第44話 偏愛
「――それじゃあ、朝比奈が来たら空港に向かうよ」
「私は欧州へ。ここでお別れですわね」
柔らかな朝日が差し込むホテルのエントランスで、俺は麗華と向かい合っていた。
「麗華、今回は助かったよ」
昨日の晩餐会を思い出す。
名前も顔も覚えきれないほどの人数と挨拶を交わし、ダンジョン業界の今後とか、政治的な話とか、難しいやり取りも多かった。
その都度、麗華が会話を先導し、相手の立場や思惑をさりげなく入れ知恵してくれたから、どうにか最後まで会長代理らしく振舞えた。
俺一人だったら、どこかでアルコールに逃げていたかもしれない。
「ありがとな」
麗華はほんの一瞬だけ目を見開き、すぐに、いつもの余裕たっぷりの表情へ戻る。
「ふふ。早く、一人で務まるようになりなさい」
「……ぜ、善処する」
「まったく、ですわ」
そう言って、麗華はくすっと笑った。
彼女は昔から高飛車な女だった。
名家の令嬢で、優秀であることを自覚し、他人にも自身と同じ水準を平然と要求する。
そんな世間知らずだった彼女だが、今はもう全てを知っている。
世界が白と黒でハッキリと表せないことも、綺麗事だけではどうにもならないことも、力のある者ほど多くのものを背負わされることも、国家の代表になる難しさも。
それら全部を知ったうえで、それでも背筋を伸ばし、自信満々に「私こそが女王だ」という顔をしている。
「……本当、良い女になったな」
「なっ……!?」
麗華の表情が固まる。
「い、い、今ごろ気づきましたの!?」
「いやあ、昔はエリオ顔負けのクソ生意気お嬢様だったからな」
「な!? 今の発言を撤回なさい!」
「一言目を? 二言目を?」
「二言目に決まっていますわ!」
麗華の声がエントランスへ響き、何人かの宿泊客がこちらを見た。
それに気づいた麗華は咳ばらいをし、何事もなかったかのように、背筋をぴんと伸ばした。
「……それでは、私はこれで」
「ああ、またな」
丁度、ホテルの正面玄関に一台の黒い高級車が滑り込んでくる。
運転席から礼服姿の男が降り、後部座席の扉を開いた。
「仁」
「ん?」
「昨日の話、決して忘れないことですわ」
「……分かってるよ」
麗華は「よろしい」と満足げに頷いて、車に乗り込んだ。
朝の街に溶け込んでいくその車を、俺は見えなくなるまで見送った。
文月も、朝比奈も、鉄華も、夕凪も、麗華も。
そして未だ再会していない、残る二人の教え子もきっと。
前に進み続けてるんだな。
「先生ぇ……!」
背後から間延びした声が響く。
振り返ると、朝比奈が大きなスーツケースを引いて走ってきていた。
「す、すみませぇん。お化粧に時間がかかってしまってぇ」
「いや、大丈夫だ。飛行機の時間にはまだ余裕がある」
「麗華さんはもう出発されましたかぁ……?」
「ああ、残念ながらな」
「がーんですぅ……お別れのご挨拶をしたかったのにぃ……」
「昨日の夜、散々喋ったろ」
あれから部屋では大騒ぎだった。
俺が教え子に手を出したと勘違いした麗華の口撃と、添い寝を要求する朝比奈の間に挟まれ、結局落ち着いて眠れたのは三時間ほど。
おかげで今、超絶眠い。
「それじゃ、空港へ向かうか」
「はぁい」
俺が重い鞄を持ち上げた、その時だった。
ポケットの中で、スマホが短く振動する。
「あ、浮気ですかぁ?」
「誰とも付き合ってねえよ」
眠気混じりにスマホを取り出す。
画面に表示されていたのは文月からのメッセージ。
届いた文章を見て、眠気が一瞬で吹き飛んだ。
『日本に新規ダンジョン発生。現在、鉄華さんを中心とした先遣隊を招集中です』
続いて、もう一通。
『現時点では、予定どおり帰国してください。ただし状況次第では、羽田到着後、そのまま現地へ向かっていただく可能性があります』
俺はスマホをポケットにしまい直す。
「――急ぐぞ、朝比奈」
足早にエントランスを後にした。
