閑話「天下より面白いものを見た」
信長は、怖がらなかった。
それが佑には少し意外だった。工作船が雲を突き抜ける時、ほとんどの人間は顔色を変える。ある者は吐き、ある者は泣いた。信長は窓に張りついて、「もっと速く飛べないのか」と言った。
大気圏の外に出た時、船内が静かになった。
信長が黙ったからだ。
窓の向こうに、青い球が浮かんでいた。白い雲の渦が、ゆっくりと動いている。縁は薄い光の膜で包まれていて、その向こうは何もない黒だ。星が、音もなく輝いている。
佑は何も言わなかった。ここに連れてきた時、だいたいの人間はしばらく言葉を失う。それを待つのが、佑の習慣だった。
信長は十分間、黙っていた。
これほど長く黙った人間を、佑は見たことがなかった。
「……わしは」
信長が、ようやく口を開いた。声が、いつもと違った。低く、静かで、奥に何か重いものを含んでいた。
「あの小さな場所で、ずっと騒いでいたのか」
それだけ言って、また黙った。
佑は答えなかった。答える必要がないと思った。
地球が、ゆっくりと窓の中を流れていく。日本列島は、あの光の球の表面に張りついた、小さな形だ。信長が一生をかけて奪い合い、守り、血を流した土地が、この距離からはひとつの色に溶けている。
信長が、静かに笑った。
いつもの豪快な笑いではなかった。何かを受け入れた時の、小さな笑いだった。
「天下より面白いものを見た」
それだけ言った。
帰りの船の中で、信長はずっと窓の外を見ていた。地球が遠ざかっていくのを、最後まで目で追っていた。
佑が「いかがでしたか」と聞いた。
「小さかったな」と信長は言った。
「天下が、ですか」
「いや」
信長は少しだけ間を置いた。
「わしが、だ」
それから、信長は一度も宇宙の話をしなかった。誰にも話さなかった。ただ、たまに夜空を見上げる時間が、少し長くなった。佑はそれに気づいていたが、何も言わなかった。




