柘榴石の午後 ~或いはサルダーニャの憂鬱(1)
その収穫祭の最終日。
急報が来るまでは、サルダーニャはまずまず心穏やかに午後を過ごせていた。
サルダーニャはこの地の領主家、エルンスト辺境伯家の現侍女頭である。
厳格な反面、寛大な上司でもあったので、彼女は半数以上の者に臨時でかなり長い中休みを与えていた。誰だって少しくらいは祭りを見たいだろう。今の内に息抜きをさせておいてやりたいという配慮だった。
収穫祭を終えると、領主館は一気に忙しくなる。
じきに年末の生誕祭へ向けた準備が始まるからだ。年明けまで続く千客万来、恐怖の超繁忙期の到来である。よってできるだけ皆に英気を養わせねばならない。
彼女等の主であるお館様は、収穫祭最後の公式行事のために領都の街まで出張られていた。主だった近習達もお供したから、館中はいたって静かである。にわかにシンとしたこの合間に、家宰殿デルソト卿がせっせと溜まった仕事を片付けているはずだ。滅多に取れないまとまった時間。誰にも話し掛けられずに、独り効率よく集中できる。貴重な機会なのである。
サルダーニャも何処へも行かず、まさに今この時にやるべき仕事をこなしていた。ちょうど主に仰せつかっていた宝飾品が仕上がってきたところだった。
大っぴらには見せられない類の贈答品なので、右腕でもある腹心のイヴに立ち会わせて、侍女頭自身で細部を検分している最中だった。
「悪いわね。せっかくの収穫祭に留守番組に回らせて」
「いいえ。それよか今の内に点検しちゃいましょう」
イヴは優秀だった。今まで見てきた中で一、二を争うだろう。
女主人不在の辺境伯家勤めで、ヘタに見慣れない宝飾品を前にすれば、他の侍女達なら興奮してきゃあきゃあ騒ぐ。その点、イヴならば煩くしない。冷静沈着なのも実務能力の高さである。こういう内緒の作業の相方には、イヴが最適だった。
(なんて美しい――)
この日納品されたのは、滅多にお目に掛かれない逸品である。サルダーニャでもこれ程の品を見るのは、お館様の前のご婚礼以来ではなかったろうか。
(これは……素晴らしい。なんと見事な)
サルダーニャは美しいモノが好きだった。
美なるモノは善なるモノに通じ、やがて真なるモノへと至る。そう信じるからだ。
ただ必ずしも高級品即ち良き、と感じるわけではない。彼女は美しいと思える瞬間を愛している。野の花であれ、廃棄される寸前の事物にでさえ、一瞬の美は宿る。命あるもの、失せ行くもの。それぞれに美しさがあると思う。
だが高級品には高級品たる理由があるのだ。全部が全部とは限らないが、手間暇をかけて完成させたモノにはそれだけの値打ちがある。美とはある種の力である。ひと際美しく仕上げられたモノは、特別な力を持っている。技術の高さがある程度その力を裏打ちしてくれる。品質は、美を確立させ保証する要素でもあった。
(完璧な仕上がりだわ)
まったく惚れ惚れするような細工だった。
お館様、当代西の辺境伯ジークヴァルト・アル・エルンスト殿がさる女性へ贈る予定の、誕生祝のその指輪は、それはそれは美しかった。赤い石。最上級の柘榴石で拵えるようにと、具体的に素材までを指定したのは主だ。
工房に最優先でと依頼して、ようやく届いた指輪は非常に手が込んでいた。
意匠は蝶だった。これも予め主から指示されたのだ。赤の色も大きさも厳選した柘榴石を惜しみなく使って蝶の羽を表し、主の眼と髪の色と同じ黄金の台座には丹念に繊細な植物の彫りが施されている。
あたかも赤い蝶達が、金細工の森の中を飛び交っているかのようだ。
大胆かつ抽象的に強調された羽根を広げる蝶の群れ。贅沢で、凝った造りだった。
実はこの意匠で、首飾りに耳飾りも制作進行中だった。これだけ揃えば立派な結納品だ。それを先に渡したいからまず指輪から仕上げるようにと、特に申し渡したのも主である。
――あのお館様が、どうでもこれだけの品を差し上げたい相手なのだ。
