第43話 玉座に相応しいのは①
本話は中盤のみ『鳳城 麗華』視点で進みます。
夜風が吹くホテルのテラス。
パーティー会場から戻ったのは、日付が変わる少し前。
部屋へ入ったものの、そのまま寝る気にはなれず、俺は宿泊者用ラウンジへ足を運んでいた。
屋外テラスの手すりへ片肘を預ける。
黒いタキシードの上着は脱いで、左腕へ引っかけていた。
蝶ネクタイも外し、シャツの一番上のボタンを開けている。
昼間よりは幾分か楽になったが、まだ肩が凝る。
右手には、ラウンジから持ってきた赤ワイン。
グラスを傾けながら、眼下に広がるマンハッタンの夜景を眺める。
地上を埋め尽くす光。
まるで星空をひっくり返したよう……なんてのは、
「柄じゃねえな」
呟いて、ワインを一口あおる。
正直なところ、いつもの安酒との違いはよく分からない。
しかしこれも、きっと高級品なのだろう。
ここ最近の俺は、随分と恵まれている。
協会では指南役として若手に囲まれ、文月や朝比奈、夕凪たちが何かと世話を焼いてくれている。
『日本ダンジョン協会・会長代理』なんて面倒な肩書を得てしまったが、それはそれで、周囲から必要とされている実感もあった。
そして何より、かつての教え子たちが世界で活躍している。
今の生活は、色々と心労こそ多いものの、順風満帆と言っていい。
「……それが、なんで俺なんだろうな」
ぽつりと、声が漏れた。
本当は、もっと優秀な奴らがいた。
頭が切れる奴。
抜群に腕っぷしが強い奴。
人を率いるのが上手い奴。
俺より凄い奴ばかりだった。
俺以外なら、誰でもよかったんだ。
きっと世界をリードする、ダンジョン業界のけん引役になっていたはず……なのに、生き残ったのは落ちこぼれの俺だった。
その俺が今さら、若者に先生と呼ばれ、おこがましくも尊敬され、世界の表舞台へ立たされようとしている。
死んだ連中が見たら、何と言うだろう。
笑うだろうか。
怒るだろうか。
それとも――
「あら、奇遇ですわね」
聞き覚えのある声が、俺の思考を遮った。
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(――全っっっ然、奇遇ではありませんわ……!)
と内心で自分にツッコミを入れながら、麗華は優雅な微笑みを浮かべて仁へ近づいた。
パーティーで着ていた深紫色のドレスはそのまま。
ただし、肩には黒い薄手のショールを掛けている。
長い黒紫の髪も、会場では隙なく整えられていたが、今は少しだけ緩く流していた。
夜風に当たる姿としては、十分に自然だ。
そう見えるように、念入りに準備したのだから。
(こんな所ではちあうわけないでしょうに! 廊下の角から仁の部屋の出入りを監視していたら、仁が出てきたんですわよ!)
すぐに後を追うのは不自然だと思い、きっかり三分待った。
エレベーターも一本見送った。
それから、何食わぬ顔でテラスへ現れたのである。
「……おう、麗華か」
仁が振り返る。
風に揺れた、少しウェーブした黒髪。
開いた襟元。
ワイングラスを持つ長い指。
(いや、めちゃくちゃ素敵ですわねっ!?)
麗華は鼻血を噴出しそうになったが、ギリギリで耐えた。
女王の意地である。
「昼間は大変だったな。特に、あのクソガキの相手が」
仁が苦笑しながら言う。
「あら、貴方こそ……」
麗華は口を開き、言葉を止めた。
(言うチャンスが来ましたわ……!)
昼間は助けてくれてありがとう、と。
(言うんですのよ、麗華……!!)
あの時、仁が飛び込んでくれなければ、無傷では済まなかった。
礼を言うのは当然だ。
自然だし、簡単なこと。
……なのだが。
「貴方こそ、中々頑張っていましたわね」
(ばかぁああああああですわっ!)
心の中で、自分自身を激しく罵倒する。
(私のばか! 何が及第点ですの!? 百点満点中の百億点ですわよ!!)
「はは……お褒めに預かり光栄だ」
仁は慣れた様子で、ワインを一口飲んだ。
普段から同じような態度を取り続けてきたせいで、仁は麗華の高圧的な物言いを完全に受け流すようになっている。
このままでは、永遠に進展しない。
「あ、そうだ」
ふと、仁が夜景から視線を外した。
「麗華に言いたいことがあったんだ」
「言いたいこと……ですの?」
麗華の心臓が跳ねた。
「連絡先を誰かから聞いてもよかったんだが……直接言いたくてな」
「ち、直接って……」
麗華はグラスを握る指へ力を込めた。
(まさか……!)
ホテルのテラス。
美しい夜景。
二人きり。
大切な話。
直接伝えたい言葉。
(――プロポーズですわこれ!!)
カタカタ、ッターン!
麗華の脳内コンピューターがはじき出した答えは、プロポーズの確率百パーセント。
(御影 麗華……悪くありませんわね!)
「言おうか言うまいか、昨日まで迷ってたんだよ」
(迷っていた!? そりゃそうですわよね! 私、高嶺の花だってよく言われますもの! 怖気づいて当然ですわ!)
「……だけど、今日の麗華を見てたら気持ちがはっきりした」
(っしゃ頑張ってよかったですわーーーーーっ!!)
