清く可愛く貪欲に
マリカとは、果敢な挑戦者だったのかもしれない。
後にも先にも、こんな無謀な剛の者は他にはいないだろう。
ある意味、唯一無二の過去一名だろうか。暗黙の了解として、指名されない限り来てはいけないゼフィネさんの隠居宅に、無断で幾度も遊びに来ていたのだから。
ひたすら無垢無邪気を装って、ゼフィネさんの懐に飛び込もうとしたたった一人でもある。かつて無敵の前侍女頭を相手に蛮勇を試みた、空前絶後の約一名。
それがマリカだった。
事実、一時期は確かにゼフィネさんに気に入られた――いや、気に入られたかのように見えたのだ。だがしかし、それは決して正攻法ではなく。
別にゼフィネさんに呼ばれて来たわけでも、サルダーニャに推薦されて面接に寄越されたのでもなかった。初回こそ偶然だったが、以降度々ゼフィネさんを訪ねて来たのは、自発的な掟破りに過ぎない。
おそらく企みの半ばは成功したのだろう。
ゼフィネ様とてやはり人の子だった。長い独居の間に、たまたま生じた心の隙間。ごくごく小さな綻びに、ふと何かが忍び寄る瞬間だってあった。そこへちょうど、そういう刹那にするりと入り込むのが巧い人間が付け込んだ。
誰であれ、そんな事態は起こり得るのだ。たぶんそれだけのことだ。
今にして思えば。最初のお遣いでさえ、純粋な偶然ではなかったのかもしれない。
マリカ。そう、名前はマリカ。平民なので姓はない。
侍女でも行儀見習いでもなく、新参のメイドだった。
可愛いマリカ。
当時はそう呼ばれていた。天真爛漫。明るく愛らしく、溌溂として気取らない。マリカは誰に対しても気さくで、はきはきと率直に物を言った。その素直さ無邪気さが好ましく、眩しかったのだ。初めの内は。
「はじめまして。マリカです!」
独特のピンク味を帯びたブロンドに、晴れた春の空のような色の大きな目。
まるでお人形さんみたいな器量よし。それでいてこの十五歳は、存外頭もよく回った。つまりは先の奥方様とは正反対でいけばいいと、直感的に知っていたのだ。
だから間違わなかった。
「お館勤めは、平民の娘の憧れです。夢が叶ってとっても嬉しいです」
西の辺境伯家エルンストは武門の雄だ。実直さをこそ尊ぶお家柄。
飾った言葉を上品に連ねるよりも、野暮ったいくらい純朴である方が万事に受けはよかった。
「目一杯励みます。せいいっぱいお仕えします」
そして辺境の地にあっては、身分よりも働きぶりに重きが置かれる。
実力主義の家風は、やる気のある者には寛大だった。
第一印象は完璧だった。目をキラキラさせて素直な挨拶をしたマリカは、初手から誰にもいい子だと思わせた。大成功だ。
「だいたい、お館様のお手付きなんて、狙うワケないし~」
休憩時にはこう公言して、早々に周囲の警戒を解くことにも成功した。
他愛ないお喋りにも常に誰かが聞き耳を立てていたから、わざとお目付け役達に向けて聞かせたのだ。
館での主戦力は、サルダーニャ以下数名の侍女達と実質メイド長のイヴだ。
特に侍女メイド達の人事権を一手に握っている侍女頭サルダーニャは、新参者の言動には神経を尖らせていた。働きぶりはどうか、仕事の合間には何をしているか、仕事以外ではどんなことを喋っているのか。
マリカのすべての一挙手一投足が報告されていた。
「有り得なーい! だって、いったい幾つ年が離れてると思うの?」
コロコロと幼気な子供の顔で笑って、マリカはまず身近な先輩メイド達に無欲を印象付けた。お目付け役達に『やる気はある』し、『働く気で来ている』と誤認させることで、主力侍女達をも油断させた。どうやらお館様への下心は持たないらしいと、肩透かしを食わせることができたのだ。
