出来るので。イヴの秘密は重くなる(1)
「お帰りぃ~」
その日。そこそこ気を良くして館へ戻ったイヴを、懐かしい顔が迎えた。
「アンナ……! 来てたんだ」
アンナはイヴと仲の良かった朋輩だ。
と言っても、アンナの方は出会った時点でもう侍女だった。初めから他領の他家で見習いとして侍女に入り、その紹介状を持って地元の領主館に転職してきたのだ。
ちょうど辺境領の治安が落ち着いて来た頃で、二人は数年間をともに働いた。
いちばん気持ちよく一緒できた相手だと思う。その後、アンナはいわゆる寿退職をして家庭に入った。現在、絶賛専業主婦状態である。もったいない。
「うん。サルダーニャ様が呼んでくれたの。それで久しぶりに繕い物の手伝い」
もっともアンナは時折古巣へ来ては、地味な仕事を引き受けてくれている。
繕い物まで手が回らないイヴ達には誠にありがたい助っ人である。
実際、急がずとも溜まれば困る類の仕事は多い。なのに誰も手が空かないから、塵も積もればで気付けば結構な嵩になってしまう。アンナは貴重な働き手だった。昔からヒトのやりたがらないことでも嫌がらず、地味なチマチマを黙々と片付けてくれる。変わらないその性分で、とてもとても助かっているのだった。
「助かる~。ありがとう! けっこう溜まってたでしょ?」
「ふふ。ちょっと間が開いたからねえ」
アンナはおっとりと笑った。
毒も棘もない笑い方。屈託はないのに迂闊ではない。互いを熟知しているからこそ見せられる、信用に裏打ちされた無防備な笑顔だ。
(ああ。いいな。ホント、ホッとする……)
何度行っても、ゼフィネさんの隠居宅は気が張る場所だ。
だいぶ慣れたつもりだし、本日は珍しくもお褒めにあずかり、足取り軽く帰路に就けたと思っていたが、やはりそれなりにくたびれていたらしい。
「あのう。姫君が家のことをなさってるんですけど?」
遡ること少々前。恐る恐るイヴが相談したら、現侍女頭はちょっと見たことがないくらいに慌てた。
(あ。これであたしのシゴトはあらかた終わったわ)
うん。もういいな。
気に病んでいる事柄というのは、人に話せた時点で半ば以上は解消する。
イヴの場合は報告即完了だった。助かった。
「姫様に家事やらせていいのかよ⁈」問題。
ゼフィネさん宅で目の当たりにして、イヴはクラクラと頭を抱えたが、次は期待通り実直なサルダーニャが悩み抜いてくれた。上司がうんうん言いながら考える様を見て、イヴとしては大いに肩の荷が下りた。
それで安直かつお気楽にもイヴは元気になれた。
すっかり心理的負荷が軽減したところで、侍女頭と種々の想定問答も重ねてみた。
そうして「とりあえず事態を静観しよう」という至極順当な案に到達したのだ。
サルダーニャ的には呻吟しつつ辿り着いた結論のようだが、イヴ的にはほぼ予想通り。だから唯々諾々と乗っかった。
要はしばらくは知らない振りで通そうという、ごくごく無難な方針に落ち着いたわけだ。サルダーニャは「ゼフィネ様」には逆らえない。そういう力関係である。絶対服従の師弟関係が、おそらくは一生続いていくのだろう。
しかし侍女頭として、サルダーニャはしっかり家宰度を巻き込む魂胆である。
折を見てさりげなく、世間話にでも混ぜ込んでおく腹だ。現実的な算段だと思う。主にお館様対策だな。後で「聞いてないぞ⁈」とか言われては堪らない。
イヴは侍女頭のこういうトコロも尊敬している。
責任は、実務者頂点にこそ取ってもらうのが妥当である。
二人を順にさんざ悩ませたその荷物を、今度は家宰殿に渡してしれっと預けてしまおう。サルダーニャはそういう心づもりのようだ。素晴らしい判断。イヴにしても大賛成だ。是非そうすべきだと思う。
今回の諸般の根元はもちろんお館様だが、諸事采配の大元は家宰殿。
