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黒髪の寵姫  獅子伯年代記Ⅰ    作者: vientoverde
第十二章 縁を切りたい女達

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侯爵令嬢ナターシャ・フォン・ブリゼ(3) それは野望か大望か


 「ひ・ええ……」


 ジョシュは泡を食っていた。驚愕する気持ちは、イアルとてよくわかる。

十年婚約してた女性にバッサリ捨てられる。そんな事象はできれば知りたくなかったし。


「さすがに公宮を揺るがしたようね。それこそ上を下への大騒ぎになったのだとか。誰も彼もが右往左往して、とても収拾が付かないような狼狽ぶりだったと」

「ひ、ひええ……」


 公宮のしっちゃかめっちゃかぶりについてはイアルも聞き及んでいる。

 新大公は就任一周年を記念する祝賀行事に西の辺境伯を招いておいて、度し難い無礼を働いた。目も当てられない。手痛すぎるヘタを打ったのだ。

 激怒して戻った随行達、具体的にはイーサンやエヴァンが詳しく教えてくれた。イアルも頭が沸騰しそうになったし、あれから我等がお館様は公都行きを凍結されている。まだ収拾なんてしてないのだ。


「じゃ、じゃあ。大公子に棄てられて地の果ての修道院へ流されたって――」

「ホホホ」


 ゼフィネさんは嫋やかに微笑んだ。もうこの笑みには脅威しか感じない。


「まあ必死で取り繕ったのでしょうね。大公家の頭ごなしに王家に物申されたのですもの。あるかなしかの面目でも見事なまでにぺしゃんこ。丸潰れだわね」


 ゼフィネさんはオホホと高笑いした。笑顔、コワ過ぎるんですけど。


 大公子時代から、シオンの資質が疑問視されていたのは事実である。

それが杞憂でなく妥当な危惧だったと、イアルでなくとも承知していた。 


「それに女性側からの婚約破棄だなんて、少なくともそれまで表面上では前例がないことにされていた。だから非常事態だとは認識したのね。大恥を掻かされたと、さぞ地団太を踏んだことでしょう」


 ――あるんだ。水面下じゃあ。


(なんかまだまだ、コワイの出て来る?)


 俺は聞き役に徹しよう。イアルは決意した。

 

「け、けど。侯爵令嬢があんまり性格キツイから、不甲斐ないバカ息子が逃げ出したくなったとかって――」

「ああ。あれ? 『性情に甚だ問題多し』――何かよく訳の解らない理由で新大公から侯爵令嬢に婚約破棄を言い渡したって噂よね。あんなのは虚言だわね」

「え、えええッ⁈」


 あの当時、侯爵令嬢への同情論が趨勢ではあったが色んな噂が飛び交った。

たぶんその一つだろう。


『侯爵令嬢が賢し過ぎて隙がなさ過ぎ、加えて性格もキツいから、耐えかねた大公子が安らぎを求めて可憐で優しい町娘に心惹かれた』


 とか何とか耳にした気がする。いたって陳腐な俗説だ。こんなの支持したのは、頭お花畑なイタイ連中だけである。


「そんなアホな理由で婚約をなかったことにできるわけないでしょう。仮にも国王が認めたお相手、王家が承認した縁組ですよ」


 あ、アホって――


 しかし一部で妙な納得のされ方をしていたのも事実だ。


『何かと出来る侯爵令嬢は何とも不出来な大公子には重荷だったみたいだ』


 男の僻み根性と劣等感が増殖し、自ずと心理的負担を増幅させたのだと。

主に、世間知や分別がある壮年以上の層で唱えられた推論である。


 それ以外にもかなり事情通風な、穿った意見もあった。いわく、


『あのままナターシャ様が正妃になれば、遠からず大公家の実権を掌握した。大公子はこのままでは家を乗っ取られてしまうと危ぶんで、難癖を付けてまで婚約者を遠ざけたのだ』と。


 そんな先が読めたら、そもそも婚約者に逃げられたりしないだろうとイアルでも思う。しかしどうやら大公子のこなすべき執務を陰で侯爵令嬢が代行しているという実態は、けっこう知れ渡っていたようである。

 つまり、それだけ彼女が優秀なのは衆目の一致するところだったわけだ。


「みんな嘘ね。十中八九、ではなくて十中十の嘘。しかも真っ赤な大嘘よ。きっと本当のことを公表するとあまりにも外聞が悪いから、後からのこじつけで新大公の方から婚約破棄して侯爵令嬢を捨てたと、何とか話の主体を擦り替えたのね。

おそらく事細かに話の前後や風聞なんかを捏造しているのでしょうけれど。

またずいぶんとつまらない見栄を張ったこと」

「………⁈⁇」


 身もフタもなかった。一応まだ大公家は当家の主筋のはずである。

どうやら当代大公の命脈は尽きかけている。もう先は長くないらしい。


(じゃ――あれもこれも、みんなガセか?)