これで絶対評価者サルダーニャからも一応の合格判定を引き出したことになる。
第一関門の基礎評価を勝ち得たマリカは、侍女頭の要注意人物の範囲から外れた。
「あら。もしかして悪いことを言っちゃった? でも私、何も間違ったことは言ってないでしょ?」
しかし同時に、マリカは野心のある若い侍女やその見習い、一部のメイド達からは本能的な反感を持たれた。お館様狙いの競合相手としては数に入れなくても、無意識下で排除すべき異物、危険物だとは察知されたようだ。半ば反射的にマリカは敵視され、『嫌いな女』として共通認識された。
こういう女の勘は、往々にして外れない。
「まあ。気を悪くしたらごめんなさい。私って嘘が言えないの。思ったことをそのまま言ってしまう。正直な性分なのよ。だって平民ですもの」
じきに若者達から絶大な人気を得るに至ったマリカは、一方では同性を苛つかせる名人でもあった。「なんかキライ」という女性達の素朴な直感は当たっていた。
いつでも何でも正直、でいいはずがない。
大勢が働く職場なら猶更だ。嘘は方便。時には潤滑油の役目も果たす。
それに本当のことを言わないからと、いつもそれが不誠実とは限らない。
どだい言葉にしないことには、しないなりの理由があるのだ。あえて口に出さないだけ、あえて聞かないだけで。
だから心を偽らないと豪語するマリカの言動は、常に無神経すれすれだった。
ごく当たり前に、まるで息をするように周囲の人間の神経を逆撫でする。
マリカは自ずと疎まれていった。
特に同じメイド仲間からは総スカン。激しく嫌厭された。
マリカが同僚達と仲良くしているところを、誰も一度も見たことがない。
またメイドに限らず、館で仲の好い同性はいなかった。ここまで徹底しているのも珍しい。
何故か腹が立つ、カチンと来る。同性間の生理的な嫌悪感というのは、正鵠を射るものだ。周囲との些細な摩擦は、マリカには日常茶飯事だった。
私を嫉んで当てこすりを言われる。妬まれて、意地悪される。
事実なのか被害妄想なのか。微細なのか甚大なのか。いずれ根元を改めないから、際限もない。マリカは下層メイドふぜいに嫌われても痛くも痒くもなかったのだ。
どの道、大した相手だとは思っていない。誰に何を言われようと平気だったのか。
しかしまた、マリカは対処の仕方も巧みだった。
叩かれる度にマリカはうまく周りを、主に男共を巻き込んだ。男共を盾にして、上手に身分のない弱い立場の自分を擁護させていた。女性達とは裏腹に、男共には無邪気で素直だと持て囃されていたから、お茶の子さいさいの容易さだったのだ。
コツはわかっていた。決して自分からは反論しない。言う口はあっても使わない。ここは徹底してブレなかった。必要とあらば一粒か二粒、涙も流して見せる。だが大泣きはしない。やり方と効果をよく心得ていたのだ。
摩擦の中身そのものは何ら関係なかった。自分が被害者に見えればいいのだ。
激しく詰る館の他の女達が、加害者だと映りさえすれば。
罵倒にもじっと耐える、健気なマリカ。
その姿が純粋に見えれば尚よい。賢いと思われる必要はなかった。
だがマリカはバカではなかった。決してバカなんかでは。
可愛いマリカ。館の皆(同性は入らない)から愛される人気者。
あの頃、貴賤を問わず武官文官末端の下働きに至るまで、マリカは多くの異性を夢中にさせていた。特に、館の若い騎士や騎士見習いを悉く虜にした。
何よりマリカは、それをよく知っていた。状況を、自身が占める立場を。
そして使えるものは何でも、誰でも使った。
イアルだって都合よく使われていたのだ。途中までは。




