閑話「信長の墓前、そして」
2060年、死の床にある佑が見た、最後の夢の話だ。
場所は分からなかった。
明るかった。暗くもなかった。ただ、どこかに居た。
声がした。
「遅いぞ、長耳」
振り返った。
信長がいた。
三百年前と同じ顔だった。老いていなかった。あの頃と同じ目をしていた。鷹の目だった。
「……信長殿」
「やっと来たか」と信長は言った。「四百七十年は長すぎる」
「商売が長引きました」
「知っている」
信長が何か持っていた。杯だった。二つあった。一つを佑に渡した。
「飲め」
「何ですか?」
「日本酒だ」と信長は言った。「最高の米で作った。値段はつけるな」
佑は受け取った。
「……値段をつけません」
「珍しいな」と信長は言った。「お前が値段をつけないのは、よほどのことだぞ」
「よほどのことです」
二人で飲んだ。
信長が言った。
「長耳、楽しかったか」
「ええ」と佑は言った、迷わなかった。「最高に楽しかったです」
信長が笑った。
四百七十年前、本能寺の翌朝に初めて見た笑い方だった。
「そうか」と信長は言った。「ならよかった」
また沈黙した。
「人間は腐りましたか?」と佑は聞いた。
「腐らなかった」と信長は言った。「お前が見てきた通りだ」
「あんたの言った通りでした」
「そうでもない」と信長は言った。「お前が売らなければ、腐っていたかもしれん。外の者が守り続けたら腐るが、外の者が何もしなくても腐る。売るだけで丁度よかった」
佑は杯を見た。
「……そうですね」
「まあ」と信長は言った。「どちらにしても、面白かったろう」
「面白かったです」
信長が立ち上がった。
「もう行け」と信長は言った。
「まだいてはいけませんか?」
「お前の仕事は終わった」と信長は言った。「和食は旨かったか」
「……旨かった」
「なら十分だ」
信長が背を向けた。
「信長殿」と佑は言った。
「なんだ?」
「ありがとうございました」
信長は振り返らなかった。
ただ、手を一度だけ上げた。
佑は目を開けた。
フィリアの作った味噌汁の匂いがした。
旨そうだった。




