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神の如き宇宙人は何もしない~ただ売るだけ~  作者: 苺一会
第二部「エルフが暴走し、日本が育つ」 第五章「北米 最初の街と、信長の死」

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閑話「夏の夜の日記 1645年」

 弥助が寺子屋を始めて十二年になるが、おたかほど不思議な生徒はいなかった。


 最初に来た日、おたかは六十五歳だった。

 子供たちに混じって、小さな机に座った。背が曲がっていたので、机がちょうど良い高さだった。筆を持つ手が震えていた。それでも毎朝来た。雨の日も来た。夏の暑い日も来た。


 なぜ文字を覚えたいのか、弥助は最初聞けなかった。

 失礼な気がした。

 三ヶ月目に、おたかの方から話した。


「亭主が日記をつけていたんですよ」

「そうですか」


「三十年分あります。死ぬ前に、いつか読んでくれと言っていました」

「……いつ亡くなりましたか」


「十年前です」とおたかは言った。「十年、読めませんでした」

 弥助は何も言わなかった。


 おたかは筆を持った。震える手で、その日覚えた文字を書いた。


 一年後、おたかは簡単な文章なら読めるようになっていた。

 二年後、くずし字以外なら読めるようになっていた。

 三年目の夏、おたかは寺子屋に来なくなった。


 弥助は心配した。体の具合が悪くなったかと思った。三日後に様子を見に行くと、おたかは縁側に座っていた。膝の上に古い帳面を開いていた。


「読んでいますか」と弥助は聞いた。

「読んでいます」とおたかは答えた。目を上げなかった。

 弥助は縁側の端に腰を下ろした。


 夏の夜だった。虫が鳴いていた。遠くで川の音がした。おたかの手元の帳面は、古くて紙が黄ばんでいた。墨の色が薄くなっていた。それでもおたかは、一文字ずつ指でなぞりながら読んでいた。

 しばらくして、おたかが言った。


「今日は二十三年前のところを読みました」

「どんなことが書いてありましたか」


「米が高くなって困ったと書いてありました」とおたかは言った。「あの年は確かに高かった。私も覚えています」

「他には」


「私が風邪をひいた時のことが書いてありました」

 弥助は黙って聞いた。


「心配していたんですね」とおたかは言った。「あの人は口では何も言わなかったけれど、ここには書いていました。三日分、私の風邪のことだけ書いていました」

 虫の声が続いていた。


「読めて、良かったですか?」と弥助は聞いた。

 おたかが少し間を置いた。


「良かったです」とおたかは言った。「ただ」

「ただ?」


「もっと早く読めれば良かったと思いました」

 弥助は返事をしなかった。


 おたかが帳面をめくった。次のページを読み始めた。指が、また一文字ずつなぞった。


 帰り道、弥助は川沿いを歩いた。

 寺子屋を始めた時、弥助は実用のために文字を教えるつもりだった。帳簿が読める。看板が読める。証文が読める。そういう実用だった。


 おたかは実用のために来なかった。

 十年前に死んだ夫の日記を読むために来た。三年かけて文字を覚えた。そして今夜、二十三年前の米の値段と、自分の風邪の記録を読んでいた。


 弥助には、それが実用かどうか分からなかった。

 ただ、おたかが帳面をめくる時の手が、震えていなかったことは分かった。


 寺子屋を始めて十二年で、初めて知ったことだった。


 その夏、弥助は子供たちへの教え方を少し変えた。

 文字は何のために覚えるのか、という話を最初にするようにした。


 ある子は「帳簿のため」と言った。ある子は「偉くなるため」と言った。ある子は「面白そうだから」と言った。

 弥助はどれも正解だと言った。


 ただ、自分の中では答えが決まっていた。

 言わなかった。言う必要がなかった。


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