第40話 双子の世界ランカー
意を決し、足を踏み出そうとした時だった。
「――おや、冗談ですよ」
「……は?」
「デリカシーがないと妻によく叱られる私でも、流石に事前の打ち合わせ無しで、急に呼び出したりはしませんよ」
アーサーがにこやかに言って、会場からそこそこの笑いが起こった。
「何だそりゃ……」
俺は朝比奈と麗華の隣へ戻りながら、小さく舌打ちをする。
前に出なくてすんだ安堵の気持ちと、笑いのダシにしやがってという怒りが半々だ。
「いけすかねえ奴だ」
「不祥事を起こしたばかりの我々とでは、あちらが圧倒的に上の立場ですわ。からかわれて腹が立つのも分かりますが、落ち着きなさい」
麗華が耳元で囁いてくる。
「別に、からかわれたからじゃねえよ」
「あら、そうですの?」
俺は無言で頷いた。
確かにアーサーは凄い奴なのかもしれない。
言葉も仕草も表情も全部が完璧。
誰もが聞きたい言葉を、誰もが聞きたい瞬間に、最も心地よい声音で口にしている。
だが俺は、その完璧な仮面の下にどんな思いを秘めているのか、全く見えてこないのが気持ち悪くてしょうがなかった。
……まあ、俺がひねくれてるだけなんだが。
「……それでは、どうぞ素晴らしい一日をお過ごしください」
などと考えている間に挨拶が終わり、奴は一礼して下がっていく。
盛大な拍手が会場に響き渡った。
「では気を取り直して、挨拶回りを再開しましょう」
立食形式の交流会に戻ると、麗華は即座にそう言った。
「ちなみに挨拶しといた方がいいのは、後どのくらい残ってる?」
「三分の二程ですわね」
「うげ……まだまだじゃん」
「当然ですわ。これが社交界ですのよ」
「……もし俺が世界の会長になったら、社交界じゃなくて呑み会にしてやる」
なんてくだらない事を喋っていると、すぐそばから声がした。
「――よう。アンタら日本人だろ?」
俺たち三人は振り返る。
そこに立っていたのは、金髪を腰まで伸ばした少女だった。
歳は十代半ば……夕凪と同じくらいに見える。
肌は白く、顔立ちは人形のように整っていた。
体つきも華奢で、仕立ての良い白い礼服がよく似合っている。
「どっかの国のお姫様か?」
「えっ。ち、違いますよぉ……! この方はぁ……!」
「――『エリオ・ヴァレンティ』さんですわね」
麗華が口にする。
エリオって……男?
目の前の少女――ではなく少年を見直すと、彼は不機嫌そうに眉を寄せた。
「何だよ、その顔」
「いや……悪い。女性に見間違った」
「オレが女だァ? 殺すぞおっさん!」
「く、口悪いな……」
エリオは紫の瞳をキッと細め、舌打ちをした。
というか、エリオ・ヴァレンティはどこかで聞いた名だ。
ニュースだったか雑誌だったか……。
「それにしても光栄だな。ランキング4位様に覚えてもらってるとは」
エリオは挑発するように口角を上げる。
麗華も口元を手で隠し、くすくすと優雅に微笑んだ。
「ふふ、当然でしょう?」
あ、当然なんだ。
じゃあ重要人物っぽいな。
えーと。エリオエリオ……うーん。
と俺がうんうん唸っている間にも、麗華は話を進めていく。
「では、後ろにいらっしゃるのが妹さんかしら?」
彼の背後には、同じくらいの背丈の人物が隠れるように立っていた。
全身を覆う長い衣服を身に着け、頭も深く布で覆われている。
肌どころか、髪の一本すら外へ出していない。
「ああ、セレネだ」
名を呼ばれた妹は、一言も喋らない。
代わりにエリオが答えた。
「妹の事も知ってくれてるんだな?」
「もちろんですわ。彗星のごとく現れた双子の最強ダイバーを知らない者など、この場にいないでしょう」
双子の最強ダイバー。
そのワードを聞いて、ようやく俺の脳内で記憶が繋がった。
エリオ・ヴァレンティ。
セレネ・ヴァレンティ。
彼ら二人は若干15歳にして世界ランキングに名を連ねる若き天才だ。
「やっと思い出せた……」
「というか今まで気づいてなかったんですかぁ……!?」
ふうと息を吐く俺の耳元へ、朝比奈が顔を寄せてくる。
「お兄さんのエリオさんが5位。妹さんのセレネさんが6位ですぅ。お二人とも、ここ数年で急激に順位を上げたことで有名なんですよぉ……!」
「そうだったそうだった。どうりで聞いたことあると思ったよ」
聞いたことある、というか。
日本で暮らしていれば嫌でも耳に入る名前だ。
ニュースにCM、雑誌にSNS、街中の看板まで。
世界ランカーともなれば毎日のようにどこかで取り上げられている。
昔の知り合いとかじゃない。
普通にドが付く有名人。
俺の頭から出てこなかっただけだ。
……もう歳かな。
「それにしてもさ、女王様」
エリオが慣れ慣れしく言う。
