手始めに(2)
「……ぐッふッ」
――うへえ。
半端ねえな。そいでもって鮮やかだ。
ラウルはランスのヘマとて忘れなかった。
エヴァンが来るや否や、ラウルはきっちりランスをシメた。
まず横面を張り倒し、間髪置かずに目も覚めるような蹴りを一発お見舞い。
それほど上背はないのに若い大柄な体躯をふらつかせ、盛大にブッ飛ばした。
(やっぱオッサン、場数が違うわ……)
イアルは噂に聞くラウルの蹴りを、初めて目の当たりにした。
騎士見習いの中でもやんちゃなのは、目に余ればラウルから教育的指導で拳骨をもらったりする。ただラウルなりに手加減するようで、滅多に蹴りは出ない。
「――追って、沙汰がある」
「っっ……申し訳ありませんっ」
ランスの声がくぐもっていた。歯とか折れてないだろうな。
だがすぐさまランスは立ち上がり、体を折り曲げ平身低頭で抗う意思のないことを示した。その謝罪さえ、もう遅い。まんまと旧知のゼノの陽動に引っ掛かり、敷地内へ不審者の乱入を許してしまったのだ。秘匿の客を、秘匿しきれなかった。
大ポカである。
――こいつは来月から、西海の塩田行きかな。
ゼノと入れ替わりで送られる可能性が高いと、イアルは見ていた。
ゼノ同様に、製塩従事の現業に回されるだろう。騎士団員なら普通は管理監督業務だ。だが、それでは示しが付かなくなる。
製塩は西海衆との大事な共同事業なのだ。いわば辺境領には生命線。
西海衆と半数ずつを出す取り決めのその管理監督業務に、まさか辺境領が懲罰対象者を充てるわけがない。
管理監督の立場で行っても、しんどい仕事だ。
滅多に雨が降らず、ほぼ通年で灼熱の炎天下。冬場でも辺境領の真夏並みに暑いと聞いた。それだけでもキツイ。
おまけに気苦労が絶えない。製塩従事の人間達は、皆とにかく気が荒い。
大量の海水を汲み上げては攪拌する重労働だ。自ずと逞しくなるし、団結力も強くなる。熟練者ほど発言力が増すから、反抗心の方も旺盛だった。
しかも若い騎士はタダでさえ舐めてかかられる。ランスは精神的にもつだろうか。
ちなみに、同じく警備を兼ねた管理監督でも先住の西海衆の方はあまり面子が変わらないそうだ。ほぼ古株ばかりの構成で、それなりに尊敬もされている。
他方、辺境領から遣られるのは圧倒的に若い騎士だった。特に腕自慢体力自慢の屈強な者が選ばれるというが、赴任したての若造になど誰も従わない。
なかなか強烈な洗礼を施されるものらしく、頑丈なのでも神経を擦り減らした。
戻る頃には、大抵の者が肉体も精神も憔悴しきっているのだった。
西海できっちり塩田の仕切りをこなせた人間を、イアルは一人しか知らない。
粗暴な連中を束ね上げて、西海衆からさえ一目も二目も置かれて帰って来たのは、おそらくラウルくらいである。先の奥方様の騒動の後、副団長を外れたラウルは西海へ行った。そこでさらに箔を付けて、辺境領に復命したのだ。
――優秀なヤツだったのに。幼馴染だから、ランスはほんの一瞬気が緩んだ。
それでコロッと騙されたのだ。一面でランスは、情に脆いヤツでもあったのだろう。ゼノに対するのとはまた別の意味で、イアルは同情を覚えた。
ゼノが館から出される時、ランスだけが裏門まで送ってやった。
領から追われる時にも、こっそり船着き場まで見送りに行ったはずだ。
身内以外の人間は、ランスくらいではなかったろうか。
上に知れたら覚えめでたくなくなるから、騎士団では他に誰も同行しなかった。さんざんゼノにタカって奢らせていた連中はみな涼しい顔で、まるで知らんふりを決め込んでいたのだから、決してランスは悪い人間ではないと思う。そういう器用ではない律儀さも、どこか惜しい気がする。
自分ならどうしたろう?
