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黒髪の寵姫  獅子伯年代記Ⅰ    作者: vientoverde
第十四章 収穫祭の夜

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今宵の肴はほろ苦チューロ (2)


「狸は――何がしたいんすかね」


 日陰の草。分不相応。誰に対して当て付けているのかと、ちょっと身構えていたイアルは心中で警戒を解いた。


「さあな。何を企もうが、どうにもならねえさ。だがな」


 ラウルはまたも穿った意見を述べた。


「このままシグルに子ができなかったら、話は別だ」

「―――……」


 先代のようになる――? 縁起でもない。ないのだが、よもやお館様にこのまま次の正妻が来ず、もしかまさかで跡を継がせる子を生さないまま急逝されたら? 

 それすなわち悪夢の再来になってしまう。冗談ではなかった。


(三年だ。三年も経つのに、まだ再婚相手が決まらない……)


 お館様の後妻探しが難航しているのは、イアルさえも知っている。

家とお館様自身に問題はない。だが大公家の手前を憚る貴族が意外にも多いのだ。おそらく新バカ大公では公国は続かない。皆、薄々そう考えてはいるはずだ。

 なのに成行きを窺っている。命知らずにも、バカぼん公がエルンストの獅子伯殿を挑発し続けている様子を。遠からず何かが起こり、既成の秩序に変動を来たす。

 それに積極的に加わる気はないし、火の粉がかからぬよう巧く立ち回りたい。

ひとまずはどちらにも与せず、雲行きだけを見守ろう。そんな家が大半らしい。


 ――だから、家宰殿は姫様を匿うことに決めたんだ。


 ひょっとしたら、前々から正式に後妻に迎えるべく水面下で動かれていたのかもしれない。それもあって、現状でもよしと判断したのだろうか。

 とにかく早いとこお館様に子を儲けて欲しい。この際、生まれて来るのが庶子だろうと構わない、いざとなれば後付けでどうとでもすると。


 事実、お館様が家督を継がれるにあたっては多少の細工をしたはずだ。

体裁上にもご生母と先代との婚姻関係記録を遡って整えた。ドミネ教会の坊主どもが率先して加担したと聞いている。それを恩に着せ、延々と辺境伯家から分け前を絞り取ろうとして、今日の関係悪化を招いたわけだが。

 

 エルンストの家宰としてのデルソト卿の本音が、聞こえてくる気がする。


(姫様なら……一応にもしっかり事前の身元確認は取れてたろうし)


 人格的にも何ら申し分ない。お館様に愛されて、すぐにも御子を授かるだろう。きっと強くて賢い子を産んでくれるはずだ。そしてお館様との子を、真っ当に育て上げるはずだと。


 よくも悪くも、母親とは子の人生を支配するという。

イアルにはピンと来ない話ではあった。平民の子ならさして関係ない気もする。

平凡な母親なら、特に賢母でなくても差し障りはないように思える。

 だがそれが高貴の家で、毒虫みたいな女なら? 先代の息子を産んだ側女達が皆出来た女ばかりだったら、あの後継争いの大混乱は生じていたか?

 

 家宰殿の思惑。辺境伯家を取り巻く今の情勢。そういうのはイアルもわかった。

気持ち的には理解もする。けど、そこに女性の幸せはあるのか?


 イアルはそこを問いたい。

 

(だって、姫様は幸せでなければならないはずだ)


 『アイシャ』――は、きっと本名ではない。お館様が与えたのだろう。

姫君は、お館様に新しい名前を貰ったのだ。別の人生を生きるために。

 

 本当の名前なんてイアルは知らない。けれど、このありふれた名前はエルンストの男にとっては特別なのだ。だって最愛を意味するのだから。


 そんな大切な名で呼ばれて、姫君はこれから辺境領で生きて行く。

 新しい人生。まっさらならば、幸せであるべきだ。


 イアルはそう考えていた。


 今の暮らしが悪いとは思わない。それなりに好きにお過ごしかもしれない。

ただ人目を避けて息を殺し隠れ住むようなこの状況が、当たり前に幸せだとは思えなかった。


 ゼフィネさんの隠居宅での生活がいつまで続くのかはわからない。だけど、別の人間として生きるのならば、別の暮らし方を用意してやるべきではないだろうか。


 そりゃお館様も心積もりはされてるだろう。ちゃんとお考えだってあるはずだ。

 是非とも考えてやらなきゃならないだろうよと、イアルは感じている。


(いくらなんでも……死んだことにしちゃうって)


 姫君に降りた死亡推定。そこはどうなんだろうか。

絶対にバレるとマズい。それはわかる。けど、ここまで徹底する必要あったのか?


