衝撃が、硬い筋肉と骨を内から破壊する。
「グォオオッ……」
ブラッドオーガの巨体が大きく仰け反った。
「これで終いだ!」
最後の一撃が腹部へめり込む。
魔物は地面から浮き上がり、数メートル先まで吹き飛んだ。
岩壁に叩きつけられ、今度こそ動かなくなる。
「中々タフだが、硬ぇだけだな!」
多少の手間はかかるが、一対一で負けるような相手ではない。
二体、三体と同時に来ても、まだ余裕はある。
問題は……。
「――ぐはぁあっ!?」
「っ!」
背後から悲鳴が上がった。
振り向いた鉄華の視界に映ったのは、同行していたS級ダイバーの一人が、別のブラッドオーガの拳をまともに喰らったところだった。
大柄な男の身体が地面を跳ねる。
「チッ!」
鉄華は地面を蹴った。
負傷した男へ追撃しようとしたブラッドオーガの横顔へ、飛び蹴りを叩き込む。
巨体がよろめく。
着地と同時に踏み込み、顔面へ拳を連打。
「寝てろッ!」
轟音とともに、ブラッドオーガの頭部が岩壁へめり込んだ。
鉄華は倒れた男へ視線を落とす。
「立てるか!」
「す、すみません……右腕が……」
「謝ってる暇あんなら立て! んで離れてろ!」
男を立ち上がらせ、その背中を押す。
その瞬間。
「――うわあああッ!」
反対側から、別の声が響いた。
「今度はどこだ!」
見れば、別のダイバーが二体のブラッドオーガに挟まれている。
一体へ対応している間に、もう一体が死角へ回り込んだらしい。
鉄華は舌打ちし、再び駆け出した。
一体を殴り飛ばす。
もう一体の腕を掴み、力任せに地面へ叩きつける。
だが、そうしている間にも、別の場所で魔力の炸裂音が響いた。
「鷹峰さん……うぐああああっ!?」
「待ってろ!」
突如、日本に出現した新たなダンジョン。
調査隊として駆り出されたのは、鉄華の他に四人。
誰もが日本では指折りのS級ダイバーだ。
その四人が、ボスでも何でもない魔物を相手に、次々と追い詰められている。
鉄華自身は戦える。
前だけを見て、好きに拳を振るえるなら、この程度の敵に負ける気はしない。
だが、ここにいるのは自分一人ではない。
「固まれっつってんだろうが!」
鉄華が怒鳴る。
負傷者を庇い、飛び込んできたブラッドオーガの腕を受け止めた。
――ドゴッ!
重い。
地面に両足が沈む。
「ぐ……おらああああああッ!」
力任せに押し返し、顎へ頭突きを叩き込む。
魔物が仰け反る。
直後、脇腹に熱いものが走った。
「――っ!」
背後から伸びた骨の角――ブラッドオーガの額から飛び出たもの――が、鉄華の身体を深く切り裂いていた。
「て、鉄華さん……!」
鉄華はよろめきながらも、襲撃してきたブラッドオーガを拳で殴り飛ばした。
「チイッ……」
呼吸が乱れる。
傷口から血が流れ続けていた。
それでも、鉄華は周囲を見渡す。
一人は腕を押さえて蹲っている。
一人は立つのがやっと。
残る二人も、すでに傷だらけだ。
対するブラッドオーガは群れで現れ、元気な個体がまだまだ残っている。
さらに通路の奥から、地響きが近づいてきていた。
「……ああ、そうかよ」
鉄華は口元の血を拭った。
(クソうぜぇけど……ここまでだ)
このまま進めば誰かが死ぬ。
ならば、やることは一つしかない。
「全員、アタシの後ろに集まれ!」
「鷹峰さん……!」
「調査は中止だ!」
拳を固く握る。
「絶対に、全員で生きて帰んぞ!!」
全身の魔力が一気に膨れ上がり、足元の岩盤が震えた。
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「ふぅ……もうすぐお昼ですね」
文月知世は端末へ視線を落としたまま、小さくため息を吐いた。
日本ダンジョン協会・東京支部。
昼前にキリの良い所まで仕事を進めようと、職員たちが慌ただしく動いている。
そんなオフィスの中央に設置された大型モニターには、徳島は鬼籠野地方からのテレビ中継が映し出されていた。
