柘榴石の午後 ~或いはサルダーニャの憂鬱(2)
――きっとかの姫は、この柘榴石に相応しい存在なのだ。
サルダーニャは指輪の出来栄えが申し分ないことを確認した。
そして、彼女は西の辺境領とエルンストにも相応しい女性であることを願った。
少なくとも お館様が払われる代償に見合うくらいには。でなければ困るのだ。
やっと十八……いや十七歳だったか。
そんな歳で、どうやら自らの意思で子爵家と絶縁に及んだらしい姫君である。
世間では賛否両論あったことは、重々承知している。
一般には生家であり実家だと思われていたから、非難轟々だった。また一部では相当に偏った糾弾や酷い誹謗中傷までが横行した。聞くに堪えないと耳を塞ぎたくなったのは、一度や二度ではない。
だが無謀な試みと映る一方て、心の奥底では喝采を叫んだ人間が一定数以上いたのも事実だ。決して少ない数ではなかったろう。ただ絶対に声には出せなかった。
彼女が投じた一石が、既存の貴族社会を震撼させたのは間違いない。
サルダーニャ個人は痛ましく感じつつも彼女の決断を尊重したいと思えたし、親子間での縁切り申立てなど論外だと大問題視されても、行動を起こした勇気自体を肯定したいとは考えている。今でもそうだ。
サルダーニャにはせっかくの苦労・手間暇が水泡に帰したという怒りよりも、「親子関係の解消を目論んで、前代未聞の申立てを起こした」という衝撃の方が強かったのかもしれない。破壊力抜群の行為ではないか。うら若い未婚女性が、前人未到の領域――おそらくそれは禁忌だった――に、あえて踏み込んでみせた。その蛮勇に毒気を抜かれたのかもしれなかった。
(それに。そのくらいの気性でなくては、ウチのお館様の連れ合いは務まるまい)
サルダーニャは赤い石の指輪をジッと見詰めた。
美しいモノは佳い。見ているだけで気持ちが晴れる。荒ぶる魂を鎮め、傷付いた心を和ませ、何なら人の業まで浄化してくれそうな気がする。
不憫な境遇。生まれ育ちも、成長して以降も、それに今ある現在も。
この守りの石が、どうかこれまでの悲運を一切合切祓い切ってくれますように。
サルダーニャとしてはそう祈念しておくしかなかった。
(美しいモノだけが、私達を慰め励ましてくれる――)
美こそが喜びを齎してくれるのだ。
顔も知らない姫君だが、この贈り物を新しい人生を始める記念として受け取ってくれればよいと思う。胸ときめかせて、幸せを感じてくれるだけでもよい。
心尽くしの贈り物なのだ。
ただこの深い赤を眺めているだけの自分でさえ、この先を考える度に積み重なってきた鬱屈が、いっぺんに吹き飛ぶ心地がする。おのずと前向きになれそうな。
それだけの品だった。精緻で美しいモノに特有の力だろう。
「でも。惜しいわね、コレが間に合ってなかったなんて」」
しかし細やかな心遣いの割に、なんと主は誕生日そのものを間違えていた。
実はとうに日にちが過ぎている。男性だから細部には頓着しないのか、柄にもないことをして肝心な点を抜かったのか。
『そこは絶対! 外しちゃダメなトコっしょ?』
先日「指輪の完成前に既にして致命的遅滞でした」とイヴが聞いてきた時には、二人で大笑いしたものだ。もう笑うしかなかった。
『てんでダメダメじゃないすか』
イヴがバッサリ一刀両断に切り捨てたので、また聞きに聞かされたサルダーニャも窘めるより前に吹き出してしまった。
これを男の愛嬌だと思うか、切れ者の大ポカだと取るか。だがイヴと一緒に盛大に笑い飛ばしてやれたおかげで、ここ最近の憂さが少しだけは晴れた。
ただ、考えるだに惜しい気はする。
本来ならば、この柘榴石は結納品の一部だ。
そして本当なら。今頃、主は彼女を後妻に迎えられていた。
周到に準備をしていたし、それなりの根回しも段取りも続けていたのだ。
没落寸前の名家は幾らでもある。どうにか想い人を悪辣子爵家の籍から抜かせ、名前だけの適当な家格の養女に直してしまう。それからなら、円滑に西の辺境伯家正夫人に据えられる。主も自分達もそのつもりでいた。
柘榴石よりも前に、正式な家紋入りの指輪の方を誂えていたくらいだ。
エルンストの紋章である獅子が、アル湖の乙女の象徴である百合の花を捧げ持つ。その絵柄を青瑪瑙にカメオにして彫り込むのが、当主の結婚指輪の伝統である。
一度は先妻に贈り、離縁と共に返還されたのとまったく同じ婚姻の指輪を、主は新妻のために新たに作成するよう命じていたのだ。
さぞ睦まじい夫婦になれていたことだろう。
十五歳くらいの年齢差は大したことではない。むしろ夭い方が多くの子を期待できると、歓迎されるくらいだ。サルダーニャ達は若き女主人を支え、時に教え導き、盛り立てようとしていたはずなのだ。
(――それを、あの無為無能無策の大愚大公めが)
返す返すも忌々しい。
だがサルダーニャの連想は、不穏な通知によって遮断されてしまった。
突如割り込んできたのは、まったくロクでもない報せだった。
呼ばれて入った執務室では、家宰殿デルソト卿が怖いような顔をしていた。
実にロクでもないことになっていた。幸い、実害が生じたわけではない。せめてそこだけは不幸中の幸いだったと言えるだろう。だが、かの姫が今匿われている前侍女頭の隠居宅が、もう安住の地ではなくなってしまったのだ。
(あそこさえ安全な場所ではないと露呈してしまった……)
あの家ですら盤石でないと知れてしまった。これ以上、預けてはおけない。
主はかの姫を、どこか別の所へ移すだろう。
それは、サルダーニャにとっては誠に頭の痛い展開をも意味していた。
前侍女頭だからこそ任せていられたのだ。ゼフィネ様だからこそ、託せた。
移るとなれば、当然付けるヒトも変えねばならない。
とすれば、もうイヴしかいないではないか。
痛い。実務的にも地味に痛いし、個人的にも非常に痛い。
イヴは、何としても手元に置いておきたい人間だった。
(みんな行ってしまう――)
サルダーニャは世の中の法則を熟知していた。
辞職と辞世には相通じるものがある。生きていてと願う人ほど早く死ぬ。
ずっと居て欲しい、長く務めてくれと思う部下に限って、疾く去って行くものだ。
しかしイヴは、イヴだけは今日まで変わらずにいてくれた。
いずれは嫁に行くだろうと覚悟はしているが、イヴに限っては事前に取り決めをしておいて、適当な時期に復帰して欲しいとさえ考えている。
予め打ち合わせておけば、イヴならば遠方に縁付いたりしないだろう。
――イヴを手放す。
それでやっていけるだろうか。館内は無事に回っていくだろうか。自分は耐えられるだろうか。
――イヴ無しで?
いかな美しい宝石でも拭い去れない真っ暗な雲が、サルダーニャの胸中に広がっていった。




