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黒髪の寵姫  獅子伯年代記Ⅰ    作者: vientoverde
第十五章 日々の終わり

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鳩を飛ばす日 ~乱入者(くせもの)はマリカ


 「久しぶり! イアル、元気だった⁈」


 朗らかな声が響く。


 ――なんでまだ、こんな風に呼べるのだろう。


 その生き物は人の形をしていた。動く。喋る。人間で、しかも若い娘だった。

 見覚えのある独特な髪色は、ブロンドと区分していいのだと思う。赤みを帯びたその色は、光線の具合でピンクにも見えた。

 大きな目は明るい水色。かつて「五月の空のようだ」と持てはやされた瞳だ。

 そして聞き馴染んだ高い声。イアルや辺境領の若者達の胸をザワザワと乱して、時に掻き毟った甘い抑揚。


 この生き物を、確かにイアルは知っていた。


 しかし、未だにひとつもわからなかった。

イアルを無作為に傷付けられた理由。無自覚なまま無邪気でいられたワケも。


 そして何故、今頃になって現れるのか。


 (しかも笑ってる――)


 以前は胸をときめかせたであろう晴れやかな笑顔。たぶん変わっていないのだ。しかしもう、イアルは違和感しか覚えない。

 何で笑える? 今この瞬間にも、まるで昨日の今日みたいに平気でイアルの名を呼んで。どうして一切、何事もなかったかのような顔で、また親し気に話し掛けることができる?


 だが、溢れ出すあらゆる感情の波を職業的な危機感が凌駕した。


 何より。現実に、どこから湧いて出たのかがわからないのだ。

 だから感傷よりも驚愕、さらには恐怖が上位に来た。依然イアルもラウルも把握していない隠し経路でもあったというのか。手練れの騎士達の裏を掻いて、まるで自分の家の庭のようにかくも容易く侵入してきたと?

 

 ――ド素人に過ぎない、たかが一般人の小娘が、か?


 たぶんこの問いが、懼れが。イアルを動かしている。


「いやあね。女の子に剣なんて向けて!」


 植え込みを突撃してきたその自称「女の子」は、全身が枝葉まみれだった。

頬に土まで付けている。人間の娘というより猫みたいな印象を与える。

それも野良猫?


「もう、イアルったら! いつまで剣を抜いてるの? 早くソレ、しまってよ。

それに、なんでそんなコワい顔しているの?」


 可愛らしくふくれ面を作って見せながら、野良ドラ猫は指で顔の土を拭った。

華奢な腕が髪から服から、何度も何度も小枝と葉を振り落とした。

 その度に祭り着らしい、派手な三段襞飾りのスカートが揺れた。

記憶通りに小柄で細身で、抱きしめたら折れそうに思えた体は、あれからさして背が伸びなかったみたいだ。

 頭の片隅で、イアルは意外に冷静に観察できている自分に驚く。


(よし。なんとか――平常心に戻れてるな、俺)


 確かに動揺はした。しかし徐々に治まった気もする。

それに慄いたのは侵入経路になのであって、自分の意識の中では確実に危機感の方が大きい。未整理でグチャグチャな個人的感情より、脅威を識別して備えんとする職業的意識が勝っていた。


(別に特段……危険は迫ってない。姫様は無事だ。今のトコ、大丈夫。だな?)


「あっ! ゼフィネさんっっ」


 何事かと異変を察したゼフィネさんが、裏口から出て来た。

片手には鳥籠。非常時連絡用のあの鳩だ。ゼフィネさんはイアルの剣を確と見た。


「ゼフィネさあんっ! 私! 私です‼ ほらっ。マリカですよっ?」


 ――マリカ。


(なんでだ? 何でまたこんなところに現れる?)