新たにダンジョンが発生した際、支部では報道番組を流すことになっている。
協会内部の情報だけでは見えない、一般社会の反応を把握するためだ。
『――現在、鬼籠野ダンジョン周辺では、協会と警察による封鎖が続いています』
現地リポーターの背後には、山間部へ続く未舗装の道路が映っている。
その道路は『KEEP OUT』と書かれた黄色いテープで封鎖されており、緊迫した現場の様子が中継されていた。
とはいえ、文月はそれほど心配していなかった。
念のため、アメリカにいる仁にも一報入れておいたものの、現地に向かったのは、たまたま九州での任務を終えたばかりの鷹峰 鉄華だ。
世界ランキング12位。
恵まれた体格と図抜けた運動神経から繰り出される、高速怒涛の近接格闘術を得意とする彼女。
日本国内において、単純な戦闘力なら間違いなく最高峰と言える。
そんな彼女が現場入りしているのだから、よほど問題は起こらない。
(……ま、強いて心配事を上げるとするなら、鷹峰さんがそのまま奥へ進んでしまうことくらいですかね)
調査隊の役割は、その名の通り内部の調査。
本攻略に臨む前に、敵の種類や地形の構造を把握し、無理をせず帰還する。
だが、鷹峰 鉄華という女は、調査隊として突入したにもかかわらず、最深部まで進んでボスを殴り倒したことがある。
ことがある……というか、片手で数えきれないほどある。
「今回こそは、勝手に攻略しないでほしいんですけど……」
ため息をつきながら、海外案件の調査報告書を取り出す。
どうせ帰ってきたら「行けそうだったから行ってきた!」などと言うのだろう。
その時は、今度こそ厳しく――。
『――東京支部、応答してください!』
机上の通信端末から、切迫した声が響いた。
文月はすぐに回線を開く。
「こちら東京支部、文月です。状況を報告してください」
『調査隊が帰還しました!』
「ああ、もう戻ったんですか」
文月は表情を緩め、小さく息を吐いた。
「ずいぶん早かったですね。鷹峰さん、今回はちゃんと調査だけで留まったようで……」
『違います!』
通信の向こうから、強い声が返ってきた。
『攻略を断念し、撤退してきたんです!』
「……え?」
一瞬、言葉の意味を理解できなかった。
『突入した五名、全員が重傷です。現在、県内の大病院へ搬送しています』
文月の指先が止まる。
「た、鷹峰さんは……?」
『彼女が最も重傷です』
「そんな……」
『ほかの四名を庇って、殆ど全ての戦闘を請け負いながら、ダンジョン入り口まで連れ戻したようです。帰還直後に意識を失いました』
ガタン、と大きな音を立てて椅子が倒れる。
気付けば文月は、その場で立ち上がっていた。
「命に別状は?」
『現在、確認中です。現場の医療班では処置しきれません。病院に到着し次第――』
『――新しい情報が入りました!』
大型モニターから響いた声に、オフィス内の視線が一斉に集まる。
画面には変わらず封鎖された道路が映っていて、山の奥から赤色灯を回した救急車が近づいてくる。
リポーターが道を空け、走り去る車両を見送った。
『たった今、救急車が現場を離れました』
続けて二台。
三台。
車内はカーテンで遮られ、搬送されている者の姿は見えない。
『現在までに、五台の救急車が鬼籠野ダンジョン周辺を出発しています。調査隊として突入したダイバー全員が、医療機関へ搬送されたものと見られます』
映像がスタジオへ切り替わる。
『調査隊には、世界ランキング12位の鷹峰鉄華氏が参加していました。先生、この現状をどう思われますか?』
『突入から脱出までの時間を考えると、恐らくダンジョンの中腹にすら到達していないでしょうな。年々、ダンジョンは難化傾向にあります。誰も攻略できないダンジョンが出てきたとしても、何ら不思議でありません』
『誰も攻略できない……それは、非常に恐ろしいですね』
『はい。先日の日本ダンジョン協会を巡る大規模な不祥事に続き、国民の安全を守る能力そのものにも疑問が――』
