第38話 信政の決断
一九〇一年の春、工作船に使者が来た。
織田信政からだった。
信長から数えて第十代当主にあたる男は、三十一歳になっていた。信長の血が久しぶりに濃く戻ってきた、という評判があった。鷹の目をして、直感で動いて、しかし信長と違って「後世の人間が読む」ことを意識して行動する人物だった。
使者の言葉は短かった。
「佑殿に一度お会いしたい。工作船でも、地上でも、どちらでも構わない」
佑は地上に降りることにした。
待ち合わせの場所は、東京の料亭だった。信政が指定してきた。
個室に入ると、信政がいた。
初めて会う顔だった。しかし佑には見覚えがある顔だった。目の形が、信長に似ていた。直接の先祖から三百年以上が経っているのに、目だけが戻ってくる。不思議なことだ、と佑はいつも思う。
「佑殿」と信政は言った。立ち上がらなかった。対等の相手として扱う、という意思表示だと佑は受け取った。
「信政殿」
「座ってください。今日は食事をしながら話したい」
膳が運ばれてきた。
佑は座った。
「何の話ですか」と佑は言った。
「決めたことを、報告したかった」と信政は言った。
「報告?」
「許可を求めるわけではありません」とすぐに信政は言った。「佑殿に何かをお願いするつもりもありません。ただ──報告したかった」
佑は信政を見た。
「聞きます」
信政が箸を持った。まず一口食べた。作法として、ではなく、本当に旨そうで食べた。それから言った。
「幕府を解体します」
佑は止まらなかった。
「……続けてください」と佑は言った。
「日本の政治体制を変えます。外圧によってではなく、私たち自身の判断で。民主主義に移行します」
「理由を聞かせてください」
信政が少し間を置いた。料理を見てから、佑を見た。
「豪州との戦争から二十年が経ちました」と信政は言った。「日本は勝ちました。しかし私はその勝ち方を、ずっと考えていました」
「何を考えていましたか」
「日本人が自分で考えて、自分で作った兵器で、自分で戦略を立てて、勝った」と信政は言った。「それが本質でした。兵器の性能ではない。考える力が、あの戦争を勝たせた」
「はい」
「なぜ考える力がついたか」と信政は言った。「佑殿の教育システムが、三百年かけて日本人全体の頭を変えたからです」
「そうかもしれません」
「ならば」と信政は言った。「政治も、同じはずです」
佑は信政を見た。
「考える力がある国民が、考えることを許されない政治体制のままでいることは、矛盾です」と信政は言った。「身分で決まる政治から、頭で決まる政治に。三百年前に学校でやったことを、政治でやる時代が来ました」
「……」
「私が決めることが一番効率的かもしれない」と信政は続けた。「でも、それは三百年前に信長様が佑殿に言われたことの逆をやることになります」
「信長殿に言われたこと」
「外の者が守り続けたら、腐る」と信政は言った。「上の者が全部決め続けても、腐る。理屈は同じです」
佑は少し間を置いた。
「……正しいです」
「そうでしょう」と信政は言った。「ただ──佑殿に一つだけ聞きたいことがあります」
「何ですか」
「私は、外圧でなく自分から動こうとしています。史実を知らないので比較はできませんが、それは珍しいことですか」
佑は考えた。
「……珍しいです」と佑は言った。「多くの場合、権力を持つ者は、外から追い詰められて初めて変えます。自分から手放す者は、あまりいません」
「なぜ私はそうしようとしているのか、分かりますか」
「……なぜですか」
信政が少し笑った。信長の笑い方に似た、短い笑いだった。
「佑殿の教育システムで育った人間だからです」と信政は言った。「身分より頭、という場所で育った人間は、自分が身分で権力を持っていることの矛盾を、自分で気づきます。気づいたら、変えるしかない」
佑は信政を見た。
三十一歳の顔をしていた。若い。しかし目が深かった。三百年分の積み重ねを背負っている目だった。
「……信長殿に、また会えた気がします」と佑は言った。
信政が少し止まった。「そんなに似ていますか、私は」
「目が似ています」
「それは幸せなことですか」
「……どちらとも言えません」と佑は言った。いつもの答えだった。
信政が笑った。「その答えも、代々の日記に出てきます。佑殿はいつも『どちらとも言えません』と言うと」
「……よく言うんですか?」
「結構言いますね」
佑は少し間を置いた。「……確かに、よく言います」
二人で食べた。
春の夜の料理が、旨かった。




