有能ゆえに、イヴは嵐を予感する(3)
「まったく。神経ないのかってくらいの厚顔無恥だわね」
サルダーニャは残りの薬草茶を啜った。侍女頭もここの方が話しやすいらしい。
「まさか……その話、受けたりしてませんよね?」
「まさか。ひとまず保留、てことでお引き取り願ったわよ」
「は? 検討するんですか⁈」
「は。そんな余地ある?」
サルダーニャは不敵に嘲笑った。
「あくまで形式的措置。即時却下だと帰りやがらないから一段階かましただけよ」
決まってるでしょうが。サルダーニャが冷静なので、イヴも落ち着こうとした。
ちょっと頭に血が上り過ぎたかもしれない。深呼吸で整えてみよう。
「じゃあ。保留とは方便ですね?」
「もちろん追い払う口実。本当なら門前払いしたいところだけど。まあ適当な日数も置いたし、あらためて家宰殿から穏当にお断りいただいた」
「そうですか――」
ようやくイヴは安堵の息を吐いた。
アレ。毒虫女マリカには、自分達はロクな思い出がない。アレとアレにまつわる諸々は館中、辺境伯家中が忘れてしまいたい悪夢だろう。
(いったい、今更どの面下げて来るつもりだったって……⁈)
有り得ない。
結果的にせよ、先の奥方様が辺境領を去ったのはアレのせいである。
離縁される原因は自分で拵えたにせよ、彼女を抜き差しならない立場に陥らせ、あわや身の破滅という寸前にまで追い込んだのは専属メイドになっていたアレ。
マリカという毒虫だ。
かつて公宮の紅薔薇とまで謳われた美貌の大公姫は、確かに自ら墓穴を掘った。
しかし今在る憂き目にまで墜とされたのは、他ならぬあの性悪の所為なのだ。
アレを正夫人付メイドにしたのはサルダーニャではなかった。
見た目がお人形みたいに可愛いのにいつまでも洗濯メイドでは可哀想だと、大公姫自身が専属メイドに指名した。人手は足りていた、メイド服を特注で拵えてやったくらいだから、人形遊びの延長みたいな感覚だったのだろう。
サルダーニャは止めたはずである。古参の侍女達だっていい顔をしなかった。
「お前はわたくしの侍女にはしない」と断られた手前、イヴは口を挟まなかった。
だが「あーあ。もう知~らない」と遠巻きに心配くらいはしていたのに。
それでも危機感を抱かなかったのだから、脇の甘い大公姫は自業自得ではある。
アンタどこに目を付けてたんだよ? 今でもイヴは歯痒く思う。
脳筋バカならともかく。せめて同性の自分等は見抜けねばならなかったのだ。
浅ましくもアレのド性根が腐り果て、おぞましく剥げ落ちていたことくらいは。
だが人を見る目が節穴だったのは、何も先の奥方様だけではなかった。
可愛い可愛い花祭りの冠娘。ニッコリされて、いちコロリ。
引っ掛かった男共は一桁ではすんでない。アホかよ。
(目隠し耳栓、アタマにはおが屑でも詰めてたんかい?)
イヴ的には、あれは自発的に望んで騙されに行ったんだろと思っている。
まさしく自己責任。それしかない。
アホ共の代償は高かった。鼻の下を長くしたアホバカ脳筋は残らず館を去った。
だが同時に辺境伯家の方も、正夫人の醜聞に付随して少なからぬ人的損失を被ったのだ。辞めさせた中には、さあこれからと期待した若者達だっていたようである。
騎士も文官も見習いも下働きも、せっかく育成したのに元を取れない内に手放す破目になったのだ。十人以内で収まってたんだろうか。
切りたくもないのに失った惜しい人材だって、幾人かはいたみたいだ。
つくづくイアルが連座を免れてよかったと、イヴは思う。
脳筋でも不器用でも、素直なのがイアルの取り柄だ。たとえ耳に痛いことであっても、ちゃんと聞く耳を持つ。だから運よく、すんでのところで間に合ったのだ。
ホント偶々。僥倖。間一髪だった。
「だから間違っても、再びアレが来ることはない」
私の目が黒い内は、二度とこの館に害毒は入れない。
サルダーニャは力強く請け負った。イヴもしっかりと頷く。
「ただ――何かイヤな気がするのは、何でわざわざこの時機にってことなのよ」
そこはイヴとて同意見だ。微妙な気色の悪さが拭えない。
何故、お館様が姫君を連れていらしたこの時に。用心に越したことはなかった。
「……過ぎたことを言っても仕方ないけれど。あの頃、何とか――もうちょっと、どうにかならなかったかと思うのよね」
冷徹なはずのサルダーニャが、珍しくもたらればを口にした。
イヴだって同じ気持ちだった。先の奥方様が引き起こした一連の騒動は、後味が悪過ぎた。
露見さえしなければ。最低限、表沙汰にさえならなければ。