ここから先は家宰殿に勝手に悩んでもらえばいい。そのための上役なんだから。
有能なイヴはすぐにも切り替えた。
とりあえず次の回に、手指用の軟膏を持ち込んでおいた。
これから寒い季節に向かう。こんなの、いくらあってもいい。たぶん自家製造とかできなかろうし。
「あら。気が利くこと」
結果は上々。
何かと厳しい前侍女頭ゼフィネ様から、控え目にもよきにはからえたなと褒めて取らされたのだ。こんなの滅多にない。耳を疑ったが、我ながら上首尾だ。
イヴは自分で自分を褒めた。
(よっしゃっ‼)
でかした、アタシ! 自画自賛に値する。
元上司の好みを覚えていたから、あえてイヴは香料が入らない標準品を買い求めた。同じものを、たとえばイアルが贖ったなら評価は真逆になるだろう。
「あーあ。これかあ……なんか残念。だけどモノ知らずでセンスもないからしょうがないか。無粋とか以前に他のがあるとは思わないんだよね。きっとコレしか目が行かなかったんだろうな」
とか思われるのが関の山だ。
が、イヴが選べばそれはさりげない気遣いを感じさせる最適品になる。
おまけに姫君にも非常に喜ばれ感謝されたので、イヴは大いに気を良くした。
だからいつもよりココロ軽やかに帰れたつもりでいた。
「ホント久しぶり~。て。うっわ。お腹、ずいぶん大きくなったじゃん」
もう動くよ。アンナはイヴに妊娠八か月のお腹を触らせてくれる。二人目だ。
「いいの? こんなお腹で出歩いて」
「いいの、いいの。じっとしてるより動いた方がいいし。針仕事とか手先を動かすのは尚良いんだよ。それにお館への行き帰りは荷馬車に便乗させてくれてラクチンだもん」
何よりいいお小遣い稼ぎになるしね。
アンナはペロッと舌を出し、屈託なく笑った。
変わらないなあ。イヴはアンナに会うとほっとする。
少しでもアンナと喋れるとほっこりした。ひとえにアンナの人柄だろう。
「今日は、ダニーは?」
ダニーことダニエルはアンナの第一子。じき二歳になる。
すくすく育つダニーの成長を楽しみにしているのは、何もアンナや家族達だけではなかった。イヴ達もまたダニーが順調に大きくなり、幼児からアンナの手が離れるのを心待ちにしていたのだ。
殊に上司だったサルダーニャは、気立てが良く働き者のアンナには是非とも復職して欲しかったはずである。が、そろそろ声を掛けてみようという矢先にアンナの第二子妊娠が判明した。おめでたいと祝福した陰で、サルダーニャがガックリ肩を落としていたのをイヴは知っている。
「うん。ダンナが見てるよ」
ふっくらした微笑み。もともとぽっちゃりめだったアンナは、第一子を産んでも体重が戻らなかったそうでいっそうふくよかになっている。これも見ていると安心する理由のひとつだ。幸せ太り、そのまんまに思えるからだ。
――姫様は、もう少し肉が付いた方がいいな。
イヴは、ゼフィネさんの隠居宅に匿われている少女のまだ薄い肩を思い出した。
均整の取れた体付きで、ほっそりしている。ちょっと細すぎるくらいだ。
あれはもっと食べさせて、もそっと太らせないと。
(お館様だって、肉付きいい系のがいいんじゃないの?)
たぶんお嫌いじゃないと思う。
アンナのことを豊満な体つきで覚えておられたくらいだから。
お館様付侍女の候補にアンナの名が挙がった時、すぐには顔と名前が一致しなかったらしいのに、家宰殿が言い添えた「肉付きのよい侍女」でぼやあっとした印象が焦点を結んだみたいだった。「ああ。あの娘か」と、しっかり認識なさってた。
領主様でも当主様でも、お館様だって成人男性なのだ。そこらは取り立てて煩く言おうと思わない。イヴ達だってオッサンより、若くて可愛い男子に目が行く。
イキモノとしての性だ。




