閑話「株式会社という名の魔法使い」
その日、結が持ってきた質問は、いつもより紙が厚かった。
佑は帳面の束を受け取って、重さを確認した。
「……今日は何ですか」
「資金調達の方法について聞きたいんですが」
「どういう状況ですか」
「北米の開拓がある程度形になって更に発展させるのに資金が足りません。織田家の財政だけでは賄いきれない。かといって一部の大名に全額出させると、その大名の発言力が強くなりすぎる。大勢から少しずつ集めたい。でも、うまい仕組みが思いつかない」
佑は少し間を置いた。
そういうことか、と思った。
「……タイミングがいいですね」
「え?」
「実は少し前から考えていたことがあります。座ってください」
結は帳面を抱えたまま、正面に腰を下ろした。
「教えますよ。ただし──」
「ただし?」
「今日の分は有料です」
結は少し目を細めた。「……いつもは対価として分析結果を渡しているので、今日も同じでは?」
「今日の話は分析結果より値段が高いです」
「どのくらい?」
「後で決めます」
「それは不誠実な交渉では?」
「まず話を聞いてから、あなたが値段をつけてください。等価交換です」
結は少し考えてから、帳面を開いた。「……分かりました」
佑は立ち上がって、壁に紙を貼った。工作船の会議室には、佑が手で書いた図が時々貼られる。結はもう慣れていた。
「まず確認です。あなたが言った問題は──資金が必要、でも特定の一人に出させるとその一人が強くなりすぎる、でしたね」
「はい」
「その問題の答えを先に言います。多くの人から少しずつ集めて、利益が出たら出した分に応じて返す。損したら、出した分に応じて損を分かち合う」
結がペンを走らせる音がした。
「……それは理屈としては分かります。でも、どうやって?」
「紙を発行します」
「紙?」
「権利を書いた紙です。この紙を百枚発行する。一枚あたり黄金十枚。計千枚分の黄金が集まる。持っている人は、事業が稼いだら稼ぎの一部を受け取れる。持っていない人には分配されない」
結の筆が止まった。
「……紙が、権利になる?」
「はい」
「その紙を売り買いすることは?」
佑は少し考えた。
この人の頭の回転は速い、といつも思う。核心に三手で辿り着く。
「できます。事業の調子が良ければ紙の値段が上がります。悪ければ下がります。持っていた人が売れば、買った人に権利が移ります」
「つまり……権利そのものが商品になる」
「そういうことです」
結が窓の外を見た。何かを整理している時の顔だった。
「それは、誰が考えた仕組みですか」
「欧州の人間です」
「何年後の?」
「最近ですよ」
結の視線が佑に戻った。「……欧州で最近やった仕組みを、今の日本でやれ、と?」
「できます。あなたたちなら」
結がまた書き始めた。しばらく書いてから、顔を上げた。
「この仕組みに名前はありますか」
「株式会社、と言います」
「……カブシキガイシャ」
「株。木の切り株です。切り株から全部に等しく水が行き渡る、という意味からきた、という説もあります。私はその説が好きです」
結が「カブシキガイシャ」とゆっくり書いた。
「ただし」と佑は続けた。
結が顔を上げる。
「この仕組みには欠点があります。ちゃんと教えます」
「欠点?」
「儲かる匂いがすると、人間は必ず正気を失います」
結が、少し笑った。稀なことだった。「……正気を失う?」
「黄金十枚の紙が、百枚分の価値になることがあります。事業が実態以上に儲かると思われた時です。そしてある日、誰かが気づく。この紙は実態に見合っていないと。その日に、みんなが一斉に売ります。百枚だった紙が、一枚に戻ります」
結の筆が、少し遅くなった。
「……一枚に戻る?」
「一枚に。それが分かっているのに、人間は百年後にも二百年後にも同じことを繰り返します。私が見てきた限り」
「あなたは、それを止める気はないんですか」
佑は少し考えた。
「止めません。ただ、今教えておきます。なぜ起きるかを知っていれば、知らないより少しはましです」
結がペンを置いた。
「……それが今日の授業料ですか」
「その理解は正しいです」
結はしばらく、書いた紙を見ていた。
「値段をつけるとしたら」と結は言った。「この仕組みが北米の発展で実際に機能したら、収益の一割を佑さんの口座に。機能しなかった場合はゼロ。どうですか」
佑は少し間を置いた。
「……結さん、それは」
「成功報酬と言います。商家ではよくある話です」
「……私が教えた仕組みで、私に成功報酬を提案するんですか?」
「等価交換です。あなたが言ったので」
佑(内心):また値段をつけ損ねた。いや、値段はついた。問題はそのつけ方だ。
「……承ります」
結が帳面を閉じた。
「最後にもう一つ聞いていいですか」
「どうぞ」
「あなたはなぜ株式会社の欠点を先に教えたんですか。教えなくても良かったはずです」
佑は少し考えた。
「依存させたくないからです。正気を失う仕組みだけ渡して、なぜ正気を失うかを渡さなかったら、五十年後に誰かが破産する」
「それは困るんですか? あなたの商売の話ではないのに」
「仙吉さんみたいな人が、巻き込まれるかもしれないので」
結が少し、顔を上げた。
「……仙吉さん、というのは?」
「豆腐屋です。尾張の」
結は何も言わなかった。ただ少しの間、佑の顔を見ていた。
「分かりました」と結は言って、立ち上がった。「よい授業でした」
「お代は成功報酬で」
「承りました」
結が部屋を出て行った後、佑は帳簿を開いた。
【1598年・備考欄】
株式会社の概念を瀬川結に説明。
成功報酬として収益の一割を受け取る予定。
欠点も一緒に渡した。
値段はついた。
ただし付け方が上手だったのは向こうだった。
仙吉さんが正気を失って破産しないことを願う。
次は忘れない(何を?)
三年後、北米開拓の第四次船団が出港した時、資金調達の八割が株式会社の形で集まっていた。
出資者の名簿に、仙吉の豆腐屋の屋号があった。黄金二枚分。
佑はその名前を見て、少しの間、動かなかった。
「仙吉さん……」
「どうかしましたか」とフィリアが通りがかりに聞いた。
「なんでもないです」
「また目が光っています」
「照明の問題です」
フィリアは何も言わなかった。
佑は名簿の仙吉の名前の横に、小さく「✓」を書いた。