女王様というのは、世間が勝手に付けた麗華の二つ名だ。
まあ、彼女をよく表せているんじゃないかと思う。
「世界4位って、随分と居心地が良いみたいだな」
二人の間に流れる空気がわずかにピリつく。
だが、麗華は笑顔を崩さない。
「どういう意味かしら?」
「そのままだよ」
エリオは肩をすくめた。
「アンタら上位三人は、ランク1位を拒否してるんだって?」
「……そうですわね。他のお二人は知りませんが、少なくとも私は」
「1位になる度胸も無いくせに、一体いつまでそこにいるんだよ」
批難に近いエリオの発言に、近くにいた招待客たちが会話をやめる。
興味が無いフリをしながら、明らかに意識はこちらへ向いていた。
「ふふ。度胸の無い私を飛び越えて、坊やが1位になる日を心待ちにしていますわ」
麗華は流石の余裕でさらりと躱す。
すると、エリオの眉が吊り上がった。
「子ども扱いかよ」
「あら、違いましたの?」
「オレは世界5位だぞ……!」
「存じていますわ」
「だったら――」
「ちなみに、私は4位ですわよ」
「っ……」
麗華が微笑む。
綺麗な笑顔だ。
綺麗すぎてもはや怖い。
エリオも少し口元を引きつらせた。
だが、引き下がる気はないらしい。
「……知ってんだぞ。アンタら、別の誰かが1位だって言ってるらしいな」
声を少し強める。
麗華の眉がぴくりと動いた。
「それはいったい誰なんだ? ソイツはそんなに――」
「――貴方には関係ありませんわ」
詰め寄るエリオに、麗華はぞっとするほど冷たい視線を向けた。
声音は決して優雅さを崩さない。
だが、それ以上踏み込むな、という圧がハッキリと感じ取れた。
「……フン。女王様も、案外弱腰なんだな」
エリオは顎をくんと上げ、さらに挑発を続けた。
朝比奈は隣で「どうしましょう」と困り果てている。
俺はため息を吐きながら頭を掻いた。
ったく、面倒くせえガキだな。
そろそろ止めるか……と思ったその時。
穏やかな声が俺たちの間に割って入った。
「エリオさん。今日は争うための席ではありませんよ」
「……あら、アーサー会長。ご機嫌麗しゅう」
「こんにちは、鳳城氏」
いつの間にか、アーサーが近くまでやってきていた。
彼もまた変わらず、柔らかな笑みを浮かべている。
「……別に、争ってない」
「では、その辺りでやめておきましょうか」
「オレはただ聞いてるだけなのに?」
「相手が答えたくないと言っているのなら、それは礼を欠きます」
アーサーは子どもを諭すような口調で言う。
エリオは鼻を鳴らし、不満そうに顔を逸らした。
「じゃあ答えなくていい。けどその代わりに、オレと戦ってくれよ」
あん?
何言ってんだコイツは。
周囲からもざわめきが起こる。
「……エリオさん、先ほども言いましたが、今日は――」
「手合わせだよ。格上の大先輩にご指導を賜りたいのさ」
エリオは悪びれる様子もなく言ってのけた。
気づけば、かなりの人間が俺たちを囲んでいる。
しかし誰も彼の暴挙を止めようとはしない。
むしろ、期待している目だ。
世界ランク4位と5位の小競り合いを。
「……では、私から一つ提案が」
「提案、ですの?」
アーサーは落ち着き払って先を続ける。
「本来、この後のプログラムでは、隣接する『能力実演ホール』にて、新装備や訓練設備の紹介を予定しておりました。そちらには、世界ランカーの攻撃にも耐えうる防護設備が整っています」
「……おいおい」
嫌な流れを察した俺は、思わずため息を漏らす。
「予定を少し早めることにはなりますが、世界ランカー同士の友好を深めるため軽い模擬戦を行うということであれば」
アーサーはそこで言葉を区切り、朝比奈へ視線を向けた。
「幸い、この場には世界最高峰の回復魔法を持つ朝比奈氏もいらっしゃいます」
「私ですかぁ?」
「万一の場合も、適切に対応していただけるでしょう」
「それはできますけどぉ……」
朝比奈が困ったように答えた。
「さて、どうされますか。鳳城氏?」
全員の視線が麗華へ集まった。
麗華は黙ったままエリオを見ている。
そのエリオは、自信満々な笑みを浮かべて言った。
「……ま、怖いなら別にいいけど? こんな自分の半分以下の歳の子供相手に、怖いなら……だけどね」
ビキッ。
麗華のこめかみに、一本の筋が浮いた。
あーあ……知らねえぞ、マジで。
数秒の沈黙の後、麗華はゆっくりと息を吐いた。
「――よろしいですわ」
会場全体がドッと沸く。
麗華はドレスの裾を持ちあげ、静かに微笑んだ。
「年の功というものを、教えて差し上げましょう」
その聖母のような笑みの裏側に立ち上るどす黒い怒りの炎に、この会場で、俺と朝比奈だけが戦慄していた。