 自己申告するなり、マリカはパッとゼフィネさんに駆け寄った。

「目上の人間に対しては、許しがない限り自分から話し掛けてはいけません」

 新旧侍女頭と館の先輩達にあれ程たしなめられたのに。きれいさっぱり忘れたらしい。


「お久しぶりですう~! 来ちゃいましたあ」


 ――来るなよ。


 即座にツッコめる醒めた自分に、イアルはまたも驚く。

 マリカはぶつからんばかりの勢いでゼフィネさんに抱きつき、すぐさま人懐こく上体いっぱいでその腕にしがみ付いた。

 三年前なら可愛く見えた動作なのかもしれない。だがもう十五歳じゃない。

十八になる女性としては、著しく不適切な行為だった。無意識を装い、身動き取れないように拘束に掛かってるのかと疑いたくなる。意図的でないとしたら、幼稚なだけだ。


「あなた……」


 ゼフィネさんは反射的に空いている方の腕を上げた。籠の中の鳩が怯えて、暴れた。


「どうして。ここへ?」


 その声は冷え切っていた。これで歓迎されていないのを悟れないなら、その神経はどうかしている。さらに無視できるとしたら、図太いどころではない。


「ゼフィネさんてば! ちっともお返事くださらないんですもの!! 

あんなにお手紙書いたのにっ。やっと伝言が届いたと思ったら、絶対に来ちゃダメ‼ なんて。もう、可愛いマリカにツレなすぎですよ。ゼ・フィ・ネ、さんっ」


「………」


 ねっ? 畳み掛けるマリカに、ゼフィネさんは終始無言だった。

無理もない。押し掛けて来たのは、正真正銘招かれざる客である。


「――イアル」


 自分で「可愛い」とか言うなよ。恥ずかしいだろ。イアルが場の緊張にそぐわない感想を抱いたところで、ゼフィネさんの顔からすうっと表情が消えた。

 イアルは瞬時に気を引き締めた。ゼフィネさんが鳥籠を高く掲げる。


「合図を」


 イアルは一瞬だけ柵の方を見た。ゼフィネさんもまた同じ先を追認する。

持ち場を離れかけた代理騎士約一名。それに不審者(男)が一人。

 ゼフィネさんの眼が吊り上がった。その視線に晒されたその約二名は、どちらも恐怖に凍り付いたかのように固まっていた。


「………?」


 マリカには、予想外の反応だと思えたらしい。


「ゼフィネ、さん……?」


 いや想定外の展開、なのか。

強張った表情のゼフィネさんと鬼の形相のイアル、それに抜身の剣。

 マリカは落ち着きなくキョロキョロと二人の様子を交互に見た。


 その時、姫君がスッと立ち上がった。

姫君はぱさりとスカートの裾を一度だけ、優雅に払った。そしてふわりとスカートを踊らせて、素早くイアルの後から跳び出た。

 そのまま流れるように、ゼフィネさんが死守する鳩の鳥籠を受け取る。

 非常時なのに。こんな状況なのに。スカートが広がる様はまるで花弁が開くようだと、イアルは見惚れてしまった。


「……え?」


 両腕が空くなり、ゼフィネさんはガッチリと抱え込むようにマリカを捕まえた。滑らかな連携だった。それ以上の動きを封じられたマリカだけが戸惑っている。

 姫君は躊躇わなかった。もう乱入したマリカに姿は見られてしまっている。

迷いなく鳥籠を開けると、姫君は高く腕を掲げた。そして鮮やかに鳩を飛ばす。

 鷹狩のような足環を貰った白い伝書鳩。

赤い糸を結んだか弱い鳥は、すぐに上空高く見えなくなった。



 「―――……え?」


 ゼフィネさんに何ごとかを言いかけたマリカは、怪訝な顔をして姫君を見た。

気付いてはいたろうにそれまで存在を頭からまる無視していたのを、さも今気付きましたという風にあらためてじろじろ見た。不躾なくらいにまじまじと、それこそ上から下まで。ヤマアラシが全身に針を逆立てて天敵を視る時、こんな具合になるのだろうか。


(こんな顔。してたっけか――?)


 決して好ましくはない。可愛くもない。美しくもない。絶対に愛らしくなんかもない。 


 これはイアルが見たことのない顔。何なら知らない人間に見える。


 ――こういう顔もできたのに、見せないようにしてたのか。


 恣意的に隠していた、見せずにいた顔なのか。


 「―――……あんた、誰?」


 おまけに言葉遣いまでぞんざいだ。

 いつだって幾分舌足らずに「あなた」と呼び掛け、お行儀のよい言葉選びをしていたはずだ。あれはかなり作為的な努力の結果で、マリカは相当に苦労して淑やかさを装っていたのだろうか。


 (誰か、だと?)


 それはこっちの台詞だ。

怒鳴り付けそうになる自分を、イアルは苦心して抑えた。


 マリカ。なんで、なんだってお前が、ここに居る?




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