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黒髪の寵姫  獅子伯年代記Ⅰ    作者: vientoverde
第十二章 縁を切りたい女達

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侯爵令嬢ナターシャ・フォン・ブリゼ(2) 侯爵令嬢と北の司教様


「……儂等、そういう難しいことはよくわからんども」


 ジョシュがサクッとゼフィネさんの辛辣な話の腰を折った。

さすが年の功。この瞬間、イアルはチョットだけこの爺さんを尊敬した。


「でもなあ、ゼフィネ様よ」


 腕組みをしながら、ジョシュは器用に話を接ぐ。


「なんで聖ソフィアなんだろうなあ?」

「――というと?」

「だってよ。あそこは、亭主と縁切りしたい女房達が、自発的に行くとこだろ? 追放されて遣られるとこじゃあないよ」

「……そう、ね」

「じゃあ、なんで侯爵家の姫さんをわざわざ『駆け込み聖堂』に? そこがどうも解せないんだよ」


 確かに。それもそうだとイアルは思った。

これまでは所詮他人事だと思っていたから、深く考えたことが無かったけど。


 ジョシュの言うとおりなのだ。追放するにしても場所は選ぶ。

まともな頭があれば、あんな物騒な場所に名高い才媛を送らない。

 

 だって考えたるだにオソロシイ。あそこは名称こそ女子修道院だが、どんな相手だろうが一切忖度しない内面剛胆な超強面機関らしいのだ。王侯貴族でも領主家でも平民でも、怯まず分け隔てせず何処へでも離縁状を出すという。

 つまりは頭で闘う喧嘩の仕方を知っていて、かつその手段に長けている組織だ。

ちょっと持ち場は違うけど、要は分野の違う騎士団みたいなもんじゃないのか? だからこそあれ程、世に名を馳せてるんだろ?


 その勇名を轟かす『駆け込み聖堂』に、頭の切れる元婚約者をわざわざ託したりするだろうか? それって敵に塩を贈り、手負いの獣を野に放つ。手練れの騎士に剣を与えて――いや、武器庫に放り込むような行為なのでは? 

 かなり危険な判断だ。正常な思考では絶対にやらないはず。


「ああ、それは」


 しかしゼフィネさんは事も無げに言った。


「ナターシャ様が、今の大公との婚約解消を望まれたからでしょう?」

「え」


 これにはイアルも目が点になった。え。何? どうゆうこと?


「ゼフィネ様……それ、逆じゃねえのか? あのバカぼん公が平民の娘っ子に入れ揚げて、どうでも一緒になりたいって駄々こねて、そいで無体に婚約破棄した上に何の罪咎もない侯爵家のナターシャ様を追放したんだろ?」

「まあ、ホホホ」


 ゼフィネさんは鷹揚に笑った。

ここでこんな風に笑えるところが恐い。続く話は、たぶんもっと怖い気がする。


「侯爵令嬢ナターシャ様は追放されたのではないわ。そんなこと、いくら愚かでもできるはずがないのよ。あの方に逃げられたが最後、大公家は身の破滅。たちまち公宮は立ち行かなくなるのだから」


 逃げられた――捨てたんじゃなくて。逆? 逃げられたのか?


「―――……」

「現に、ナターシャ様に思い直してもらおうと度々、聖ソフィアまで公宮から人が来たそうだから」


 どうかお戻りくださいと、公国の家臣諸氏達から何度も懇願したらしい。そしてもちろんスッパリ断られた。


(はあ? こともあろうに、一度捨てた女により戻してくれだあ?)


 正気かよ、ソレ? ――ほんの一瞬だけ憤慨しかけ、すぐにイアルは思い出す。

 あ。違うわ。逆なんだっけ。


 そして少しだけ考える。いったい、どっちがマシなんだろうかと。

 無垢な婚約者を打ち棄てた悪名を被るのと、婚約者に愛想を尽かされたと上から下から一斉に馬鹿にされるの。人でなし扱いと無能の烙印。イアル的にはどっちも嫌。真っ平御免である。


「つまりナターシャ様が聖ソフィアに赴かれたのはご自分の意思。自発的に婚約の破談を求めて、それを正式に王家に申し立てるため。だからあえて公式認定機関の『駆け込み聖堂』で手続きを踏まれた」


 聖ソフィアならそれができるから。あそこからだけは、それが許されるから。

ゼフィネさんは微笑んで、さも当然のように肯定した。


「えええ……っ」

「―――……」


 やっぱりこの人が一番コワイ――イアルはあらためてそう感じる。


「あの頃、たいそうな評判になっていたものよ。聖ソフィアの修道女長テレーゼ様のお名前で、北の王家へ向けて離縁状ならぬ婚約破棄を求める破談状が出たって」


 離縁状に破談状。 

 あの修道院、よくそんなおっかないモン出すよな。しかも国王宛って。 


(けど。それだから縁切りのために『駆け込み聖堂』へ行かれたわけか……)


「え。え。でも、そいじゃあ」


 話が違ってくる。聞いてたのとまるで違う。

 それだと加害被害が逆転しちまわないか?


