第23話 信長の死
一六三〇年、秋。
信長が死んだのは、老衰だった。
知らせが来た時、佑は北米の調査データを整理していた。ライルが扉を開けて、何も言わずに立った。それだけで分かった。
「……いつですか」
「今朝です」
佑はペンを置いた。
安土城に降りたのは、翌日だった。
葬儀は終わっていた。人だけが残っていた。廊下に侍が並んでいる。全員、道を空けた。耳の長い存在が来たことで、誰も何も言えなかった。
信忠が出迎えた。七十代になった信忠は、父に少し似てきていた。目の奥の深さが、似てきていた。
「佑殿、来てくださいましたか」
「……はい」
「父が」と信忠は言って、少し間を置いた。「最後まで、佑殿の話をしていました」
「何と?」
「楽しかったと」
佑は何も言わなかった。
部屋の前で、少し止まった。
中に入ると、信長はいなかった。当然だ、もういない。ただ、使っていた物が残っていた。書きかけの書状、広げっぱなしの地図、地図の端についた墨の汚れ。
佑は地図の前に立った。
信長が最後まで見ていた地図だった。北米大陸の、今の日本の領域に、何かが書き込んである。信長の手で、最後に書き込んだと思われる一行が。
もっと面白くなれと。
誰に向けて書いたのか、分からない。日本人に向けてか。日本に向けてか。それとも──
佑は少し止まって、その一行を見た。
「……楽しかったですよ」
誰もいない部屋に向かって、小さく言った。
「あなたの予想を、何度か外せたと思います」
工作船に戻って、帳簿を開いた。
【1630年・記録】
収入:なし(本日)
支出:なし(本日)
備考:信長殿、死去。
老衰。
享年・推定95歳。
信忠殿が後を継いだ。
信長殿の顔を思い出そうとすると、
最初に会った夜の顔が来る。
庭先で、一万三千の軍勢を眺めながら、刀の柄に手をかけていた顔だ。
怖くはなかった。ただ、人間だと思った。
それが最初の印象だった。
正しかったと思う。
信長殿は死んだ。
だが日本は残る。
私は残さない。
私は支配しない。
選ぶのは彼らだ。
信長殿もそう望んだ。
信忠が翌日、工作船に来た。
「父の代わりに、これからもよろしくお願いします」
「条件が守られる限り」と佑は言った。「続けます」
「……父がよく言っていました。佑殿は正直だ、と」
「あなたのお父様も正直でした」
信忠が少し笑った。「佑殿に言われると、父も喜んだと思います」
これ以降、佑は織田家の子孫を見るたびに、一度だけ信長の顔を探す。
見つからないことを、分かっていながら、探す。
五百年生きる者の、小さな習慣になった。