どうとでもやりようはあったのだと思う。水面下で収拾できたなら、誰も深手を負わずにすんだ。イヴ達だって殺人的業務量に追い立てられることもなかったろう。
対外的にさえ取り繕えれば――お館様達の夫婦仲だけは、修復しようがなかったかもしれないが。けど、そんなのは些事だ。まあうっかり懐妊してたら、嫡出推定の裏付けとかが面倒だったかな。
(別に、大公姫を好きだったわけじゃないけど)
ちっとも好きじゃない。ハッキリ嫌いだった。それも大幅に大よりの嫌い。
とは言え、イヴは酷い目に遭って欲しいとまでは思わなかった。
好き嫌いがくっきりハッキリしているのもイヴの身上だが、本来、嫌うにしてもあっさりしている。憎たらしい! 汚辱に塗れて落ちぶれてしまえ! とか、まずイヴは考えない。距離さえ取れればそれでいい。視界から消えてくれれば、居ないも同じ。接点さえ無ければ相互不可侵でいられた。
それに、主家の不祥事は隠してやるものだ。
家の恥だからじゃない。道徳は関係なし。忠誠心とかの問題でもなかった。
自衛だ。まかり間違って主家が傾けば、失業するのは自分等である。
最終的には己の首が締まる方を選ぶ道理がない。
なのに、辺境伯家正夫人の不倫というきわめて慎重に取扱うべき繊細かつ重大な案件を、忠実であるべき専属メイド、アレこそが積極的に暴いてのけた。
人の口にだって、いかようにも戸を立てられたはずなのだ。
アイタタ極まりない醜聞が館の内外、果ては辺境領中へ燎原の火のごとく広まってしまったのも、アレの仕業。故意だ。少なくとも、イヴ達はそう見ている。
アレが何をしたかったのか、未だに動機は不明である。
大公家を憎んでいたのか、辺境伯家に恨みがあったのか。はたまた貴族全般に意趣返しをしたかったのか。今もってわからないが、知りたくもない。
(正直。大公姫が何処で誰と何してようが、興味なかったしなあ)
だから、浮気自体は別にどうでもよかった。
裏切られたとか口惜しいとか悲しいとか、先の奥方様に対してそんな情動は微塵もない。怒りも嘆きも、それなりの関係性が築けていないと湧いてこない感情だ。
お館様自身からしてそんなカンジだった。
嫁に情の移る暇もなかったんだなと、イヴは見ている。
夫婦という認識でいたかさえアヤシイ。しれっと祭壇に臨み、神の御前で厳かに契りを交わしはしたけれど、あのお館様が結婚の誓いは神聖だとか殊勝に考えたりするものか。天地が引っ繰り返ってもそれはない。
それこそ嘘も方便、神も方便くらいに思ってるのだから。
館の誰もが似たり寄ったりだったよなと、イヴは思う。
一年足らずしかいなかった先の奥方様には、当家に馴染む余裕も時間もなかった。鳴り物入りでやって来て、嵐のように去って行った。
それだけ。ただそれだけの女だ。
けど。せめて隠せよ。死ぬ気で隠すべきだったろ。
あんなだから毒虫メイドごときに付け込まれんだよ。
――獅子でもない雌猫ごときが、身中に毒虫なんぞを飼うから。
内々で収めることができたはずなのに、故意に大ごとにされてしまった。
たかだが個人間の痴情の縺れで済むはずの小火が、辺境伯家の面子の問題という大火事に拡大してしまった。もう大炎上だ。為に、辺境伯家は煮え湯を飲まされた。
それでも後の始末は進めねばならない。
燃え盛る醜聞を粛々と鎮火させ、平常温度にまで収束させる事後処理がどれだけ大変だったか。尋常ではない労度労力を費やされ、それ故にお館様以下辺境伯家は消耗したのだ。思い出すだに悪い夢のようだ。
「ともかく、あんたには承知しておいて欲しいと思って。何も起きないはずだし、何かがあっては困るけれど。それでも万一は起こるもの。私達はそれを嫌と言う程知ってる」
その通りだとイヴは思った。
この世は「もしかまさか」と「想定外」だらけ。
先の奥方様はまさかの昔の男と切れてなかったし、よもやソイツが輿入れにまで随行していた。そいで性懲りもなく関係を続けて、密会なんかすっから、想定外にもアレが大々的に暴露して晒しやがった。
どいつもこいつも、とんだ掟破りをやらかしやがったのだ。
「いざという時。事情を知っていた方がお互いすぐに動けるでしょう?」
「はい。承りました」
イヴは確と承諾した。
「いつも以上にしっかりお願いね。忙しいのをさらに忙しくさせて悪いけど」
「何を仰いますやら」
ハハハ。豪快に笑ってみせると、サルダーニャもつとめて明るく口調を変えた。
「さあ。鬱陶しい話はこれでお終い」
だがイヴは知っていた。極めて出来るがゆえに。
万一なんて、いつだって起こる。
敏腕だからこそ。イヴはよく心得ていた。厄介ごとは、常に外から来るのだ。




