閑話「大英博物館 2064年春」
エマ・チェンバースが大英博物館の日本連邦史展示室に来たのは、論文の資料集めのためだった。
専門は近代経済史だった。日本連邦の産業革命が欧州より八十年早かった理由を、五年かけて研究していた。そのためにこの展示室には何度も来ていた。
ただ、今日は違うものが目に入った。
新しい展示ケースだった。案内板に「城佑文書・原本展示(期間限定)」とあった。
エマは足を止めた。
城佑。日本連邦史において最も謎の多い人物だった。1582年から1960年代まで約四百年にわたって記録に登場し続ける。外見の描写が時代を超えて一致している。老いた記録がない。政府の公式見解は「複数の同名人物の記録が混同されたもの」だったが、エマはその説明を信じていなかった。帳簿の筆跡が四百年間同一だったからだ。
展示ケースに近づいた。
古い帳簿だった。和紙に墨で書かれていた。保存状態が良すぎるほど良かった。ガラス越しに見える最初のページに、箇条書きが並んでいた。
日本語だった。エマは日本語が読めた。
白米。炊きたての、日本の白米。
味噌汁。豆腐と油揚げ、ねぎ。できれば赤味噌。
焼き魚。秋刀魚か鯖、どちらでも良い。塩だけで焼いたもの。
漬物。ぬか漬けなら最高だが、浅漬けでも文句は言わない。
鰻重。これは贅沢品の枠だが、十年我慢したので許す。
備考:明日、帰る。帰ったら全部食べる。十年分、まとめて食べる。
エマは首を傾げた。
これが、日本連邦の建国に関わった人物の最初の記録だった。食べたいものの箇条書きだった。鰻重に「十年我慢したので許す」と書いてあった。
意味が分からなかった。
エマはタブレットを取り出して調べ始めた。城佑に関する一次資料は膨大にあった。帳簿だけで四百冊以上が現存していた。全て同じ筆跡だった。政府の説明が破綻していることは明らかだった。
次に外見の記録を調べた。
ルイス・フロイスの書簡に「耳が長く、目の色が薄い」とあった。百年後の英国商人の記録にも同じ描写があった。二百年後の新聞記事にも同じ描写があった。そして終章の記録、織田信正との対話にも同じ描写があった。
老いていない。
エマはしばらくケースの前に立っていた。
隣に、日本人の男性研究者が来た。同じ展示を見ていた。名札に「国立日本連邦史研究所・田中」とあった。
「すみません」とエマは日本語で声をかけた。「少し聞いてもいいですか」
「どうぞ」と田中は答えた。
「この帳簿の最初のページなんですが」
「ああ、和食リストですね」
「これは何ですか。なぜ最初のページがこれなんですか」
田中が少し笑った。
「それ、うちの研究所でも長年議論になってるんですよ」
「結論は出ていますか?」
「出ていません」と田中は言った。「ただ、有力な説があります」
「聞かせてもらえますか」
「城佑という人物は、日本を変えるために来たわけではなかった、という説です」
「では何のために」
「和食が食べたかっただけだった、という説です」
エマは田中を見た。
「……それが有力な説ですか」
「帳簿全体を読むと、その解釈が一番整合性が取れるんですよ」と田中は言った。「四百年間、この人は一貫して食べ物の話をしています。政治より、戦争より、技術より、食べ物の記録が一番多い」
エマはもう一度ケースを見た。
鰻重。これは贅沢品の枠だが、十年我慢したので許す。
「つまり」とエマは言った。「四百年かけて日本を変えた人物の動機が、これだと」
「おそらく」と田中は答えた。「本人に聞けないので確認できませんが」
エマはしばらく黙っていた。
窓の外に、ロンドンの空が見えた。今日は快晴だった。火星に向かった日本連邦の第三次探査船が出発して、三週間が経っていた。
「一つだけ分かることがあります」と田中が言った。
「何ですか」
「鰻重は、ちゃんと食べられたと思います」
「……根拠は?」
「帳簿の四百二十三冊目に、『鰻重、旨かった』とだけ書いてあります。備考欄に」
エマは少し笑った。
「それは良かった」
「そうですね」と田中も笑った。「それは良かったと思います」
エマはその日、論文のテーマを変えた。
日本連邦の産業革命がなぜ早かったか、ではなく。
なぜ「和食が食べたかっただけの人物」が、結果として人類の歴史を変えたのか。
それを書くことにした。