麗華は高鳴る心臓と絶叫する内心を抑え、余裕のある笑みを作った。
「何でしょう……聞いて差し上げますわ」
声が少し裏返った。
「……ああ。麗華、聞いてくれ」
仁は少し頭を掻いてから、意を決したように口を開く。
「俺に遠慮しないで、お前らが1位になるべきだと思う」
「……は? 1位?」
「ああ」
「世界ランキングの?」
「その通りだ」
プロポーズ、ではなかった。
麗華の脳内で、予約した結婚式場が崩壊した。
「最近、人づてに知ったんだ」
仁は麗華の落胆に気づかず、言葉を続ける。
「お前たち上位三人が1位を断るから、ずっと空席になってるって」
仁はグラスの中のワインへ視線を落とした。
「俺のために空けてるって。……気を使ってくれてるのはありがたいが、俺はそんな器じゃない」
その言葉で、麗華の表情が変わった。
先ほどまでの浮ついた感情が、静かに消えていく。
「実績もない。世界のために何かしたわけでもない。お前らみたいに、ずっと最前線で戦ってきたわけでもない」
仁は寂しそうに微笑む。
「だから、もう気を使わなくても――」
「――勘違いしないでくださる?」
麗華の声が静かなテラスに響く。
仁は顔を上げた。
「私は、貴方に気を遣って1位を辞退したのではありませんわ。初めから、私の席ではなかった」
麗華は真正面から仁を見る。
「ただ、それだけのことですわ」
「でも俺より、お前の方が実績が――」
「世界ランキングは、勲章の数を比べる制度ではありません」
仁の言葉を遮る。
「確かに私は、多くのダンジョンを攻略しました。ですが、それだけでは足りませんの」
麗華はグラスを近くのテーブルへ置いた。
「世界ランカーとは、一人で一国を滅ぼせる力を持つ者たちだとも言われています」
誇張ではない。
上位ともなれば、一人で軍隊を壊滅させることもできる。
都市を破壊し、国家機能を止めることさえ可能だ。
「そんな者たちが集まって戦う時……誰の指揮に従うのか」
麗華の目が細くなる。
「誰ならば私たちを従えることができるのか」
一歩、仁へ近づく。
「――その答えが、貴方なのですわ」
「っ……」
仁の表情が強張った。
「相応しいかどうかを、自分一人で決められると思わないでくださる?」
麗華の声は厳しかった。
だが、それは仁を責めたいからではない。
どうしても分からせたかったのだ。
「貴方が自分をどう評価しているかなど、関係ありませんわ」
「関係ない……」
「ええ」
麗華は胸を張る。
「世界ランキング上位三人が――いいえ」
一度言葉を切り、ワイン色の瞳で仁を射抜く。
「この私が、貴方こそ1位に相応しいと言っているのです」
仁は何も言わなかった。
驚き、戸惑い、重圧、そして僅かな恐怖。
様々な感情がない交ぜになったような、複雑な顔をしている。
麗華は、返事を急かさなかった。
すぐに受け入れられるとは思っていない。
それでも、否定だけはさせたくなかった。
しばらくして。
「……そうか」
仁が小さく息を吐いた。
「ありがとな」
「分かればよろしいのですわ!」
満足そうに微笑む麗華。
その脳裏に、稲妻が走った。
今、思っている事を素直に言えた。
仁への尊敬をありのまま伝えることができた。
今なら、言えるのではないか。
昼間の礼を。
「じ――」
「よし!」
仁が急に背伸びをした。
「もう遅いし部屋に戻るか! 明日は朝から移動だしな!」
「………………ええ」
麗華は伸ばしかけた手を、静かに引っ込めた。
また、言えなかった。
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「それじゃ、俺はここだから」
深夜の静けさに包まれるホテルの通路。
俺は自室の前で止まり、並んで歩いていた麗華にそう言った。
「私は、もう少し先の角部屋ですわ」
「さすが世界4位。部屋も広そうだな」
「たまたまですわよ。それに貴方も同じフロアでしょうに」
確かに、と笑ってカードキーをかざす。
電子音が鳴り、扉のロックが外れた。
俺は後ろ手にドアを開けながら、麗華を見る。
「さっきの言葉、さ。……響いたよ」
麗華が目を見開く。
「1位になる覚悟なんてのは、まだ全然ないけど……」
俺は少しだけ笑った。
「お前がそこまで言ってくれるなら、もう少し考えてみる」
「じ、仁……!!」
「うん?」
麗華の視線が、俺ではなく、その後ろへ向いた。
感動しているような顔ではない。
目を大きく開け、口元を引きつらせている。
「どうした?」
麗華の視線を追う。
開いた扉の正面には、大きなガラス窓があった。
そのガラスへ、部屋の中が反射している。
ベッドの端から伸びる、白い生足が。
「「…………」」
俺はもう一度見た。
やはり、足がある。
「仁……!? 貴方、いったい誰と何を……!」
「いや、知らない!」
「知らない人間が、貴方のベッドで裸になっていますの!?」
「そんなわけないだろ! けど、そうだよ!」
パニックになって、自分でも何を言っているのかわからない。
その時、部屋の中から非常に眠たそうな声がした。
「――先生ぇ……? 帰ってきたんですかぁ……?」
「 」
俺は絶句する。
最悪だ。
いや、赤の他人でも最悪ではあるのだが。
朝比奈は、最悪中の最悪だった。
「あ、貴方……いくら人肌が恋しいからといって、十以上も年下の教え子と……!」
「違う! 勝手に入ってたんだって!」
「世界最高峰のホテルですわよ!? カードキーがなければ入れないでしょう!」
「それは俺もどうやったのか聞きてえよ!」
「ふわぁ……ねむねむ」
部屋の中では、朝比奈がのんびりとシーツを動かす音がする。
一方、目の前の麗華は、怒りにわなわな身体を震わせている。
さっきまでの真面目な話の余韻は、跡形もない。
「詳しく話を聞かせていただきますわ!」
「先生ぇ、早く来てくださぁい……」
「ああもう……朝早いのに……! 二人とも出てってくれよぉ……!」
深夜の高級ホテルに、俺の悲痛な叫びがこだました。




