閑話「500年目の夜」
1920年、工作船。
帳簿のインクが切れたのは、1920年の秋だった。
佑は気づかなかった。書いていた。気づいたら、紙に何も残っていなかった。
ペンを見た。空だった。
三百三十八年間、同じペンを使っていた。異世界から持ってきたペンだった。インクを補充しながら使っていた。補充できないほど減ったのは、初めてだった。
佑は翌日、市場に行った。
文房具店があった。ペンを買った。日本製だった。
工作船に戻った。帳簿を開いた。新しいペンで書いた。
字が少し違った。
佑はしばらく字を見ていた。
その夜、フィリアが部屋に来た。
「佑、ペンが変わりましたね?」
「ええ、インクが切れました」
「何年使いましたか?」
「数えていません」
フィリアが窓の外を見た。夜の地球が見えた。
「佑」
「なんですか?」
「故郷に帰りたいと思いますか?」
佑は少し間を置いた。
「……異世界の前、こことは別の日本ですか?」
「流石に無理ですよ」
「帰れたら帰りたいですか?」
「いえ既にここが故郷ですよ。フィリアや皆がいる、考える事を止めない人達がいる」と佑は言った。
フィリアが笑った。
「そうですか」
「なによりずっと楽しかったんですよ。フィリアは?」と佑は言った。
「勿論今も楽しいですよ」
「初めは戦国にやってきて、どうなる事かと思ったけどね」
「ね」
佑は新しいペンで帳簿に書いた。
【1920年・秋・記録】
ペン、新調。日本製。
書き心地、悪くない。
備考:故郷について考えた。
結論、ここでいい。
和食があるから。
それ以外の理由も、ある。
書かない。