同じ状況になったら。たとえばイヴ。有り得そうにもないけど、もしイヴが何事かを仕掛けてきたら。俺は陥穽には落ちないぞと、断言なんてできるだろうか。
(いや、ないな。イヴなら嵌める前に俺をぶっ潰す)
それに引っぱたかれる。アホか。こんなのに引っ掛かるな、未熟者ッ‼
そう一喝されて沈没。いとも簡単に終わり、だ。
――莫迦なヤツだ。
残念ながら、イアルはランスについてはそう考えるしかなかった。
それに――ココに居たのが俺じゃなかったら、ランスはあんなポカしなかったんじゃないのか。
この家に残ったのがイアルではなくおっかないラウルだったら、ランスは死んでも指示を守っただろう。万年第四隊所属のイアルへの侮りがあったから、迂闊にも持ち場を離れたに違いないのだ。
(いくら俺がヘボ隊所属でも、俺に加えてラウルのおっさんまで張り付かせてるんだ。現役騎士を二人も置くんだぞ? 気を抜いていい現場かどうかくらい、ちょっと考えればわかるだろうに)
内情を知らない部外者ではない。ランスは生え抜きなのだ。
ラウルが関わることのの重要性だってよっく承知している。やはりうっかりが過ぎたろう。
(所属とか階級とか地位だとか。見掛け、つうかぱっと見だけの形式に、みんな振り回され過ぎじゃないのか?)
しゅんと萎れて項垂れたまま、結局ランスは警団と一緒に城下へ返された。
その後ろ姿を見ながら、イアルは無理矢理自分を納得させた。
(ゼノの岩塩鉱行きを思えば……。まだ西海は温情の内なんだ……)
その時イアルは、自分の前任者――姫君の元護衛騎士が志願して塩田へ赴いた事を、綺麗サッパリ忘れていた。
入れ替わりの立ち番には、ランスよりもっと大柄なエヴァンが就いた。
いつものことだが、エヴァンが守衛に立つとえらい威圧感だった。
さらに気も良いヤツでもあるのだが、恐れをなしてか犬の仔一匹寄って来ない。
エヴァンは性情いたって温厚で、むしろ小心者なくらいなのだ。
普段は虫一匹も殺さない、心優しい男である。なのにデカすぎる体躯と熊のような見た目に圧倒されて、盛り場でも滅多に絡まれたりしない。いかにも柄の悪そうな眼付きの悪い連中が、一様に避けて通る。
「後は……アレ、か」
ラウルが顎をしゃくった。その示す先には、野良猫が鎮座していた。
「ケッ。また、しち面倒くせえのが……」
チッ。ラウルは忌々しそうに舌打ちする。
マリカは居間に留め置かれていた。きちんと椅子に座らされ、この家の主であるゼフィネさんの監視下に置かれている。すぐ脇で、いたく冷ややかな視線でもって見張られていた。
「女子供が相手じゃあ、手荒な真似もできねえしなあ」
ラウルはブツブツぼやいていた。ラウルは女を殴らない。イアルもそうだ。
たとえ腸が煮えくり返ろうとも、絶対に女性に手は上げない。
それは勿論、女性は守るべしという騎士団の行動規範でもあるのだが、同時に西の辺境領の鉄の掟でもあった。この地では、女に手を上げる男は男ではない。
少なくとも、まともな男扱いはされない。ここはそういう土地なのだ。男は掃いて捨てる程いる。暴力男では見向きもされなくなる。
マリカは特に縛られてはいなかった。
身体検査は既にゼフィネさんが済ませていた。特に刃物などは所持していなかったらしい。両手首くらいは拘束しておくべきなのだろうが。まあどうせ逃げられない。体のいい軟禁だ。
(俺等――今日は昼もまだだったな)
ゼフィネさんも姫君も、今日は皆して昼を食べ損ねている。
イアルは空腹さえ忘れていた。
マリカが上目遣いでゼフィネさんをちらちらと見る。三年ほど前と同じように。しばらくそうしていれば、以前のようにゼフィネさんがぷっと噴き出し、ご機嫌を直してくれる。そう信じてでもいるかのように。
――可愛いマリカ。
そう呼ばれていたのも、そう思われていたのも、過ぎた昔だ。
マリカ。今更、お前は何をしに来た?




