閑話「一分の男 1745年」
第三部序、時計職人の工房。
ライルが鉄道の遅延に遭ったのは、1745年の秋だった。
遅延は一分だった。
ライルは駅のホームで一分間待った。その一分間、ライルの顔が徐々に険しくなった。乗客たちは気づいていなかった。
駅長が謝りに来た。
「大変申し訳ございません、一分の遅れで」
「一分は一分です」とライルは言った。静かな声だった。静かすぎる声だった。「一分が積み重なります」
「おっしゃる通りで」
「原因は?」
「車輪の点検に想定より時間がかかりました」
「点検時間の見積もりが甘かった、ということですか」
「……はい」
「ダイヤを見直します」とライルは言った。「明日、設計書を持ってきてください」
駅長が青い顔で下がった。
翌週、ライルは時計職人の工房に呼ばれた。
職人の名は久蔵といった。四十代の男だった。
「先日お渡しした懐中時計の件でして」と久蔵は言った。
「どうしましたか?」
「一度見ていただきたくて」
久蔵が時計を取り出した。ライルに渡した。
ライルが時計を手に取った。耳に当てた。
秒針の音を聞いた。
止まった。
もう一度聞いた。目を閉じた。
「……久蔵さん」
「はい」
「この時計、私の基準器と誤差がありません」
「ありがとうございます」
「工作船の基準器と、です」
久蔵が少し笑った。
「三年かかりました」と久蔵は言った。「歯車の精度を上げるのに一年。脱進機の調整に一年。温度変化への対応にもう一年」
ライルは時計を耳に当てたまま、しばらく動かなかった。
「久蔵さん」
「はい」
「日本人が時間を支配し始めました」
「大げさですよ」と久蔵は言った。
「大げさではありません」とライルは言った。
時計の秒針が、正確に時を刻み続けた。




