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黒髪の寵姫  獅子伯年代記Ⅰ    作者: vientoverde
第十三章 収穫祭の頃

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幸せなたんじょうび(1)


 「チューロならお茶より、ミルクがいいわね」


 ゼフィネさんは小鍋でミルクを温めてくれた。


「さあ、どうぞ」


 揚げ菓子とミルク。この地ではけっこうお約束の食べ方である。


「初めて……見ました」


 姫君は不思議そうにチューロとミルクを見る。


「……ありふれたおやつ、ですよ?」


 イアルにしたら、姫君の反応の方が不思議だった。

 特別じゃないのに? これは庶民の食べ物です。だから珍しい?


「油が貴重な土地は多いのですよ」


 ゼフィネさんが教えてくれた。姫君も頷く。当地では庶民の台所にも調理用ひまわり油が行き渡っている。イアル達にすれば当たり前の環境だ。けどそう言えば。


(ガキの頃には、まだチューロの屋台なんてそんなになかった……)


 思い出した。チューロを手軽に買えるようになったのは、三食食べられるようになったずっと後だ。さらにイアルの記憶では、おやつのひまわりの種にたいがい飽きてからだった。


 ――お菓子どころじゃなかったもんなあ。

 

 調理用もだが、かつては盛んだった石鹼製造に使う油も調達がままならなくなっていたのだ。

 代替わりの後継争いは、領内の農地を著しく荒廃させた。

麦畑、葡萄畑、オリーブ園。丈夫なはずのひまわりまでが立ち枯れたくらいだ。

目も当てられない有様だった。本来は手を打つべき領主家が揉めて、率先して荒らしているのだからどうにもならない。そんな不毛な時代が続いた。


 当主に就いたお館様は、真っ先にひまわり畑から復活させた。

毎年確実な収穫が見込めるからだ。英断だったと思う。じゅうぶんな人手が戻るまではと、やむなく優先順位を付けたのだ。たとえばオリーブ園はいったん諦めて、後回しにされたそうだ。すっかりダメになった樹々の代わりに、西海の島から健康な苗木を移植したのは数年遅れてのことで、オリーブ園は未だ復興の途上である。


 きっと視覚的な効果も大きいと考えられたのだろう。

ひまわりの花の海を目印に、逃げ惑い四散した領民達が帰り来るよう目論まれた。

 お館様の思惑は当たった。

お眼と同じ、あの太陽のような黄金色は、西の辺境領の希望の色になった。

ひまわりは世話をする働き手達を呼び戻して、種でその腹を満たした。

同時に種から絞った油が特産品の石鹸製造を復活させた。今では原材料・製品とも往時の生産量にまで回復したそうだ。



「さあ、たんと召しあがれ」


 小さなチューロを一つ。口に入れた途端、姫君は目をまん丸くした。


「ふふ。美味しい?」


 召し上がるのは初めてでしたか? 美味しいですよね、コレ?


「ミルクとよく合うのですよ。さあ、イアルもいただきなさいな」


 せっかくゼフィネさんが勧めてくれるのだ。勤務中は遠慮すべきだが、イアルもありがたく御相伴に与る。あ・甘っ。何味だろう? 思ったよりも甘かった。


「幸せの……味が、します」


 姫君はうっとりして微笑む。


 ――可愛い人なんだよなあ。


 ココロの中でだけ、イアルはぽつりとつぶやきを落とした。


(次の非番に……街に出たら、姫様に蜂蜜掛けのチューロを買って来よう)


 唐突にそう思い付く。蜂蜜がけならもっと甘い。ならもっと幸せな気分になれて、喜んでくれるかな。

 いつ貰えるかもわからない休みの予定を、イアルは今決めた。


 (こんな娘が一人いたら、さぞ家が明るくなるだろうに)


 いつも見ているから、イアルはそう思う。姫君の近くにいるとわかるのだ。

明朗溌溂、素直な性質でよく笑う。それに賢い。本来ならば自慢の娘だろうに。

何でご実家では不遇だったのだろう。まるでわけがわからない。


 大切に育てられるべき方のはずだ。そして誰だかの大事な人になる。婚礼の日を指折り数えて嫁入り支度をしている姫君の姿なら、イアルは容易に想像できた。

だがお館様と並んだ様を、まだぼんやりとすら思い浮かべることができない。


 無論、お館様は姫君の大事な相手なのだろう。

 しかし、お館様は? 未だ会いに来ないお館様は?


(お館様は、姫様の恋人か? 姫様を幸せにできるのか?)


 ダメだ。考えたくない。イアルの頭が拒絶していた。



「――私、今日で十七になりました」


 突然の姫君の告白が、イアルの脳内迷走を寸断した。


 ……えっ。


「あら」

「え」


 お誕生日、ですか。今日?


 ああ――それで。今朝、あんなに喜んでたんだなあ。


 ゼフィネさんが手直しをした祭りの晴れ着に、姫君は目を輝かせた。

すぐに着替えて、何度もゼフィネさんの前でくるくる回って見せた。


 ――可愛い人だなあ。


 今朝もイアルはそう思ったのだ。ひょっとして、少し前にお館様に仕立ててもらった高価なドレスより嬉しかったのではあるまいかと。


(現に今だって。あれからずっと着てるし)


「まさか、こちらでこんな風に誕生日を祝っていただけるなんて……」


 はにかみながらも感謝する。姫君はとても嬉しそうだ。 


 ――よかった。


 シャールが今日、それなりに凝った花束を拵えてきて。こんなこじゃれたおやつを仕入れてきて。たとえ偶然にせよ、ゼフィネさんが祭り着の直しを今日のこの日に合わせられて。


「ま・あ……ささやかではございますが。とてもご実家と同じようには行き届きませんでしょうけれど」


 さすがに場数を踏んでいるゼフィネさんが、咄嗟にでも無難に巧く返した。



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