閑話「また来い」
仙吉が最後に豆腐を作ったのは、初冬の朝だった。
手が震えるようになって久しかったが、その日は不思議と落ち着いていた。豆を煮る匂いが土間に広がり、いつもと変わらない朝だった。
仙吉は、一丁だけ余分に作った。
夕方、佑が来た。何かを察したのか、それとも偶然なのか、仙吉にはわからなかった。佑はいつも、ふらりと来る。
「来い」
仙吉は縁側に招いた。豆腐を二人分、出した。醤油と生姜だけで食べる、仙吉の豆腐だ。
二人で黙って食べた。
佑が「旨い」と言った。いつも通りの言葉だったが、今日は少し違う声だった。
「お主、今日はちゃんと旨いと思っておるな」
「いつも思っています」
「嘘をつくな。頭で旨いと判断しておることと、腹で旨いと思うことは違う」
仙吉はそう言って、茶を一口飲んだ。
「今日のお主は、腹で旨いと思っておる」
佑は答えなかった。
「それでいい」
仙吉は縁側から庭を見た。枯れた菊が、風に揺れていた。
「佑よ」
「はい」
「お主は長生きするんだろう」
「はい」
「わしが死んでも、この店に来い」
「……」
「倅が孫が継ぐ。ひ孫も継ぐだろう。同じ豆腐を作るかどうかは知らんが、来い。覗いていけ」
佑は何も言わなかった。
「それと」
仙吉は少し笑った。
「来世でも豆腐を作って待っておるから」
「来世は——」
「うるさい。等価交換とか言うな」
仙吉は立ち上がった。少し腰が曲がっていたが、足取りは確かだった。
「ありがとうございました」
佑が言った。等価交換の決まり文句ではなく、ただそれだけを言った。
「また来い」
仙吉は振り返らずに、土間に入っていった。
春、仙吉は逝った。
翌年の秋、佑は仙吉の倅の店に寄った。同じ場所に、同じ土間があった。彼は祖父とは違う切り方で豆腐を切っていたが、にがりを入れる手の動きが、どこかよく似ていた。
佑はそれを、窓の外から少しの間見ていた。
「人間はこうして継承するのか」と思った。
その後、仙吉の子孫の店に、佑は毎年秋に来るようになった。