 他にもいっぱいあった気がする。侯爵令嬢が婚約破棄された理由。

嫉妬して町娘を虐げた、数々の嫌がらせをした、恋敵の排除を目論んだ……等々。

 二大侯爵家様だぞ? やる気なら徹底的に跡形残らず消してたろう。やっぱあのへん、全部捏造か。


『その気なら、エステルごと一族根こそぎ闇から闇へ葬られてる』


 イアルのみならず、酒場の酔客達さえそう冷静に分析していたのだ。


 侯爵令嬢の謀略自滅説を真に受けたヤツなんていたのだろうか。

いたとして、一部の醜聞大好きな輩共くらいだろう。そういう考えなしの無責任な連中はごくごく一部なのに、声だけはでかい。それでいかにも主流であるかのように勘違いさせてしまうから始末が悪い。人はこうやって謂れなき汚名を着せられるのかと、実感させる見本である。


 ただどう言い繕おうとも、大公子から婚約破棄したと喧伝するのは悪手だった。


『あの大公子、大丈夫か?』


 身分違いの純愛ロマンスへの世の風向きが怪しくなったのは、大公子が侯爵令嬢との婚約破棄を公表したあたりからだ。あの時分から明確に潮目が変わった。


『あれ――頭おかしいんじゃないのか?』


 密やかに、だが徐々にではあれ半ば公然とそう囁かれ出したのだから。


 それまでは『健気な町娘エステルを擁護』する『初の平民出身側妃の誕生を、皆で応援しよう‼』派が、わりと無邪気に盛り上がっていた。

 それが、くっきりはっきりと二分され始めた。どこまでもおめでたい能天気な肯定派と蛮行にひた走る大公子の正気を疑う懐疑派とに。そして懐疑派が主流になるのに、さほど時間は掛からなかった。


「じゃ、じゃあ婚約破棄も修道院へに追放したっていうのも――」

「だから噓八百。虚偽よ。決まってるでしょう」


 なんでか俺等、怒られてる?


「だいたい話のくだりが怪し過ぎるでしょう」


 依然、ゼフィネさんの舌鋒は鋭い。


「婚礼目前に逃げられたという点だけでも良い恥の上塗りだから、バカな考え休むに似たりでも何とか捻りだしたのよ。とにかく自分達の体裁がいいように」

「えええ……っ⁈」


 ――この言われよう。


「勿論、そうなるまでにはそれだけの仕打ちを積み重ねてきている。それでナターシャ様にしても、ここが限界、一線を踏み越えたと判断されて、あの時期に行動に出られたのね。その意味も後先もロクに考えもせず、よくもまあ支離滅裂にその場しのぎに取り繕ったこと」


 ゼフィネさんは西の辺境伯家の前侍女頭である。

今も主は当代辺境伯であるお館様だ。かつては自身が乳母を務めた愛児でもある。

そのお館様に対して既に一線を踏み越えた現大公に斟酌しないのは、ある意味当然だった。


(あのバカ大公は、俺等のお館様には大公姫の問題でデカすぎるヘタを打った。

侯爵令嬢の一件でも風潮を読み誤って、戻れない境界を越えちまったのか――)


『この色ボケッ‼』

『大馬鹿者ッッ‼』

『情なし、人でなしっっっ‼』


 浮かれたロマンス応援の空気から一転、大公子達に世間の逆風が吹き始めたのは修道院への追放劇からである。何の非もない元婚約者、侯爵令嬢ナターシャ様への非情な仕打ちに世論は急変、たちまち大公子への非難が沸騰したのだ。 


 エステル容認派でさえ、ナターシャ様の排斥を望んでいたわけではなかった。

無残な結末など誰も期待してはいない。既存の秩序に挑戦して、出来上がった権力構造を破壊することなど、別に公都民達は欲していなかったのだ。

 町娘のエステルが高貴のお方に愛されて、お伽話のように宮殿へ迎えられる。

結末はただそれだけでよかったらしい。そして叶うものなら側妃になれれば。正妻じゃなくてもよかった。ガチガチゴリゴリの血統主義の王国慣例や公国の習いに、ほんの少しだけでも風穴が開く。それだけで満足し、好意的に納まるはずだった。


「賭けてもいいわ」


 ゼフィネさんはダメ押しした。


「侯爵令嬢の方から引導を渡されたのよ。」

「ひえええ……」

「現大公は侯爵令嬢に見切りを付けられた。愛想を尽かされたなんていう手ぬるい話じゃないのよ。それでも公国は潰せない。これまで他に後継がいないと何もかもなあなあで済まされてきた。それをもう、終わりにしましょうと言う意思表示よ」

「え・えええ……っ⁉」

「―――……」


 ただゼフィネさんは、さすがにその先までは言わなかった。


 たぶん――お館様も同じお考えのはずである。お館様とてその先は語られない。

 ただ誰もがわかっている。単に大公家の血筋が途絶えるだけが憂いならば、他の方法を考えればいい。

 大公家は王統に連なる家系だから意味がある。その総本家、王室には男子が複数いるのだ。少なくともシオンよりは()()()な王族達が。


「最低男でも腹黒でも、有能なら絶縁までされなかったはずよ。公国の行く末を案じられたからこそ、ナターシャ様は進んで聖ソフィア……『駆け込み聖堂』に入られたのだわ」


 ゼフィネさんは強引に話を締めに掛かった。


 

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