「まだ何も分かっていないのに……」
文月が奥歯を噛む。
速報を伝えること自体は必要だ。
だが彼らマスコミは、ダイバーがどのような状況で戦い、なぜ撤退を選んだのか知らずに、好き勝手に不安を煽るような発信をする。
画面の右上には『12位、敗退!?』というフレーズが派手な色で浮かんでいた。
「文月さん」
穏やかな声に呼ばれ、文月は振り返る。
デスクの脇に白髪交じりの男性が立っていた。
彼こそ、日本ダンジョン協会会長――久世 雅臣だ。
慌ただしい室内にあっても、その声音はいつもと変わらず柔らかい。
「会長……」
「現地からの報告を、聞かせていただけますか」
文月は深く息を吸った。
狼狽している場合ではない。
「調査隊五名、全員が重傷です。鉄華さんが四人を守りながら撤退し、現在は意識不明。病院へ搬送されている最中です」
「……分かりました」
会長は静かに頷いた。
それから、周囲の職員たちへ向き直る。
「高橋さん」
「はいっ」
若い職員が呼ばれ、びしっと足を揃える。
「専用ヘリを一機、確保していただけますか」
「はっ。行き先はどちらで?」
「私ではありません。羽田に着けさせます」
「羽田……ですか」
「あと五時間弱で御影さんと朝比奈さんが帰国する予定です。即刻、徳島へ向かってもらいましょう」
「お二人に協力を依頼するのですね! 承知しました!」
会長は頷き、別の職員へ視線を向ける。
「池上さんは羽田空港に経緯を伝え、ヘリの受け入れと、二人の入国手続きを優先的に行ってもらうよう連絡してください」
「はいっ!」
「横山さんは搬送先の病院へ連絡を。屋上もしくは周辺に、ヘリの着陸場所の確保を依頼してください」
「分かりました! すぐに動きます!」
職員たちが動き出す中、会長は文月の机へ近づいた。
「文月さん。今回のダンジョンをどう見ていますか?」
文月は少しだけ黙った。
脳裏に浮かんだのは、長野県に発生した鑪ダンジョン。
(今回の状況と酷似していますね……)
あの時も、一般のS級ダイバーだけでは攻略を成すことができなかった。
それどころか、S級ダイバーが足手まといになり、危うく世界19位の朝比奈まで命を落としてしまう所だったと聞いている。
「……既存の分類では、実態を表せないほどの難度かもしれません」
文月は、自分の考えを確かめるように口にする。
「公式な呼称ではありませんが……SS級とでも呼ぶべきダンジョンが、増えているのではないかと」
会長は否定しなかった。
文月の隣に立ち、同じ画面を見つめる。
「そこまでの相手だと考えているのですね」
「はい」
「では、その想定で備えましょう」
穏やかな声だった。
「呼び方や制度について考えるのは、皆さんが無事に戻ってからでも遅くありません。今はまず、攻略できるダイバーを選定しましょう」
「ダイバーの選定と言っても、半端なS級ダイバーでは太刀打ちできないレベルと考えると、必然的に……」
文月は指を一本ずつ折った。
「先生と、鷹峰さん」
朝比奈が到着すれば、鉄華は戦線へ復帰できる可能性がある。
そして何より、仁がいる。
「現状、出動できる最高戦力の二人です」
「ふむ……ですが調査に失敗しているため、内部構造すら定かでない。鷹峰さんを追い詰めた魔物が、さらに大量に出現する可能性もあるとすれば……あと一人は加えたいですね」
「あと一人……ですか。であれば、心当たりが」
文月は世界ランキング上位者の現在地と任務予定を表示した。
多くは国外の遠征任務中。
すぐに日本へ呼び戻すことは難しい。
だが、その中に一人だけ、間もなく依頼を終えるであろう人物がいる。
「ダンジョンの出現が分かった時点で、念のため連絡は入れてあります」
「流石ですね、文月さん」
文月はスマホを取り出し、通話ボタンを押した。
画面に相手の名前が表示される。
『神代 ライラ』――世界ランキング・第3位の名だった。




