閑話「約束の地は砂漠の向こうに」
時期:1938年頃
中央アジアの空は高かった。乾いた風が吹いている。
かつて荒野だった土地に、いまは街がある。
石造りの家々。学校。病院。工場。駅。
列車が汽笛を鳴らして走り抜けた。
駅舎の看板には、日本語とヘブライ語が並んでいた。
テル・ハダシュ駅。新しい丘。
駅前広場では、式典が始まっていた。
集まった人々は数万人。
老人もいた。若者もいた。子供もいた。
全員が、ひとつの旗を見上げていた。
青と白。中央に六芒星。
一人の老人が演壇へ上がる。
八十を越えた白髪の男だった。
手は震えている。
だが、声はよく通った。
「私はヨーロッパで生まれました」
広場が静まる。
「祖父は追放されました」
「父は差別されました」
「私は、故郷を持ちませんでした」
老人は少しだけ目を閉じた。
「ですが、今日」
「私たちは国を持ちます」
歓声が上がる。
拍手が広がった。
老人は、ゆっくりと手を上げた。
「忘れてはいけません」
「これは、奇跡ではありません」
広場が静まる。
「誰かが、無償で与えてくれた土地ではない」
「誰かが、代わりに作ってくれた国でもない」
「私たち自身が、作った国です」
群衆の中に、何度も頷く者がいた。
畑を耕した。
鉄道を敷いた。
学校を建てた。
井戸を掘った。
砂漠と戦った。
病気と戦った。
飢えと戦った。
誰かが代わりにやったのではない。
彼ら自身が、ここまで来た。
老人は少し笑った。
「ですが」
「感謝すべき人々はいます」
広場の端にある来賓席へ、視線が向く。
そこには、日本代表団が座っていた。
技術者。教師。農業指導員。
少し居心地悪そうに、椅子に座っている。
老人は頭を下げた。
深く。
本当に深く。
「日本の友人たちへ」
広場の何千、何万という人々が立ち上がった。
「ありがとう」
日本代表団が、思わず身じろぎする。
予想していなかった。
「あなたたちは、支配しなかった」
「命令しなかった」
「奪わなかった」
「ただ、教えてくれた」
「ただ、助言してくれた」
「ただ、取引してくれた」
「だから、私たちは自分の足で立てた」
拍手が起こる。
長く、いつまでも続いた。
その様子を、数千キロ離れた工作船で見ている者がいた。
佑は通信画面を眺めていた。
画面の向こうでは、国歌が流れている。
子供たちが歌っていた。
「感謝されてますよ」
シャリアが言った。
「日本がです」
佑は答えた。
「あなたも含まれています」
「違います」
紅茶を一口飲む。
「私は、情報を売っただけです」
「また始まりましたね」
フィリアが呆れたように言う。
「本当に売っただけでしょう」
ライルが指を折った。
「中央アジアの地下水脈」
「乾燥地農業」
「鉄道計画」
「疫病対策」
「全部売りました」
「代金も受け取りました」
「そういう問題じゃありません」
佑は少し黙った。
画面の向こうでは、まだ歌が続いている。
笑顔があった。
しばらくして、シャリアが聞いた。
「嬉しくないんですか」
佑は窓の外を見た。
青い地球が浮かんでいる。
「……嬉しいですよ」
誰も、それ以上は言わなかった。
「ただ」
佑は少しだけ笑った。
「嬉しいのは」
紅茶の湯気の向こうで、静かに続ける。
「私が予想したより、面白くなったからです」
フィリアが吹き出した。
「結局そこですか」
「そこです」
中央アジアでは、歓声が続いていた。
新しい国が生まれた。
神が作った国ではない。
日本が作った国でもない。
宇宙エルフが作った国でもない。
そこに住む人々が、自分で作った国だった。
後年、記念館の一角に、小さな銘板が置かれる。
大統領でもない。将軍でもない。建国の父でもない。
ただ一行。
遠き東の友人たちへ。
あなたたちは我々のために立たなかった。
だから我々は、自分で立つことができた。
その言葉を見た佑は、帳簿に書いた。
【1938年・記録】
収入:情報提供料
支出:なし
備考:建国。
感謝された。
値段を聞き忘れた。
たぶん無料だった。
少しだけ悔しい。
少しだけ嬉しい。




