閑話「味噌戦争、そして日本初の駅弁誕生」
時期:第二部初期(1620年代)
フィリアが真顔で言った。
「味噌は文明です」
「違います」
ライルも真顔だった。
「文明を支えるのは輸送です」
「味噌です」
「鉄道です」
「味噌です」
「鉄道です」
佑は頭を抱えた。
「何を争ってるんですか」
「味噌です」
「鉄道です」
「聞いた私が悪かった」
その週、フィリアは京都で味噌の研究を加速させた。大量の味噌を全国に届けるルートを考えていた。ライルは大阪で物流図面を描き続けた。鉄道があれば食料を速く運べると計算していた。
二人は一切話さなかった。
そして半年後、ライルが沈黙を破った。
「フィリア」
「何ですか」
「話があります」
「……聞きます」
「味噌を大量輸送するには鉄道が必要です」とライルは言った。「乗客より先に、食料を運ぶ鉄道が必要です。その最初の積み荷として、あなたの味噌を使ってもいいですか」
フィリアは少し考えた。
「鉄道を維持するには、長距離移動する人間の腹が満たせる食事が要ります。保存が利いて、一つで腹が膨れる食べ物が」
「……味噌漬けにした食べ物は、保存が利きます」
「鉄道の車内で食べやすいものを考えてみます」
佑は後から聞いた。二人が何かを共同で開発していることを。
その年の秋、日本初の「駅弁」が生まれた。
飯を木の容器に詰め、味噌漬けの豚肉を野菜と一緒に炒めた物を敷いた、お弁当だった。
ライルが「鉄道の利用者が増えます」と言い、フィリアが「発酵食品が全国に広まります」と言い、二人がそれぞれの動機のまま同じものを作り上げた。
歴史家は後に、日本の駅弁文化の起源を「詳細不明」と記録する。
本当の起源は、調味料の冷戦だった。