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「――脱がすぞ、セレネ」
「……うん」
灯りを落とした部屋で、エリオは妹の前に膝をついた。
セレネの身体を包んでいた黒い布へ手をかけ、慎重に脱がしていく。
頭を覆う布を外すと、淡い金色の髪が肩へこぼれた。
誰が見ても息を呑む、絶世の美少女。
けれど、紫色の変色が頬まで這い上がり、硬質な皮膚が覗く。
セレネは目を伏せたまま、黙って兄へ身を委ねていた。
「腕、上げられるか?」
「……上げられるよ」
細い腕が、ゆっくりと持ち上がる。
エリオは服の裾を掴み、皮膚へ擦れないよう少しずつ引き上げる。
右肩の辺りへ差しかかった時だった。
「っ……!」
セレネの身体が小さく跳ねた。
エリオはすぐに手を止める。
「ごめん。痛かった?」
「ううん」
「でも、今――」
「大丈夫だよ、お兄ちゃん」
セレネは顔を上げ、にこりと笑った。
無理をしていることなど、見れば分かる。
額には細かな汗が浮かび、唇からは血の気が失われていた。
それでも、エリオを安心させるために笑っている。
その健気さが、傷ついた姿そのものよりも深く、エリオの胸を抉った。
「今度は、もっとゆっくりやるから」
「……ありがと」
先ほど以上に時間をかけて、服を脱がせていく。
露わになった細い上半身には、胸元から腹部まで幾重にも包帯が巻かれていた。
右腕から肩、腰の辺りにも、白い布が隙間なく重なっている。
そして、ところどころ、滲み出した紫色の体液で汚れていた。
エリオは息を詰めながら、包帯の端をつまむ。
皮膚へ張りついた箇所は薬液で湿らせ、決して無理に引かないよう剥がしていく。
やがて、白い布の下から現れたのは、人間の身体ではなかった。
顔の右側から首筋へ。
肩、腕、脇腹を通り、右脚に至るまで。
セレネの身体のおよそ七割超が、濁った紫色に染まっている。
皮膚は厚く硬質化し、鱗のようなものが幾重にも重なっていた。
場所によっては肉が不自然に盛り上がり、その内側で別の生き物が脈打っているかのように蠢いている。
人間と魔物の境界が、彼女の身体の上で歪に入り混じっていた。
「……っ、は……」
セレネが浅く息を吐く。
包帯を外したことで、皮膚へ触れる空気さえ刺激になっているらしい。
エリオは異形化した部分へ触れないよう注意しながら、薬を染み込ませた布で周囲を拭った。
「痛むよな」
返事を待たず、掠れた声で続ける。
「ごめんな」
「……どうして、お兄ちゃんが謝るの」
「だって……」
自分がもっと強ければ、セレネはこんな痛みに耐え続けずに済んだ。
そんな言葉が喉元まで出かかったが、飲み込んだ。
口にすれば、セレネはきっと自分を責める。
「セレネは平気だよ、お兄ちゃん」
そう言って、彼女は再び微笑んだ。
「これくらい、いつものことだから」
いつものこと。
その言葉を、エリオは何より憎んでいた。
こんな苦痛が日常になっていることも。
セレネ自身が、それを当然のものとして受け入れ始めていることも。
「……早く見つけないと」
新しい包帯を手に取りながら、エリオは呟いた。
セレネが僅かに首を傾ける。
「見つける……1位のこと?」
「ああ」
エリオの脳裏に、昨日の光景が蘇る。
くだらない晩餐会だったが、知れて良かったことが二つある。
一つは、世界ランク・トップ層は半端なく強いということ。
エリオはこれまで、多くのS級ダンジョンを踏破してきた。
並のS級ダイバーでは太刀打ちできないような高難度のダンジョンを、たった一人でボスまで討伐しきった事も少なくない。
だがそんなエリオでも、世界ランキング4位――鳳城麗華に傷一つ付けられず、それどころか相手は椅子に座ったままで、圧倒的な実力差を見せつけられてしまった。
それ自体は腹立たしいが、もっと自身を強化する必要があると知ることができたのは大きい。
そしてもう一つは、世界ランク1位は実在するということだ。
