第42話 女王の苦悩
本話は『鳳城 麗華』視点で進みます。
「鳳城さん、後ろ――!」
朝比奈が叫んだその瞬間、麗華は背後に迫る強大な魔力を感知した。
ただ強く大きいだけじゃない。
明確な殺意を伴っている。
麗華は反射的に振り返る。
黒い影が、既に目と鼻の先まで迫っていた。
(兄の仇討のつもりですの……!?)
全身を黒い衣服で覆った少女、セレネ・ヴァレンティ。
その右拳には、凄まじい密度の魔力が凝縮されていた。
(回避をっ……ダメね、間に合いませんわ……!)
拳を振りかぶられる。
重力で跳ねのけようにも、時間が足りない。
今から照準を定めていては、相手の攻撃が先に届くだろう。
(殴られる……!)
そう覚悟した、次の瞬間。
横合いから一つの人影が、弾丸のような勢いで飛来した。
――ドッ!
人影はセレネの胴へ激突する。
「何ですの……!?」
二人は激しくもつれ合い、凄まじい勢いで回転しながら床を滑っていく。
一般人の目には、ただ二人が勢いのまま転がっているだけに見えるだろう。
だが麗華には、ハッキリと視認できていた。
転がりながらも、セレネは攻撃を放ち続けている。
拳に肘打ち、頭突き、蹴り。
がむしゃらに叩き込まれる獣じみた高速の連撃だ。
そして相手は、その全てを完璧に捌いていた。
拳を逸らし、肘を受け流し、頭突きを避け、蹴りを足で潰す。
一撃もまともに受けることなく、やがてその相手はセレネを上から抑え込んだ。
(あの攻防の中で、完全なマウントポジションを取るだなんて……!)
麗華はその凄まじい体術に絶句した。
相手はセレネに跨って、両手首を床へ押し付けるように掴んでいる。
無論、セレネが弱いわけではない。
彼女は歴とした世界6位の実力者で、先ほどの攻撃もそれに相応しい鋭さを備えていた。
そうではなく、ただ、強すぎるのだ。
その相手が。
御影 仁という最強。
「ふーっ……! ふーっ……!」
セレネは荒い息を吐く。
「は、なせっ……! 放せぇっ……!」
細い身体を激しく捩り、仁の拘束から逃れようとする。
「お兄ちゃんを……助けるっ……!」
「っ……朝比奈! エリオの治療を!」
「は、はい!」
仁が振り返らずに叫ぶ。
朝比奈は麗華の傍で倒れたままのエリオに駆け寄って、その胸元へ両手をかざした。
「――『生命の大樹』」
淡い緑の光がふわっと広がった。
光の筋が枝葉のように幾本も伸び、エリオの全身を照らしていく。
「……う」
ぴく、と。
エリオの瞼が動いた。
「エリオさん、聞こえますかぁ?」
「お、お前は……世界ランク19位の……」
エリオは目を開け、何度か瞬きをした。
そして記憶をたどるように顔をしかめる。
「……そうか、オレは負けたのか」
悔しそうに歯を食いしばる。
「お、お兄ちゃ……」
セレネの声が震えた。
殺気もすっかり収まっている。
仁もそれを感じ取ったのだろう。
慎重に彼女を解放し、その場から退いた。
「ほら、行ってこい」
「お兄ちゃん……!」
セレネは跳ね起き、エリオのもとへ駆け寄った。
その勢いのままにぎゅうっと抱き着く。
「セレネ……」
「よ、かった……よかった……」
「……心配かけたな」
エリオは妹の頭へ手を置き、優しく撫でる。
その表情からは、先ほどまでの生意気さがすっかり消え失せていた。
妹の方も、布に覆われているせいで顔は見えないが、言葉の合間に「ぐすぐす」と鼻をすする音が混じっているあたり、兄の無事を安堵しているのだろう。
(先ほどの攻撃は、兄が痛めつけられたことへの逆上ですの? エリオさんの挑発といい……問題児な二人ですわね)
麗華は内心で、二人をそう評価する。
「よいしょ……っとと」
「お兄ちゃん、大丈夫……?」
「平気だよ。ありがとな、セレネ」
立ち上がろうとしてふらついたエリオを、セレネがすぐに支えた。
朝比奈の治療を受けたとはいえ、まだ足もとは覚束ない。
「今日はもう休まれた方がいいですよぉ」
「……ああ、分かった」
エリオは悔しさの滲んだ目で、一度だけ麗華を見た。
そして何も言わずに視線を逸らし、妹とともにホールの出口へ向かっていく。
『――皆さま!』
アーサーの声がスピーカーから響く。
『どうかご安心ください。少々予想外の出来事はありましたが、大事には至っておりません!』
会場を見渡し、ゆっくりと手を広げた。
『我々は二つの素晴らしいものを目にしました。まずは世界ランキング4位・鳳城氏の圧倒的な力。そして、危険を顧みず、身を挺して他者を守った御影氏の勇気です!』
アーサーは少々大げさな身振りで拍手を送った。
『さあ、お二人へ盛大な拍手を!』
実演ホール二階、観覧席から次々に拍手が起こる。
ガラス越しにでも分かる程、大きな音に包まれた。
(いい気なものですわね。仁がいなければ最悪の雰囲気になっていましたわよ、きっと)
という内心をグッと呑み込んで。
麗華は観客へ向けて優雅に一礼した。
すると、その背後から近づいてくる足音が一つ。
「よう、お疲れ。……怪我とかないか?」
仁だった。
タキシードの埃を払いながら、こちらへ歩み寄ってくる。
先ほどの攻防で少し乱れた黒髪。
わずかに緩んだ蝶ネクタイに、はだけたワイシャツ。
心配そうにこちらを見る優しい瞳。
それが。
どうしようもなく。
恐ろしい程に。
「かっ……!」
「か?」
首を傾げる仁。
麗華は、心の中で絶叫した。
(格好良すぎですわーーーーーーーーっ!!!! 何ですのそのお姿は! ただでさえタキシードが似合いすぎていますのに、少し乱れた髪とはだけたシャツまで加わるだなんて聞いておりませんわ! もうっ! えっち! どえっちですわ! どえっちすぎますわこの色男!)
