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黒髪の寵姫  獅子伯年代記Ⅰ    作者: vientoverde
第十二章 縁を切りたい女達

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縁を切りたい女達


 「ひええ……えれえ世の中になったもんだ」


 しかしジョシュ爺さんの方は、どうにも重い腰が上がらない。

 もう早く帰れって。急かしたいのは山々なのだが、ぷしゅーっと毒気を抜かれたような爺さんの顔付きを見るとイアルも気の毒になってきた。


「こんな話……とても家ではしてやれん」


 独り言か? これは無視でいいんだよな?


「女房や娘や孫が真似したら困る――」


 おや? なんだ、何でもべらべら喋るわけじゃないのか。


「あの修道院が、そげなオソロシイとこだったなんて……っ」


 いや。果敢に挑戦したのはあくまで侯爵令嬢ナターシャ様なのであって。

あそこがないと困る女性達、もっと言うと生死に直結する人達だっているはずなのだ。そのために存在する場所である。


「――あそこはそういう場所なのですよ」


 ゼフィネさんが冷徹に宣告した。


 『駆け込み聖堂』聖ソフィア女子修道院。

 聖母に捧げられた聖母教会の頂点に立ち、何故か中原にある。しょぼい中原にあって、俗に燦然と輝く世の光だとまで言われていた。夫や婚家に虐げられる女性達の最後の砦。ドミネ教圏で唯一、聖ソフィアだけが女性をこの世の地獄から解き放ってくれる。天に召されるのを待たずとも、女性の意思で地上での離婚を合法的に成立させてくれるのだ。そんな場所は、世界広しと言えど他にはなかった。


「け、けどよお。ゼフィネ様。今の聖ソフィアには、聖女様と崇められるお方がおわすんだろ?」


 聖ソフィア女子修道院の長は、巷で聖女と称されている。

 慈悲深いからだ。聖母教会の修道女達は奉仕活動に熱心だが、ひときわ情け深い当代様がその傾向を加速させたとも言われていた。教養のある修道女達には、奉仕の一環として字を教えに随所を回らせるそうである。


 辺境領では当たり前にある、読み書きを教える教室は他所にはなかった。

当地では無料の教室があちこちにある。有料の私塾だってたくさんあるが、こんな状況は普通ではないらしい。最低限として自分の名前が書けないと子供を奉公に出せない、というのも辺境領独自の決まりらしかった。


「ああ。テレーゼ様のこと?」

「そうそう、修道女長のテレーゼ達だ」


 女子修道院の長なのにテレーゼ様は院長とは呼ばれていない。

修道士達が起居する一般修道院では院長が頭なのに、女子修道院に院長はいない。いるのは後見だけである。

 これには理由(ワケ)がある。国教会の定める、セコイ男尊女卑の象徴だった。

実質的な長であっても、序列では修道女長はヒラの司祭よりも下に置かれている。

 

 いかに歴史が古かろうと、女子修道院は格付けとしてはドミネ教会組織の下部に規定されている。それで全ての女子修道院は、その代表に男性司祭を戴かねばならなかった。形式上の「院長」相当の立場として、建前上は何事にも男性司祭の指示を仰ぐよう義務付けられているのだ。

 もっとも、その名ばかりの長たる司祭達はたいてい不在である。

 たまに巡回に来るぐらいで、現実にはほぼ形骸化した後見だ。何かの時に頼りにするのは「私達の司祭様」という美辞麗句が温存されてはいるものの、女子修道院の面倒を見たところで司祭側に旨味などない。よって大半の女子修道院は事実上、後見の司祭達から放置されている。


 『駆け込み聖堂』聖ソフィア女子修道院の場合だけが、特殊な事例である。

北の司教様というかなり個性的な後見役のおかげで、この頂点に限ってはだいぶ事情が違っていた。名物司教バルタザール殿は献身的かつ精力的に修道女長、母方の従姉であるテレーゼ姉上を支え、平素から各方面へ睨みを効かせている。

 そういう状態がもう何十年も続いていた。テレーゼ様もにしても、けっこうなご高齢ではなかったろうか。


「あの方もね。先鞭をお付けになったのよ」

「へ……⁈」


 あ。また過激なネタが出て来る。

 イアルはココロの中で頭を低くして身構えた。ホントは耳も塞ぎたい。


「テレーゼ様は元々は貴族のお生まれ。そして伯爵夫人だった方なの。貴族女性として初めて、離縁を求めて聖ソフィアに入られた方なのよ」

「えええ……っっ」


 ホラ、来た。


 何もかも初耳。イアルだって未知の話である。

 テレーゼ様以前は、聖ソフィアは庶民のための縁切り機関だったとゼフィネさんは言った。特に定められていたわけではなく、慣行として貴族は利用しないものと認識されていたそうだ。