エリオが空白の玉座について問いかけた時、それまで余裕を崩さなかった女の目が、あの瞬間だけ冷たく変わった。
何かある、と。エリオはそう直感した。
「多分だけど、2位も3位も同じだ」
本来なら1位へなれるはずだった三人が、揃ってその座を拒否した。
偶然であるはずがない。
三人とも、同じ秘密を共有している。
「全員……本当の1位が誰なのか、知ってるんだと思う」
「……探すの?」
「ああ」
エリオは迷わず答えた。
包帯を巻き終えると、セレネの異形化した右手を両手で包む。
硬く、冷たい手だった。
かつては柔らかく、自分と同じ肌をしていたはずなのに。
「一人ずつ捕まえる」
エリオは低い声で言った。
世界の頂点に立つ三人。
昨日、自分を子供扱いした女と同等か、それ以上の怪物たちに向けての宣言だ。
「三人もいれば、誰かは秘密を吐くだろ」
「で、でも……」
セレネの指先が、微かに震えた。
伏せられた瞳に、怯えが滲む。
「あの女の人、とっても強かったよ……? お兄ちゃん、また戦うつもりなの……?」
セレネの声が、次第に細くなっていく。
「それに1位がもしいたら、あの人より、もっと強いかもしれないよ……」
エリオは答えられなかった。
肯定すれば、妹をさらに怯えさせてしまう。
だが否定できるほど楽観的でもなかった。
「セレネ、こわいよ……」
一筋の涙を流す妹。
その姿を目にした瞬間、エリオの中から迷いが消えた。
(セレネのためなら……オレは何だってやってやる)
例えそれが間違いだとしても。
どれだけ多くの人間に恨まれるとしても。
この世界の誰もセレネを救ってくれないのだから、兄である自分だけは彼女の味方でいなければならない。
エリオは異形化した皮膚へ触れないよう注意しながら、妹の身体をそっと抱き寄せた。
「大丈夫だ」
「……お兄ちゃん」
「オレがいる」
淡い金髪を撫でる。
子供の頃、眠れないと泣く彼女へしていたように、何度も優しく。
「どれだけ強かろうが関係ない」
勝てるかどうかではない。
やるしかないのだ。
「必ず本当の1位を見つけ出す」
世界ランキング1位――つまり、セレネをこんな身体にした元凶。
両親の命を奪い、自分たちの人生を壊した男。
「そいつから治し方を聞き出して、お前を元に戻す」
「本当に?」
「ああ」
「また、普通に戻れる?」
「戻れる」
「セレネ、幸せになれるの……?」
「なれるに決まってるさ」
根拠などない。
けれど一瞬たりとも間を置かず、エリオは言い切った。
「オレに任せろ、セレネ」
セレネはしばらくエリオの顔を見つめていた。
やがて、僅かに安心したように目を細め、その胸元へ額を預ける。
「……うん」
小さな返事だった。
それでも、震えは少しだけ収まってくれた。
エリオは妹を抱き締めたまま、固く目を閉じる。
最近、セレネは感情を制御できなくなる事が増えてきた。
このまま何もしなければ、やがて人間でなくなってしまうだろう。
理性を失い、言葉を失い、最後には自分のことすら分からなくなる。
そんな未来だけは、絶対に認めない。
世界中を敵に回すことになったとしても。
どれほど卑劣な手段を使ってでも。
誰かを傷つけ、踏みにじり、その先で自分まで壊れることになっても。
(セレネさえ元に戻せるのなら、それでいいんだ……)
カーテンの隙間から差し込む光が、抱き合う二人を細く照らしていた。
エリオは静かに覚悟を決める。
妹を救うために必要だというのなら。
悪魔にだって、喜んで魂を差し出そう……と。
これにて晩餐会編は終了です。
お付き合いいただき、ありがとうございました。
次話からは日本で新規発生したダンジョンを舞台に、仁の活躍を描きます。
そこで再登場する世界ランカーと、新たに登場する世界ランカーも……?
また、本作ではあまり触れてこなかった『ダンジョン配信』という文化にもフォーカスしていきます。
ぜひ、お楽しみに!