「お、おい。麗華?」
(しかも私を助けるために一切の躊躇もなく飛び込んできましたわよ!? 相手は世界6位の実力者だというのに! 転がりながら全ての攻撃を軽くいなして!! 少女を一切傷つけることなく押さえ込み、挙句の果てに兄を心配する気持ちまで汲む!!! 真のジェントルマンとはこの事ですわ!!!!)
「おーい……麗華ー……どっか打ったのか?」
(はぁぁああああん! 強い! 優しい!! 格好いい!!! 私が結婚相手に求める三拍子を兼ね備えてますわよこの男! 今すぐこの場で結婚式を挙げた方がいいのではなくって!? いえ流石に式場の予約が必要ですわ!! とりあえず朝比奈さんを招待客にして、少なすぎるとアレですものね、エリオさんとセレネさんも呼んだ方がいいのではないかしら! ええ、きっとそうですわ!! 恋のキューピッドですもの!! ハッ!? 新婚旅行はどこにしましょう!? そもそも暮らすのは日本!? それとも私の邸宅!? 仁はいったい子供は何人――)
「――『生命の大樹』!」
「はっ……!?」
「お、気が付いたか。何だ立ち眩みでもしてたのか?」
朝比奈の懸命な治療により、麗華は我に返った。
危うく、世界4位の威厳が吹き飛ぶところだったが。
「え、ええ……少し。ですが、もう大丈夫ですわ」
「そうか? まあ、無理すんなよ。……そういや、さっき『かっ』の後なんて言おうとしてたんだ?」
「っ」
仁に問われ、麗華の思考が加速する。
「かっ、身体が鈍ってないかを確認したかったのですわ!」
「……俺の身体が鈍ってないか、って?」
「当然、私も彼女の接近には気づいてましたのよ」
嘘だ。
気づいた時には殴られる寸前だった。
だが、もうこの言い訳に舵を切ってしまった以上、今さら引き返す事などできない。
「ですが、少々貴方の実力を確かめたくなったのですわ」
「はあ」
「あえて手を出さず、お任せしましたの!」
「へえ」
「どうやら、まだ衰えていないようですわね!」
「ふーん……」
仁が半目になる。
絶対に信じていない顔だ。
「……まあ、無事なら何でもいいけど」
仁は頭を掻きながら言った。
彼の横で、朝比奈が何とも言えない表情を浮かべている。
やめてほしい。
もし仮に全て気づいていたとしても、何にも言わないでいてほしい。
「朝比奈もご苦労さん」
「あ、はい。御影先生もお疲れさまですぅ」
「そんじゃ、観覧席に戻ろうかな」
仁は軽く手を上げ、朝比奈と共に歩き出す。
麗華は、その背中へ声をかけようとした。
助けてくれてありがとう。嬉しかったわ。
本当は、たったそれだけ言えばいい。
「……仁!」
「ん?」
振り返った仁へ、麗華の口から出たのは。
「――ご苦労だったわね!」
「……おう、気にすんな」
仁はふっと笑って、そのまま歩いていった。
二人と少し距離が開いてから、麗華は深くため息をつく。
「はぁ……素直になるのは難しいですわ……」
思えば、初めて出会った時からそうだった。
仁とは歳が近く、純粋に師として慕うには、少しだけ距離が近すぎたのだ。
だからいつも、つっけんどんな物言いをしてしまう。
対等であろうとして。
余裕のある良い女であろうとして。
気づけば、高圧的な言葉ばかり出るようになっていた。
(今さら、どんな顔をして態度を変えれば……)
麗華はがっくりと肩を落とした。
結局、その後の晩餐会は何事もなく終了した。
麗華は各国の要人たちと言葉を交わし、日本ダンジョン協会の新体制について説明し、仁を世界各国の関係者へ紹介して回った。
模擬戦で示した日本の戦力も好意的に受け取られたらしい。
日本へ向けられていた疑念の多くが、期待へと変わっていた。
国を代表する世界ランキング4位として、今夜の役目は十分に果たせたと言っていいだろう。
……ただし、華やかな笑顔で各国の要人に応対している間も、麗華の脳内リソースの大半は――
(――なぜ、あそこで素直に「ありがとう」と言えなかったんですの……!?)
という反省に費やされていたのだった。




