閑話「工学者たちの決断 1720年」
第二部末、大学統合校 工学部。
教授の名は田中源次郎といった。工学部の主任教授だった。六十二歳だった。
その日、源次郎は学生たちを集めた。
「今日から、佑殿への質問を禁止する」
学生たちが顔を見合わせた。
「理由を聞いていいですか」と一人が言った。
「聞いていい」と源次郎は言った。「百年間、我々は佑殿に聞いてきた。聞けば答えてくれた。答えてくれたから、聞いた。聞いたから、自分で考えなかった」
「しかし佑殿は正確です」
「正確だ」と源次郎は言った。「だから危ない。正確な答えがすぐ手に入る者は、自分で考えない」
学生たちが黙った。
「来月、蒸気圧縮の新しい問題を出す。佑殿に聞くな。文献を漁れ。実験しろ。間違えろ。それでも分からなければ、私に聞け。私も分からなければ、一緒に考える」
「先生も分からないんですか」
「分からないことがある」と源次郎は言った。「それが普通だ」
三週間後、佑が大学の廊下を通りかかった。
工学部の実習室から声が聞こえた。
学生が二人、黒板の前で言い争っていた。
「この係数は0.73じゃない、0.71だ」
「実験値が0.73だった」
「実験の誤差だ。理論値は0.71になるはずだ」
「理論値が正しいなら実験が間違っている、実験が正しいなら理論が間違っている。どちらかだ」
「両方見直す」
「それが正しい」
佑は廊下で止まった。
二人が議論している内容を聞いた。蒸気圧縮の効率に関する話だった。
佑には答えが分かった。
言わなかった。
廊下をそのまま通り過ぎた。
その日の帳簿に、佑は書いた。
【1720年・記録】
大学工学部・廊下にて。
学生二人が蒸気圧縮の係数について議論していた。
答えは0.718だった。
言わなかった。
備考:言わなくて良かったと思う。
彼らは、もうすぐ自分で出す。