 その暗黙の了解みたいな岩盤的風潮に、見事に一穴開けてのけたのがテレーゼ様だったらしい。


「もっとも……テレーゼ様の場合は、申立状を出す直前で和解されたのだけれど」


 ゼフィネさんはまた微笑った。この微笑はコワ過ぎる。


「え……」

「主家へ向けて申立状を送達する前に、元夫に伺いを立ててやった。それで元夫は素直に離縁に応じて、円満に別れることができた。おかげで伯爵は大恥を掻かずに済んだのね」


 素直に、って……だがゼフィネさんは温情でしょうね、とバッサリ斬り捨てた。


 貴族、それも高位貴族程、聖ソフィアから離縁状が来ると大ごとになるらしい。

男にとっては非情な屈辱で、家の恥にもなるそうだ。社会的な信用が、著しく失墜するそうな。


(辺境領でも、嫁さんを三回殴って捨てられた亭主は世間でまともに相手にされなくなる。おんなじなのかな)


 おそらくは半永久的な軽蔑と嘲笑の的になるであろう彼等を思って、イアルはちょっと考えてしまった。


(男って、地味に損かもしれない……)


 いや、勿論そういう原因を作る男がアホなだけなんだけど。


 世間一般的には――女は弱いとされている。ホントは違うけど。

 そいで男に守られる存在だと思われてる。謎に幻想で偏見だけど。

 だって女性の方が強い。だって男の息の根を止めるのは、大体が女性なのだ。

 

(恐えよな……。あのお館様でさえ、危うく寝取られ亭主の汚名を着せられるとこだったんだから)



「ナターシャ様はたいそう思い切った真似をなさったけれど」


 ゼフィネさんは朗らかに笑った。何でこうも楽しそうなんだろうか。


「つまり『駆け込み聖堂』から戦いを挑まれて、ナターシャ様が勝利されたことになる」


 それも公国への宣戦布告。しかもたった一人で。

 そこか。確かにそう考えれば痛快爽快だ。実際、見上げたものだ。その点ではイアルも同意する。損得なしに加勢した北の司教殿も凄いと思う。


「本当にご立派。天晴だわ。あれで先陣を切られたのよ。婚姻によらず婚約であっても聖ソフィア女子修道院へ行けば解消出来ると知れて、ナターシャ様に倣って『駆け込み聖堂』目指して駆け込んでくるお嬢様方が後を絶たないそうよ。たとえ娘盛りの貴重な二年を費やしてでも、その先の長い人生の為には悪縁を断ち切っておきたいって」

「ひ・ひ・え……えええ」

「―――……」


 ジョシュは青褪めていた。気持ちはわかる。聞いているだけで、イアルだって心臓がバクバクしてくる。


 ――確か、あそこで縁切りを申し出たら、そのまま見習い修道女として修養することになるんだよな。


 外出も許されず、世俗から分断されてまるまる二年をあの修道院の中で過ごす。そうすることで晴れて公に縁切りが叶う。そういう決まりなのだそうだ。いったん修道女の誓いを立てるから、髪も切るのかもしれない。姫君の髪も一度は短くした名残なのだろうか。


 しかし二年は長い。しかも妙齢女性ならば尚更、貴重な時間のはずだ。

げに絶賛適齢期。なのに。それでも。


 ――そんなにいるのか。婚約解消切望令嬢。

 ――そんなに嫌なのか。婚約者と結婚。


(……うへえ)


 そこまで嫌われるって。そんなになるまで気付かないって。

 どうなってんだよ? イアルはなんだか気分が悪くなってきた。


「ひえええええ……。えれえ世の中になったもんだ……」


 繰り返すジョシュの呟き。イアルも同感である。


(――その賢くもご立派で天晴なナターシャ様の。代わりになれると見込まれた方なわけか。ウチの姫様)


 なんか……スゲエな。


 もしか、未だしっちゃかめっちゃかの公宮を、姫様に立て直してもらおうとか期待されたんだろうか。確かに超賢いけど。しっかり者だけど。けどまだ十六、七の女の子だし。なんかメチャ振り過ぎないか? 

ゼフィネさんなら「寝言は寝て仰い‼」とか一喝しそう。 


「当代のテレーゼ様は聖女様。それにナターシャ様は、昨今では賢女様と言われ始めているのだとか」

「―――……」


 イアルは思った。貴族女性の行く手を阻む分厚い扉を開いて、婚姻等に適用される現法を婚約にまで拡大解釈させた女性達。ともに限界を突破して見せた先達達。

 親子の縁切りは、果たしてそれに続くのだろうか。


 聖女様に賢女様。

 円満離婚に物申す婚約破棄。

 けど、親子縁切りが一番キツイよな? たぶん、風当たりとか諸々も。


 『聖女』で『賢女』。そいで次が『縁切り娘』じゃあ―――あんまりだよ。



 この日も、やっぱりジョシュはイアルの胸をズキズキ痛めて帰って行った。




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