第40話 信政と佑 最後の商売
移行から七年が経った、一九一〇年の冬。
信政が工作船を訪ねてきた。
四十歳になった信政は、少し老けていた。政治の仕事は人を老けさせる、と佑は思った。それでも目は変わっていない。
「一つ買いたいものがあります」と信政は言った。
「何ですか」と佑は言った。
「一時間、話を聞いてください。値段は後で決めます」
佑は少し止まった。「……話を聞くことが、商品ですか」
「そうです」と信政は言った。「佑殿が四百年の間に見てきた、民主主義の失敗例を教えてください。欧州で何が起きたか。どういう時に民主主義は壊れるか」
「それは売れます」
「値段は」
「……後で決めます」
二人で座った。
佑は話した。欧州で見てきた選挙の歪み、大衆が扇動される場面、経済的な格差が民主主義を空洞化させる過程。
信政は聞いた。メモを取りながら聞いた。信忠に似た、確認してから動く聞き方だった。
一時間が終わった。
「……ありがとうございます」と信政は言った。
「値段は」と佑は言った。
信政が少し考えた。「何を払えばいいですか」
「答えを一つ教えてください」と佑は言った。
「何の答えですか」
「なぜあなたは、外圧を待たずに自分から変えようとしたんですか」と佑は言った。「本当の理由を」
信政が少し間を置いた。
「……おかしな答えになりますが」と信政は言った。
「どうぞ」
「佑殿が、信長様に言った言葉があります。家に伝わっています」
「何と言いましたか」
「『日本を守るのは日本人であるべきだと思っています。外の者が守り続けたら、腐ります』」
佑は少し止まった。
「……それを覚えていたんですか」
「代々の日記に全部書いてあります」と信政は言った。「私が読んだのは十歳の頃です。その時から、ずっとこう思っていました」
「何を」
「もし民主主義が外から押し付けられたら、それも腐る、と」と信政は言った。「自分たちで決めた制度だけが、本物になります。三百年前の信長様に、佑殿が言ったことと、根っこは同じです」
佑はしばらく信政を見ていた。
信長の言葉が、三百年越しに戻ってきた。
「……等価交換成立です」と佑は言った。「一時間の話の対価として、充分すぎる答えです」
「では商売成立ですね」と信政は言った。
「成立です」
信政が立ち上がった。帰り際に、一度だけ振り返った。
「佑殿、一つだけ聞いてもいいですか」
「どうぞ」
「日本が、これから先も、ちゃんとやっていけると思いますか」
佑は少し考えた。
「そう思います」と佑は言った。
「でも」と信政は言った。「今後も自分で考える。それが答えですね」
「……そうかもしれません。ですが私はこれからもずっと見守り続けます、日本政府が大きな間違いを犯す時ちょっとは口を挟みます。」
「これからもよろしくお願いします」
信政が工作船を降りた。
佑は窓から見送った。
信長と同じ目をした男が、十一世紀の東京の街に消えていく。
帳簿を開いた。
【一九一〇年・取引記録】
収入:信政殿より 民主主義移行の理由(答え)一つ
支出:四百年分の失敗事例の話 一時間分
備考:等価交換成立。
信長殿が本能寺の翌朝に言った「面白い顔をしておるな、長耳」から
三百年と少しが経った。
信長殿の言葉が、第十代当主に届いていた。
私は何も渡していない。
ただ、最初に信長殿に言っただけだ。
「日本を守るのは日本人であるべきです」
その言葉が、三百年かけて、自分から幕府を解体する人間を作った。
これが、私が売ってきたものの、本当の中身だったかもしれない。
値段がつかない。