(こんな話――ここでしていいのか? こんな世間話で?)


「別に秘密の話でも何でもないわ。それにある程度は、周知の事実よ」


 ゼフィネさんはイアルに視線だけを向けて宣うた。目が底光りしている。

やっぱりコワイ。


「ど、どういうことだな⁈ それっ」

「そうね。むしろナターシャ様の場合は、婚約解消が本題ではなくて――その申立て、つまり破談願いの体裁を取って大公家の後継問題に関して再考されたしと主である王家に物申し上げた。――と言ったところかしら」


 うん。やっぱとことんコワイです。イアルは冷や汗が出て来た。


「形式としては北の司教様の――『駆け込み聖堂』後見の、現特命大司教様の添状を付けることことで、ね」


 実際にはナターシャ様がペンを執られたわけではないと、ゼフィネさんは言った。だから今の大公を告発したのは添状であって、あくまで破談状ではないのだと。するとつまり――実態としては告発状である。


 (北の司教殿かよ……)


 イアルも知っている。


 豪放磊落な気性で敬慕されている名物司教殿だ。

 もう北の王国国教会では特命大司教になられているのだが、今も『北の司教様』の呼び名で親しまれていた。辺境領でも厭われていない珍しい教会関係者であり、あらゆる意味で異色の人物である。


 『大公子シオンは次期大公の器に非ず』


 北の司教殿は添状にそう書き連ねたという。


 普通ならばこんなことは有り得ない。まず添状自体、書かれるのは稀である。

離縁状の類はたいてい、修道女長名で事足りた。過去の歴代『駆け込み聖堂』後見達は、一通も添状を書いていないはずである。

 だいたいからして誰も後見に就任したがらないのが常なのだ。

聖ソフィアが担う『縁切り』申立ての機能が敬遠される。それでドミネ教のどの司祭も、後難を恐れて『駆け込み聖堂』の後見にだけはなりたがらない。その難役に進んで立候補して長く務めている点でも、北の司教殿は実に奇特な存在だった。


「そうね。添状の冒頭文は――『大公子は次代の大公の器にあらず。その資質には大いに疑義あり。公明正大にして英邁なる国王陛下の御名の下に、公国の行く末につきあらためて御裁可を願い出る』――だった、かしら? 格調高くも誇らかに物申される、それは痛快な名文だったそうよ」

「え、えええ……っ⁉」


 何を書くんだよ。あの武闘派司教殿。


 聞いているだけでイアルは肝が冷える。

 もう決してお若くない御年のはずなのに。勇ましいにも程がある。あの御仁には怖いモノ、憚るモノなどないのだろうか。


 『北の司教様』の愛称は、北の辺境伯家の嫡流と言う出自による。

生来の御名はバルタザール・フィン・ヴォルダン。同じ辺境伯家だから西の辺境領でも武闘派司教殿としてよく知られていた。

 もっともあちらは王家の信任厚い北の辺境伯。王家と同じ「フィン」を冠する名乗りを許された忠臣中の忠臣フィン・ヴォルダンである。司教殿は先代北の辺境伯の末弟にして、当代の叔父御にあたる。


 特異な経歴の持ち主でもあった。元王宮近衛。王家の騎士で当時の王太子の専任護衛という勇ましくも晴れがましい御役を皮切りに、自ら志願して僻地の師団に赴任した変わり種だ。それがさらには僧籍に転じた。聖ソフィアの後見に就いてからも、命知らずの無頼者を集めて護衛団を組織されたりしている。


 イアルの記憶では、そろそろ老境に差し掛かるご年齢と思うが。

血気盛んなところは相変わらず。かの豪快な評判を裏切らないようだ。

 

 ちなみに武闘派司教バルタザール殿は、その来歴にとてもロマンティックな純愛譚をお持ちでもあった。故にある年齢層以上の一部女性達からは絶大な支持を得ているのだが、さすがにイアルの世代ではそこまで知らない。


「一部とは言え添状の文面までが流布するなんて異常なこと。けれど単なる噂にしてはずいぶん具体的だし、物々しくも生々しいとは思っていたけれど……。全部、本当のことだったようね」 


 離縁状ならぬ破談状の名を借りた告発状。ほぼ事実上の断罪だったとゼフィネさんは言った。シオンを糾弾し、この機に是非大公家の後継問題をご一考されたしと謳われていたそうだ。


 信じがたい。だが北の司教殿ならじゅうぶんにあり得る。

 常日頃から歯に衣着せぬ発言の数々で『神をも畏れぬ物言いよ』と周囲を戦々恐々とさせている御仁だ。

 あんなのに大司教や枢機卿になられては堪らない。

教会関係者に危険視されて、派閥を作られても困ると無理矢理拵えた『特命』職に押し込められたそうである。しかし、いっこう大人しくなどしていなかった。



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