主の想い人とは、いたく出来の良い姫君らしい。ならば何を憂えることがあろうか。サルダーニャはまだ直接の面識はないが、前任の侍女頭ゼフィネ様からは太鼓判を押されている。しかも時に辛辣なイヴから見ても聡明だと言う。
イヴいわく「時々、実年齢を誤魔化してるのかと疑うくらいに賢い」そうだ。
イヴが感心するくらいだから、間違いないだろう。何かと点の辛い二人から見ても人物として難はない。それなら、もう何も言うことはなかった。何ら異存はない。これ以上、何を望むというのか。
何より、主に愛されているのだ。
柘榴石で象る蝶。
主とかの姫の馴れ初めは知らないが、さぞ思い入れがある徴なのだろう。
蝶については皆目だったが、柘榴石を選んだ理由ならばわからなくもない。
おおかたの見当は付いた。
柘榴石はお守りの石だ。
最愛の姫がこれまで置かれていた境遇を思いやり、こんな誕生祝いを考え付いたのに違いなかった。してみると、当代のお館様とは意外に情が濃やかな男である。
(過去二度とも、正式な縁組の時には淡々としていらしたのに)
主筋である大公家から押し付けられた、義務的な婚姻だったからだろうか。
自ら見初めて望んだ相手には、まるで別人になるらしい。最初に柘榴石をと聞いた時、サルダーニャは「おや、お館様はこんな気遣いが出来たのか」と驚きさえしたものだ。
柘榴石自体は、そう稀少な宝石ではない。ある程度以上の家なら、貴族でなくとも娘に贖ってやれる石だ。琥珀もそうだが、高価ではあってもそれなりに産出量がある。これが紅玉なら、家宰殿が目を剥くほどの価になるだろう。
だが場所によっては、特別な意味合いを持つ石である。
ある地域では生まれた娘に、その誕生を祝って贈る習わしがあると聞いた。
祖母から母、母から娘へと代々受け継ぐ土地だってあるそうだ。柘榴石の赤は祝福の色であり、幸せを願い、連綿と子々孫々に女系の血脈を繋ぐ絆の赤なのだ。
主が心を寄せる女性の生まれ在所は、柘榴石の産地に程近い。きっと似た風習があるはずだった。なのにおそらく、それを唯の一つも貰えていなかったのだとサルダーニャは察した。
事情を鑑みれば、簡単に推量できる。
かの姫は決して生まれは悪くない。生母は遠い異国の至極高貴な血筋。本当の父親だとて、はっきり判っていた。まさしく姫、それも姫君と呼ぶに相応しい身分なのだ。世が世であれば。
もし母の故国が亡びていなければ。父の家が滅していなければ。
おそらく彼女は深窓の姫君として大切に養育され、輿入れまでは宮殿の外の世界を知らず、身内以外の男性には顔を見られることもなかったに違いない。彼女の生母がそうであったように。しかし亡国も一家断絶も、どちらも彼女が生まれる以前の話だった。
よって育ちの方はいたく不遇だった。戦乱で流れてきた身重の生母が囚われたのが、性質の悪い貴族だ。虐待に耐えかねてそこから逃げ出し、駆け込んだ先の修道院で娘を産んだ。戦乱の果て、流転の人生を辿った生母もただただ気の毒である。
母娘ともにその聖ソフィア女子修道院でそのまま生きていければ、まだ幸せだったのかもしれない。だが生母は、娘を産み落とすとすぐに亡くなってしまった。
赤子は生母の乳母と修道女達に育てられたそうだ。よくぞまともに育ったと思う。賢く美しく育ったが、今度はそれが仇になってしまった。
悪評しか持たない子爵家には、たいした資産もなかったらしい。
だいぶ大きくなってから強引に娘を婚外子として認知したそうだが、まるで品物のように扱った。どう考えても、家で一番の値打ちモノはこの少女だったはずだ。
なのに大事にされていた形跡はない。
サルダーニャもその辺りの事情を詳しく承知しているわけではなかった。
しかしまだ十代の少女が、自分から縁を切りたくなるような家なのだ。
とうてい愛され慈しまれていたとは思えない。
かの姫だけが、仮初の実家ではもっとも価値ある財だったのだろうに。