 仮に何年も経って、世間が今回のあれやこれやをキレイにまるっと忘れてしまうとか。たとえば世の中そのものが変わって、隠す必要もなくなるとか。

そんなもしもが巡って来たとして、これじゃあもうやり直しがきかないじゃないか。こうまでしなくても、よかったんじゃないのか?


(それとも――姫様は実家や郷里には、未練なんてサラサラないのだろうか)


 自分から縁を切りたくなる実家。娘が亡くなっても弔いさえ出しそうにない家。

一度も誕生日を祝ってくれない、生まれて来たことを呪われるような家。

女の子を平気で異民族の中へ人質に差し出す家。

 蝶よ花よと育てられた娘ではないのは察してる。

あんまり恵まれた境遇ではなさそうだってことも。だけど。


 ――俺にだって、失くしたくないモノや戻りたい場所はあるよ。


 ここいらへんを考えると、イアルは胸が苦しくなった。

イアルにだって帰るあてはある。何かの時には気にしてくれる人間だっているのに。でも、ウチの姫様は違うみたいなんだ。

 気の毒で痛ましくて、イアルは胸がズキンズキンしてたまらない。


 (姫様はもう帰れない。死んだことにされたんだから。もう戻る場所はない)


 何もお館様が大公家への腹いせや意趣返しで、姫君を奪って来たなんて思ってない。二人がいつどこで知り合って、いつからの仲なのかなんて見当も付かなかった。けど帰れない、戻れない選択をさせてしまったのはお館様じゃないか。

 お館様はこんな若い娘さんの将来をガラリと変えてしまったのだ。

なら、相応の人生を用意してやるべきではないのか。

それが男の、大人の男の責任ではないのか。



 「あと、なあ」


 ラウルは最後のチューロを噛み砕いた。

目線で促されて、イアルは無意識に黒エールを注いでやる。

こんなに自然に反応してしまう自分がちょっと口惜しかった。 


「狸が押し掛けて来た時期が、どうにも気色悪過ぎるだろ?」

「え」

「わざわざシグルが姫さんに会う日だぜ? それも出掛ける直前に、狙いすましたみたいに来やがった」

「………」


 まさか。お館様の予定、ましてや秘密の行く先を狸が知るワケがない。館の他の者にしたって。


 『――なんで、騎士団の巡回予定が漏れている?』


 だが、この気色悪さには覚えがある。三年前がそうだった。

あの時、ギリギリでイアルは助かった。正直、首の皮一枚だったのだと思う。

おかげで第四隊でも遊軍でも、今も騎士団にいられるのだ。

 一方、無用心さが災いして、無自覚な情報漏洩で咎められた若者達が幾人もいた。彼等は正騎士になれず、軒並み騎士団を去ることになった。

同様に罪に問われて館を追われた者の数は、とても片手では足りなかったはずだ。


「――そいで、さすがにシグルも用心して自粛してるらしいぜ」


 お館様も、非常に残念がっていたのだという。

ものすごく姫君に会いたかったようで、夜更けにこっそり馬を出そうとした。

それで家宰殿達に阻止されたとか、されないとか。まあ、らしいと言えばらしい。お館様ならやりかねない。


「……って。そういうのは、ちゃんと当の姫様に説明しとかないと」

「だよなあ」


 珍しくイアルとラウルの意見が一致した。

想ってるだけでは伝わらないのだ。言わない事には。

 なんで黙って、言葉足らずに放置するのか。何かの試験でもしてるのかよ? 

おかしいだろとイアルは思う。愛とか情とかって、試すのではなく折れないように大事に大切に育むモンじゃあないのかよ?


「なら、姫様に」


 教えてあげなきゃ。イアルが言いかけるのにラウルが被せる。


「だから、それをお前から伝えてやれって」

「え? なんで?」

「え。いや、俺が言うのか? どんな風に?」


 おかしいだろ。俺が言ったら。

 まあ――おかしいのか。けど、俺が言うのだって。


「――明日、ゼフィネさんに相談してみます」


 こういう微妙で繊細な内容は、元侍女頭にお任せしよう。

 おうと同意したくせに、ラウルはまたも突飛なことを言い出した。



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