第10話 「行き先はまだ決めなくていい」
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夕方の駅前は、仕事帰りの人たちで賑わっていた。
スーツ姿の大人たちが足早に改札を抜けていく。
その流れの中で、
航は立ち止まっていた。
手には、就活用の黒いバッグ。
中には、何度も書き直した履歴書が入っている。
―また落ちた
今日も、面接の結果は不採用だった。
「……俺には、何もないのかな」
思わず漏れた声は、
駅のざわめきにすぐに消えていった。
家は裕福じゃない。
学費も下宿代も、親が無理をして送ってくれている。
半分は自分でアルバイトをして工面してきた。
だからこそ──
留年も、就職失敗も、許されないと思っていた。
―早く決めなきゃ……
――このままじゃ……
胸の奥が、ぎゅっと縮む。
電車に乗る気力すら湧かず、
航は改札の前で立ち尽くしていた。
そのときだった。
ポケットの中で、
古い切符がふわりと光った。
「……え?」
光は小さく震え、丸い輪郭をつくり、
やがて小さな妖精の姿になった。
精霊リンクが、切符に宿ったのだ。
(……あ。ひかり……
このひと……まよってる……
“どうしたらいい”……って……
ぼく……てつだう……!)
リンクは幼い決意を胸に、
切符の中へすっと溶け込んだ。
航は、ポケットから切符を取り出した。
大学に入学したばかりの頃、
記念に買った“記念切符”。
使うこともなく、財布の奥にずっと入れっぱなしだった。
「……なんで今、これが出てくるんだよ」
そう呟いた瞬間──
切符が、ひとりでにぴょこんと跳ねた。
「えっ!?」
次の瞬間、
切符は航の手から飛び出し、
改札へ向かって一直線に滑っていった。
ピッ──!
「ちょ、ちょっと待てって!」
切符は勝手に改札に吸い込まれ、
ゲートが開いた。
(いって……!
いってみよ……!
だいじょうぶ……!)
リンクが必死に呼んでいた。
航は呆然としながらも、
なぜか足が前へ動いた。
「……なんなんだよ、これ」
気づけば、ホームに立っていた。
電車がちょうど入ってくる。
行き先表示が、
ぱちぱちと勝手に切り替わった。
「……え?」
“○○行き”
“△△行き”
“□□行き”
そして──
“どこでもいいよ”
「……は?」
そんな表示、あるはずがない。
(いって……
どこでも……
いいよ……)
リンクの幼い声が、
胸の奥にそっと触れた。
航は、ふらりと電車に乗り込んだ。
電車は、都会の喧騒を抜け、
少しずつ郊外へ向かっていく。
窓の外に広がる景色が、
少しずつ緑を増やしていく。
航は、座席に腰を下ろし、
深く息を吐いた。
―俺、どこに向かってるんだろう
そのとき、
ポケットの中の切符が、
かすかに震えた。
取り出してみると──
切符の端が、
“いってみよ?”の形に折れていた。
「……お前、何がしたいんだよ」
そう呟きながらも、
航の胸の奥は、
ほんの少しだけ軽くなっていた。
電車が、ある駅で止まった。
ふと、
見覚えのある風景が目に入った。
「……ここ」
航が高校生の頃、
よく通っていた駅だった。
小さな商店街。
古い文房具屋。
そして──
駅前の小さな図書館。
航は、思わず電車を降りた。
(ここ……
すき……だった……でしょ……)
リンクの声が、
胸の奥にそっと響いた。
航は、ゆっくりと歩き出した。
駅前の小さな商店街は、
昔とほとんど変わっていなかった。
古い文房具屋。
駄菓子屋の前に置かれたガチャガチャ。
そして、駅の向かいにある小さな図書館。
航は、自然とその図書館へ足を向けていた。
―ここ、よく来てたな
高校生の頃、
受験勉強の合間に、
こっそり小説を書いていた。
ノートに書いた拙い物語。
誰に見せるわけでもなく、
ただ「書くのが好き」で続けていた。
―あの頃は、楽しかったな
図書館の中は静かで、
紙の匂いが懐かしく漂っていた。
航は、ふらりと書架の間を歩いた。
そのとき──
ポケットの中の切符が、かすかに震えた。
取り出してみると、
切符の端が、また“いってみよ?”の形に折れていた。
「……お前、ほんとに何がしたいんだよ」
そう呟きながらも、
航の足は自然と動いていた。
児童書コーナーの前で立ち止まる。
そこには、
昔、航が何度も読んだ本が並んでいた。
「……これ」
手に取ったのは、
冒険物語の古い文庫本。
ページを開くと、
主人公が旅に出る場面が目に入った。
“行き先は決めていない。
でも、歩き出さなければ何も始まらない。”
航は、胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じた。
(こう……すき……だった……でしょ……
ぼうけん……すき……
ゆめ……あった……)
リンクの幼い声が、
胸の奥にそっと触れた。
航は、ゆっくりと本を閉じた。
「……俺、いつからだろうな」
“正しい道”しか選んじゃいけないと思っていた。
“失敗しちゃいけない”と自分を縛っていた。
でも──
本の中の主人公は、
行き先を決めずに旅に出ていた。
「……行き先なんて、今決めなくていいのか」
その言葉が、
自然と口からこぼれた。
(そう……
いま……きめなくて……いい……
こう……だいじょうぶ……)
リンクの声が、
優しく航の心を包んだ。
図書館を出ると、
夕暮れの空が広がっていた。
航は、駅へ向かう途中で立ち止まった。
「……俺、もう少しだけ、ゆっくり考えてみようかな」
焦らなくていい。
寄り道してもいい。
行き先は、今決めなくていい。
そう思えたのは、
ポケットの中の切符のおかげだった。
航は切符を取り出した。
「……ありがとな」
その瞬間、
切符がふわりと光った。
光は小さく震え、
やがてリンクの姿になった。
(こう……よかった……
ゆめ……また……うごいた……
もう……だいじょうぶ……)
リンクの体が、
ゆっくりと光に溶けていく。
(ぼく……つぎ……いく……
つぎの……がんばってるひと……
さがす……)
光は切符からふわりと抜け出し、
夕暮れの空へと漂っていった。
航は気づかないまま、
切符をそっと胸ポケットにしまった。
「……行き先は、まだ決めなくていい」
その言葉は、
夕焼けの風に乗って、静かに消えていった。
お読みいただき、ありがとうございました。




