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黒髪の寵姫  獅子伯年代記Ⅰ    作者: vientoverde
第十三章 収穫祭の頃

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幸せなたんじょうび(2)


 「――あの家で、私が誕生日を祝われたことは一度もないのです」


 しかし姫君はまたも心臓に悪いことを言った。

何故か優しく微笑みながら、胸の底が冷えるようなことを。


「あそこでは――私は生まれてきては迷惑だったらしいので」


 連続の告白が衝撃的過ぎる。

ここで噎せずにミルクを飲み下せた自分を褒めてやりたいと、イアルは思った。


「誰が……そんなことを」


 ゼフィネさんは年長者として、何か言ってやらねばと思ったのだろう。

 そんな酷い言葉は忘れておしまいなさい。それを言った人間ごと。

記憶の海から抹殺してしまうのです。頭の中でまるごと消し去る。残骸すらも掃き出して、きれいさっぱり捨てておしまいなさいな――たぶんそういう類のことを。


「誰もかもです。ばあや以外は皆。あの家に引き取られてからは、ずっと。

お前の存在自体がとんだ災難だ、なんで生まれて来たのかと、決まり文句のように言われ続けていましたから」


 イアルは黙って拳を握りしめていた。

 

 ――どんな実家だよ? 言うか? 家の子に? 

 たとえ思ってても、子供に言うか? いい大人が? 


 孤児院でだってそんなことは言われたことがない。


 イアル達は季節ごとにまとめて誕生祝いをしてもらえていた。

といっても特別なことは何もない。贈り物はお祝いの言葉くらいだ。

あと食事の献立がちょっとよくなるとか、いつもより盛りが多いとか。その程度。

実にささやかなものだ。それでも祝ってくれたし、おめでとうとは言って貰えた。

 まかり間違っても生まれられて迷惑だなんて、子供心を無残に傷付けられたことはない。


「でも、もう私は二度とあの家に帰らなくていい。本当に……ありがたいことです」


『――アイシャは、決して郷には帰さん』


 お館様の宣言を、イアルは心のどこかで冷酷だと思っていた。

 帰れなくしたのは他でもないお館様だろう。なのにいつか帰してやるではなく、男の都合で絶対に帰さないと非情な通告をする。どこまで自分本位なんだよ。

 そう思っていた。


 そうではなかった。


 誰だって、一度くらいは里帰りしたいはず。故郷がいいはず。

それは勝手な決め付け、思い込みだった。姫君は違った。そうではなかったのだ。


「とても美味しいわ。シャール、どうもありがとう」


 二つ目のチューロを賞味して、姫君が言った。その様子は普段通り。

むしろ愉し気でさえある。


「それはようございました」


 ここまで無言だったシャールがごく自然に応えた。

何と言っていいものか。二の句を継げないでいるゼフィネさんやだんまりのイアルとは違って、シャールは誕生日というものに思い入れがない。


(俺もこいつも、自分の誕生日は知らないしな)


 二人とも冬生れではあるらしい。偶然に知り得た情報だ。

たぶんイアルは年が明けてから、シャールの方は年の終わり頃のようである。

だがそれがいつなのか、どちらも正確な日付を知り得ない。

 そして便宜上、館では仲良く同じ新年始まりの日を生誕日として記録管理されている。またシャールは、誕生日を祝うという風習自体にもあまり興味がなかった。


「お誕生日は――再来週、ではなかったのですか?」


 だが意外なことに、今日のシャールは僅かに動揺を見せた。

しまった……眼に、そういう色が滲んでいる。長いこと誕生日という概念さえ忘れているらしいのに、今さら他人の誕生日を気にするのだろうか。


 シャールは子供の頃に館へ来た。真偽の程は不明だが、お館様が視察先で拾ってきたというのが定説である、それが辺境伯家に召し抱えられるにあたり、使用人名簿を作るのにあれこれ聞かれて、ようやく生れ時期の当たりだけが付いたという。

 当時は、見習いの少年達は誕生月だけ給金に添えて気持ちばかりの祝福の護符を渡されていた。万事に大雑把なので、複数の宗教の中から適当に選ばされる方式。

 イアル達の場合は、それが一年最初の月だった。それがきっかけで、互いにたまたま同じ聖人の日生まれだと知れたのだ。まあ仮登録だけど。

 シャールは露骨に「は? 要らねえ」という顔をしていたっけ。


(そんなお前に、いったいどんな関心が? 何か準備の都合でもあったのか?)


 ――あ。そうか。そうだな。お館様関連だった。

 なら姫様の誕生日は、シャールの業務範囲内か。


「え、と。……姫様、お誕生日おめでとうございます」


 ありがとう。イアルがどうにか絞り出したぎこちない祝辞に、姫君はにっこりと笑ってくれた。




 「まさか、本当に何にもご用意していなかったの? よもやお忘れだったなんてことは……?」


 帰り際、ゼフィネさんとシャールはひそひそと玄関先で額を寄せて話し合った。

 実はこの時、平静を装うゼフィネさんは心密かに安堵していた。

お古でも心を込めて、刺繍とフリルで仕上げた贈り物が図らずもドンピシャで間に合ったからだ。


「いえ、それが。もう十日ほど後……と思っておられたようで――」


 ――そりゃダメでしょうよ、お館様。


 イアルでさえ頭が痛くなってくる。


『はあ……っ。アンタねえ』


 いつも自分に呆れて、溜息を吐くイヴの心境がわかった気がした。

今こそイアルも、同じ仕草で返してやりたい。


 今日たった一日で、イアルにわかったこと。


 姫君は十七歳。


(じゃあ……俺とは五つ違う。いや、それは昨日までで。今日からは四つ違い、てことか)


 それと。お館様とは実に十五歳の差になる。

 で、そのお館様だ。お館様は恋人には向かない。とてもロマンティックには適していない。年の離れた可愛い恋人の誕生日を忘れる男は、ダメだ。

 もしか忘れてなかったとしても、日を間違えるなんて論外。

 やっぱりダメ。ダメダメだ。


 結論。お館様は、お館様みたいな男は、姫様のような女の子には不向きなんだ。てんで合わない。


 敬愛して止まないお館様を、段々と前のように無心に慕えなくなりそうで。

それはイアル的には誠に由々しき事態なのだが、そこはあえて素知らぬ振りを決め込むイアルなのだった。



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